第35話 袋の鼠

 ところが森の中に待ち受けていたのは、馬や人の侵入を阻む柵や、堀が付属する長大な土塁と、丸木や板塀を利用した、本格的な砦だった。


 アニスは、北門で戦っている間に、アルフレッドやリマルに命じて森を要塞化しており、調子に乗ったノルデン軍を、罠に誘い込んだのだった。


「おー。見事に引っかかったなあ」


 アニスは砦の櫓やぐらの上に立ち、うんかのごとく押し寄せる敵の大軍を眺めやった。


「こいつらが、首都近辺まで押し寄せていたら、さぞや苦労しただろうな。我ながら好判断だった」


 アニスは自分に言い聞かせるように言うと、大きく息を吸い込んだ。


「弓兵、構え!」


 息を殺し、数秒を、心の中で静かに数える。


「放て!」


 すると、土塁や砦から、一斉に無数の矢が放たれた。


 勢いよく押し寄せたノルデン兵は、短い悲鳴とともに、次々と前のめりに倒れていく。


「あとは好きにしろ。どんどん射殺せ!」


 アニスは手に持った木槌きづちで、近くに据えてある陣鐘じんがねを勢いよく叩き続けた。


 クルキア軍の弓手たちは、これでもか、これでもかと、力の限りに、矢を放ち続ける。


 そこに森の中で何が起きているのかわからない、ノルデンの新手が勢いよく飛び込んでくた。


「まずい、敵がいるぞ」


「しまった、罠だ! 引き返せ!」


 しかし、次々と後ろから押し寄せてくる味方により、ノルデン兵の退路は自然と塞がれる格好になった。


「今だ! 弓兵と歩兵は出ろ!」


 アニスは、陣鐘の叩き方を変え、事前に通達してある合図で、味方に指示を飛ばした。


 たちまち、あちこちから鯨波げいはが沸き起こった。


「オオオオオオオオオオオオ!!!!!」


 耳をつんざくような喚声と共に、まず、長弓やボーガンの射手が、砦や柵から飛び出し、敵に向けて、さらに容赦なく矢をち始めた。


 お次は、森の中でも機動力がある、歩兵の大軍の出番だ。


「調子に乗りやがって! ここがてめえらの墓場だ!」


「全員、残らず、ぶっ殺してやる!」


 クルキアの大軍は、陣地をどっと飛び出し、混乱の極みに達したノルデン軍に襲いかかった。


 こうなると、あとはもう一方的な殺戮しかなかった。


 勢いに乗ったクルキア軍の逆襲により、森の中には、たちまちノルデン兵の死体の山が築かれた。


 かろうじて生き残った兵士たちは我先にと、森の外を目指し、潰走を始める。


(好機到来だな)


 アニスは、再び陣鐘の叩き方を変えた。


「騎兵隊、続け! 森の外に出た敵に追い打ちをかけろ! 情けは無用だ!」


「承った」


 叫んだのは、すでに馬上にある、歴戦の勇将トイシュケルだ。


 トイシュケル率いる近衛軍をはじめ、精鋭の騎兵部隊が、すさまじい勢いで、ノルデン兵の背中を追う。


 油断したノルデン軍は、緒戦で指揮官クラスを相当数失ったせいもあり、完全に指揮系統が麻痺していた。


 結果、名実ともに、総崩れとなり、戦闘はあっという間に、クルキア軍による掃討戦の局面に移行した。


 まだ日は高く、合戦そのものは、しばらくつづくはずだったが、大勢はすでに決していた。




 しばらくして、勇敢にも砦を出たアニスは、護衛を連れて馬を駆り、前線の視察に向かった。


 すると、森を出たあたりで、甲冑姿のアルフレッドが、兜をかぶった敵を金棒でぶっ叩いているところに出くわした。


「お前、姿を見ないと思ったら、こんな所でなにをしている?」


 アニスが驚いて聞くと、アルフレッドは苦笑いを浮かべた。


「いや、リマルが敵を退治すると言って、急に砦を飛び出したものですから」


 そんな家宰の周囲には、気絶した敵兵が幾人も転がっている。


「アルフレッド。お前、やるじゃないか」


 意外に思ったアニスが褒めると、アルフレッドはリマルを指さした。


「いえ、あいつにはかないませんよ」


 目をやると、リマルは剣で敵を鎧ごと切断していた。


「あっ、王妃様。敵をたくさんやっつけました。もうご安心ください」


 アニスは開いた口がふさがらなかった。


「ちょ、待て。お前、剣で鎧を……」


 リマルは、少し照れくさそうに笑った。


「これですか。じつは、コツがあるんですよ。当たったら弾くようなイメージで切るんです。そうすれば、誰でもできますよ」


「そ、そうか。ためになった」


 アニスは、人は見かけによらないと思いつつ、自軍の勝利を確信し、その場で馬を止めた。


 小川は血で赤く染まり、主を失い、行き場を失った馬が、あちこちを彷徨さまよっている。


 あたりには、勝ち誇ったクルキア兵の雄たけびだけが聞こえていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る