第6話ささやきと森影

 徴税官の隊列が去った翌日、村は奇妙なざわめきに包まれていた。

 広場に集まった人々の間で、同じ言葉が繰り返される。


「見慣れぬ男が石に触れて……何も出なかった」

「流れ者なら分かるが、魔素の癖すら映らないのはおかしい」

「石が壊れていたのか?」

「いや、あれは……」


 耳に入るたび、胸が重くなる。

 俺は石の前で手を置いた。確かに触れた。

 結果は“人族、流浪の者”――ただそれだけ。

 魔王軍にいた痕跡は、完全に消えていた。

 なぜだ? 死者強化デスブーストの効果なのか?


「レイン」


 振り返ると、ミレイユみれいゆが立っていた。

 緑の瞳がまっすぐに俺を映す。

 彼女は周囲の視線を避けるように、納屋の影へと俺を導いた。


「……正直に答えて。あなた、本当にただの流れ者?」


 胸が詰まった。

 何も答えられず、沈黙が流れる。

 ミレイユは拳を握り、やがて小さく首を振った。


「ごめん。責めたいんじゃない。……ロウを助けてくれたことは事実だから」


 それだけを残し、彼女は去っていった。

 その背中を見送りながら、心臓が痛む。

 嘘を積み重ねて生きるしかない。だが、あの瞳は誤魔化せるものではなかった。


 その夜。

 柵の外で不審な影が目撃された。

 子供が怯え泣き、男たちが松明を手に森へ向かう。

 俺も槍を借りて後に続いた。

 茂みの奥に潜んでいたのは――黒い体毛に覆われた巨猿きょえんだった。


 森狼より一回りも二回りも大きく、鋭い牙を剥き出しにして唸っている。

 村の男たちは恐怖に後ずさった。槍を構える手が震えている。


「下がれ!」


 俺は一歩前に出る。

 死ねば強くなる力――使うつもりはなかった。だが今、目の前で村人が殺されれば同じだ。

 巨猿が腕を振り下ろす。

 槍を突き上げ、軌道を逸らす。衝撃で腕が痺れるが、耐久が支えてくれる。


「おおおおっ!」


 拳を叩き込む。

 肉が潰れ、巨猿がよろめいた。

 その隙に村人たちが必死に縄を掛け、ようやく森の奥へと追い払うことに成功した。


 荒い息を吐く俺を、皆が驚きの目で見つめていた。

 だがその中に――畏怖も混じっていた。

 “人ならざる力”を見た眼差し。

 その視線が、冷たい刃のように胸を刺す。


「……助かったよ、レイン」


 オルドの低い声。だが笑みはなかった。

 その横で、ミレイユの唇がわずかに震えていた。

 感謝か、不安か。どちらとも取れる表情だった。


 夜。藁床に横たわりながら、俺は思う。

 石に映らなかった理由。

 死を経るたびに増幅する力。

 村人の目に映る異質な姿。


 ――このままでは、いつか必ず破綻する。


 月明かりに照らされながら、拳を強く握った。

 次に死んだ時、どんな変化が訪れるのか。

 その答えを知るのが怖かった。


____________________

後書き


 今回は村に広がる“疑念”と、森での新たな脅威を描きました。

 力を示したことで感謝と同時に畏怖も生まれ、主人公の立場はますます不安定になります。

 次回は、その不安を突くような事件が起き、村人たちとの距離がさらに揺さぶられる展開になります。

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