アニス戦記~国王の母が、必ず殺される国の王妃~

蒲原二郎(キャンバラ・ディロウ)

プロローグ パトナの剣

  無敵を誇った北方の雄、クルキア王国の大軍が無様に撤退していく。


 銀色の甲冑を身にまとった侯爵令嬢、アニスは、デュフルト侯爵家の居城がある、パトナの城門の上に立っていた。


 戦いに敗れただけでなく、精も根も尽きたのであろう。


 薄汚れたクルキア兵たちは、一様にうなだれていて、だらしなく、とぼとぼと歩いている。


(どいつもこいつも、締まりのないケツをしやがって)


 アニスは忌々しげに鼻を鳴らすと、去り行く敵に、呼びかけた。


「おいおい、クルキアの兵隊さんよ。まさか女相手に、このまま逃げ出したりしないだろうな」


 敗軍からは反応がなく、アニスはますます腹を立てた。


(人の国に勝手に攻め込んでおいてこれかよ。クルキアの根性なしどもめ)


 アニスは自分の股の辺りを、右手でパンパンと叩いてみせた。


「それとも何か? ぶら下げているものがあんまりお粗末なので、私に背中を向けることしかできないのか?」


 さすがにここまで愚弄されると、クルキア軍も黙っていない。


 敵の将兵は、目を怒らせてアニスの方を振り向いた。


 が、うら若き乙女は顔色一つ変えなかった。


「だったら、せいぜい教会で祈ることだ」


 男装の麗人は、笑いをかみ殺して叫んだ。


「主は、小さき者にも慈悲を下さる」


 その瞬間、パトナの城内は、爆笑の渦に包まれた。


 アニスの左右にいる兵士たちだけでなく、勝利を確信して集まってきた民衆たちも、腹を揺すって笑い転げている。


 小娘に馬鹿にされたのが余程悔しかったのだろう。


 クルキア兵たちは目を剥き、怒りで体を震わせたが、すぐに再び背を向け、逃げるための行軍を始めた。


(頃合いだな)


 アニスは大きく息を吸い込むと、声を張り上げて叫んだ。


「見よ。敵は去った。我らの完全なる勝利だ。神に感謝の祈りを捧げよ! パトナに祝福あれ!」


 すると、三カ月に及ぶ過酷な籠城戦に耐え抜いた兵士たちは、今こそと感情を爆発させた。神だけでなく、領主エルンストとアニスの名も讃え始める。


「デュフルト侯爵、万歳!」


「パトナ万歳!」


 特に病身の侯爵に代わり、戦を陣頭指揮したアニスには、抜き身の剣を天に突き立て、声高らかに称賛した。


「アニス、アニス、我らの剣!」


「我らの美しい主、アニス姫万歳!」


 アニスは兜を外すと、美しい金色の髪をかきあげた。


 そして、笑顔で手を振り、苦難を共にした者たちの歓声に応えた。


 端正な顔立ちに、まるで吸い込まれそうな、青く美しい瞳。


 パトナの兵も住民も、誰もが、まばゆい美貌のアニスを聖女のように感じ、慕っていた。


「パトナの守護者、アニス!」


「アニスに幸あれ!」


 街中に、歓喜の声が、こだました。

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