第1章 国王の母が、必ず殺される国

第1話 アニス様は、けなげな孝行娘

 敵が領内から退去したのを見届けた後、アニスは侯爵である父、エルンストへの報告のため、久しぶりに自分の館へと戻った。


 館は小高い岩山の上にある、堅固な城の中にある。


 隣にはウィスタリア王国に仕えるデュフルト侯爵家の家宰であり、籠城戦では参謀も務めたヴァイツァーを伴っている。


 ヴァイツァーは初老を迎え、髪こそ総白髪になっているが、若き日はパトナ1の美男子ともてはやされた男で、その戦争指揮や行政手腕の高さから、他国からは“白狼”と恐れられている。


 病弱で、長年病に苦しんでいるエルンストは、いつものように寝室のベッドで横になっていた。


「父上、お喜びください! 敵は我が領内から去りました!」


 アニスは喜色満面で報告したが、やつれた表情の父親は、悲しげにだまってうなずくだけだった。


「どうしたのですか? 我々は戦に勝ったのですよ? パトナを守りきりました」


 エルンストはため息とともに、口を開いた。


「素晴らしい娘、アニスよ。強敵に勝利し、国と民を守ることができたことは何よりもうれしい。しかしだ」


「しかし?」


 エルンストはもう一度ため息を漏らした。


「そのために娘を、むごい戦の矢面に立たせてしまった。それがわしには慙愧ざんきに絶えないのだ」


 エルンストの瞳には、憂いの色がありありと浮かんでいた。


「思えばわしが不甲斐ないせいで、お前には昔から無理ばかりさせてしまった。いくらヴァイツァーがいるからといって、今ではお前が実質的な領主だ。父親として、なんと情けないことだろう」


 アニスは病気のため、思うように政務のとれない父親の代理として、物心ついた頃より、領内の統治や他国との折衝、交易などの舞台に狩り出されていた。


 実母のリアーナは、アニスが物心ついた頃に産褥で亡くなっていた。


 そのため、アニスは、ヴァイツァーからは帝王学と称して、貴族の娘なら絶対に習わないはずの政治や外交、軍事・経済の英才教育を受けていた。


 母の命と引き換えに生まれた跡取り息子、ヨハンはまだ十歳と幼く、家宰は何かあったらアニスに婿を取り、彼女を中心に家を守るつもりだった。


 現実主義者で、冷徹なヴァイツァーだが、時にその表情に滲む自分への情愛や、日頃の献身ぶりに、アニスは侯爵家への深い忠節を感じていた。


「お前も、もう二十二歳。本来ならとっくに花嫁衣装に身を包んでいるはずなのに、わしはお前の幸せを何もかも犠牲にしているようだ。なんと詫びていいものやら」


「父上、私はこの愛すべき国と結婚したようなものです。ヨハンが大きくなるまで、何としてでも、この家と領地を守り抜く覚悟です。そのためならば私はどんなことでも、たとえ戦でも厭いません」


「悲しいことを言わんでくれ。娘に剣を振らせたい父親がどこにあろうか」


「ご安心ください。此度の戦も侯爵家の名に恥じぬよう、エレガントに戦えたはずです」


 アニスは背後のヴァイツァーに目配せをした。


「だろう? ヴァイツァー」


 ヴァイツァーは、咳払いした。


「そ、そうですな。アニス様は侯爵家のご令嬢らしく、実にエレガントな指揮ぶりでございました。私も将兵も優美なお振る舞い感服したものです」


 返事を聞いて、エルンストは目を閉じた。


「そうか。わかった。それでも、すまぬ、アニス」


「父上、お気になさらず。これが私の運命なのでしょう」


 アニスは、昔から優しい気性の父親を気遣い、できるだけ屈託なく微笑んだ。

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