第31話火の兆し

 村の会議が終わり、ようやく静けさが戻ったはずの夜。

 だが俺の胸には重苦しいものが居座ったままだった。

 「留める」と決まったとはいえ、俺に向けられる視線の奥底には恐怖が混じっている。それは一度見たら消えない影のようなものだった。


 見張り台に立つと、冷たい風が頬を撫でた。

 森の奥は闇に沈み、月明かりだけが木々の隙間を照らしている。

 だがその闇の中に、僅かな赤い光を俺は見逃さなかった。


 ――炎だ。


 風に乗って、焦げた木の匂いが漂ってくる。

 耳を澄ませば、枝を踏み砕く複数の足音。黒外套の残党が動き出したのは間違いなかった。


「ナギサ、ミレイユを呼んでこい! 村に火が入る!」

 俺が叫ぶと、ナギサは真剣な顔で走り去った。


 すぐに村人たちが広場に集まり始める。

 「またか……!」

 「今度は火だ!」

 叫び声と共に、夜空を焦がす炎が遠方に立ち上がるのが見えた。


 ダリオが矢を番え、険しい顔で言う。

「西の抜け道からだ! やつら、火を回し込んで村を混乱させるつもりだ!」


「急いで水を! 桶を回せ!」

 ミレイユが必死に指示を飛ばし、村人たちが井戸から水を汲み始める。

 だが炎は容赦なく広がり、やがて村の柵に燃え移った。


 混乱に乗じて、黒外套の影が突入してくる。

 剣が閃き、村人の悲鳴が夜を裂いた。


「来やがったか!」

 俺は槍を構え、最前線へ飛び込む。

 炎の赤に照らされる敵の刃を弾き返し、胸を突く。

 だが次の瞬間、背後から回り込んできた剣が俺の脇腹を切り裂いた。


「ぐっ……!」

 血が噴き出し、足元が揺らぐ。

 視界が赤黒く滲み、再び“あの時”の感覚が蘇る。


『――スキル発動条件、達成可能』

 脳裏に、あの冷たい声が囁く。

 死の気配と共に、力がまた呼び覚まされようとしていた。


「レイン!」

 ナギサが駆け寄り、必死に俺の体を支える。

 その震える声が、意識の闇を必死に引き留めていた。


 俺は血に濡れた手で彼女の頭を撫で、かすれた声で呟く。

「大丈夫だ……まだ……終わらない」


 炎が村を包み、敵の咆哮が響く。

 俺は槍を握り直し、迫る死と力の狭間に身を投じた。


燃え盛る炎は、ただの光ではなかった。

 村人たちの心を呑み込み、恐怖と混乱を増幅させる怪物のように広がっていく。

 泣き叫ぶ子どもを抱えて走る母親、必死に桶を運ぶ老人、剣を握りしめ震える若者。

 その全てが、赤い火の粉に照らされていた。


 俺は血に濡れた手で槍を握り直す。

 視界が霞み、足がふらつく。

 それでも前に出なければ、ここで全てが終わる。


「下がれ! 俺が前に出る!」

 怒鳴ると同時に敵の剣を弾き、返す突きで胸を貫いた。

 炎に照らされた黒外套の影が崩れ落ちる。

 だが、その向こうからさらに三人が飛び込んでくる。


「やらせないっ!」

 ナギサが短剣を振るい、俺の隣で立ち塞がる。

 必死の攻撃は軽くはじかれるが、彼女の眼差しは決して退かなかった。

 俺はその姿に力をもらい、体を前へ押し出す。


 海斗も駆け寄り、村人たちに叫んでいた。

「水だ! 泥を流せ! 火を広げるな!」

 彼の声に応え、必死に動く者たちの姿。

 昨日の恐怖に震えていた彼が、今は仲間を導いている。


 ――それでも、敵の数は尽きない。


 背後から鋭い痛みが走った。

 剣先が背中を裂き、膝が地に沈む。

 血が口から溢れ、意識が闇に沈もうとする。


『――スキル発動条件、再び整う』

 冷たい声が頭蓋の奥を叩いた。

 体が重く、心臓が止まりかける。

 だが、その奥に燃えるような熱が同時に生まれていた。


「……俺は、まだ……倒れられない……!」

 最後の力で槍を振り上げる。

 炎の中、黒外套の兵を貫き、その体を地に叩きつけた。


 視界は揺れ、世界は赤黒い靄に覆われていく。

 だが俺の中では、確かに次の覚醒が目を覚まそうとしていた。


____________________

後書き


 第31話では、黒外套が炎を用いた襲撃を仕掛け、村が混乱に包まれる様子を描きました。レインは再び死の淵に立たされ、スキル発動の兆候が迫る中で戦い続けます。

 次回は、炎に包まれた村での決死の戦いと、死を超えた力のさらなる発現が描かれます。

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