第4話揺れる畑の一日

 朝の光が屋根裏を淡く照らす。

 鳥のさえずりに目を開けると、藁床わらどこはひどく心地よく、久しぶりに“眠った”という感覚を得られた。魔王城では常に緊張に縛られ、目を閉じても休息にはならなかったからだ。


 扉を開けると、ロウろうが桶を抱えて井戸の前に立っていた。水面に映る顔を見て驚いた。

 ――頬に、血色がある。

 死者強化デスブーストの影響か、眠りの質か。どちらにせよ、以前の死人のような顔色ではない。


「おはよう、レイン兄ちゃん!」


「ああ。元気そうだな」


 声を交わしたその時、ミレイユみれいゆが姿を見せた。栗色の髪を布でまとめ、腰に小さな鎌を下げている。

 今日の仕事は畑らしい。彼女に続き、俺も村の中央へ向かった。


 村の畑は柵に囲まれ、陽に照らされて土が香っていた。老人たちが黙々と鍬を振るい、若者が荷を運ぶ。昨日の灰髭――村長のオルドおるどもそこにいた。

 視線が一瞬こちらに向き、すぐに作業へ戻る。警戒は消えていない。だが“使えるかどうか”を見極める目に変わっていた。


「レイン、これお願い」

 ミレイユが指し示したのは、束ねられた麦の袋。二人がかりでも運ぶのに骨が折れる重さだ。


 俺は肩に担ぎ上げる。筋肉が軋むが、数字が背を押す。

 ――耐久九十。力は確かに俺を裏切らない。

 ただし、目立ちすぎないように足取りはわざと重くした。


「すごいね、兄ちゃん!」


 ロウが目を輝かせる。

 その無垢な声が、刃より鋭い。過剰に褒められれば、周囲の目が向く。俺は慌てて肩をすくめた。


「いや、大げさに言うほどじゃない。……昨日の疲れが残ってるだけだ」


 笑って誤魔化す。だが、オルドの目が確かに俺を追っていた。

 柵を直した槌の扱い。軍仕込みの正確さ。

 今度は重荷を軽々と担ぐ姿。

 ――どれも、流れ者に似つかわしくない。


 昼、影の下でスープをすする。

 村人たちが交わす会話が耳に入る。


「街道から徴税官が来るらしい」

「今月は麦も少ないのに……」

「領都の連中は容赦しないからな」


 胸がざわつく。

 徴税官の隊列に同行するのは、役人だけではない。兵士、場合によっては魔法使い。

 そして、識別石アイデンティア

 軍籍や魔力の癖を照らす、小さな石。

 あれに触れれば、俺が“元魔王軍”であることなど一瞬で暴かれる。


「レイン?」


 ミレイユの声に我に返る。

 緑の瞳が真っ直ぐに射抜いてきた。

 何も言っていないはずなのに、胸の奥を覗かれた気がして息が詰まる。


「……大丈夫だ。少し考え事をしてただけ」


「ならいいけど。無理はしないでね」


 その言葉に救われながらも、心は落ち着かない。

 この村に長く留まれば、いつか疑いの目が深まる。

 だが去れば――帰る場所はもうない。


 夕刻。柵の補修を終えた俺に、オルドが近づいた。

 低い声が耳元に落ちる。


「お前……ただの流れ者じゃないな」


 心臓が跳ねた。

 槌を持つ手が震える。だが次の瞬間、老人は背を向けて去った。

 問い詰めはしない。だが、見逃しもしない。

 その背中は「証明してみせろ」と告げているようだった。


 夜。

 屋根裏の藁床に横たわり、俺はステータスを呼び出す。光の板が静かに数字を映す。

 死ねば強くなる力。

 だがここでそれを晒すことは、滅びへの近道だ。


 ――守りたいものがあるなら、死なずに強くなる方法を見つけろ。

 己にそう言い聞かせ、目を閉じた。


 遠く、街道から蹄の音がかすかに響いてきた。

 徴税官の影が、もう近づいている。


____________________

後書き


 一日の畑仕事を通じて、主人公が「村に馴染もうとする姿」と「正体を隠す葛藤」を描きました。

 ただの流れ者ではないという気配を、長と一部の人々は確実に感じ取り始めています。

 次回は街道からの来訪者――徴税官の隊列が村に入る場面。

 偽りの名と過去を抱えたまま、彼がどう向き合うのかを描きます。

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