第7話 親子の歌
いつもより遅い時間に、「スナック源ちゃん」のドアが開いた。
現れたのはマーカス。普段は人当たりの良い商人だが、今夜は明らかに様子が違った。重い足取りでカウンターに座ると、無言でジョッキを空にする。
「おいおい、どうしたんだよマーカス。元気ないじゃねえか」
バルドの声にも、マーカスは力なく手を振るだけ。
源ちゃんとアキナは視線を交わした。
「......また、息子と喧嘩したんだ」
ようやく口を開いたマーカスの声は、深いため息混じりだった。
「あいつは......俺の商売を継ぐ気が全くない。『絵描きになりたい』だの『自分の道を歩みたい』だの......」
ジョッキを握る手に力が入る。
「俺がどれだけ苦労して、この商売を築き上げたと思ってるんだ!夜遅くまで帳簿と向き合って、頭を下げて、取引先を回って......」
その声には、息子への不満と同時に、深い寂しさが込められていた。
「俺は、あいつに苦労させたくないんだ。だから、安定した商売を継がせたいのに......」
アキナが静かに言った。
「でも、あなたも息子さんの気持ちを分かってないんじゃない?」
アキナの一言に、マーカスの動きが止まった。
「俺が......息子の気持ちを?」
「ええ。息子さんも、きっと苦しんでるのよ。お父さんに認めてもらいたい、でも自分の夢も諦めたくないって」
源ちゃんが煙草に火をつけながら、ぽつりと言った。
「マーカス、お前さんは何になりたかったんだ? 子供の頃」
その質問に、マーカスの顔が青ざめた。
「俺は......俺は......」
長い沈黙の後、彼は震える声で答えた。
「......鍛冶師になりたかった」
店内に静寂が落ちる。
「親父に無理やり商人にされたんだ。『商売の方が儲かる』『安定してる』って......俺は、親父の敷いたレールの上をただ走ってきただけなんだ」
自分の言葉に、マーカス自身が愕然とした表情を見せる。
「俺は......俺は息子に、俺と同じことをしようとしてるのか?」
「そういうことだな」
源ちゃんが優しく微笑む。
「子供ってのは、親の夢の続きじゃなくて、自分の夢の始まりなんだよ」
「でも......息子には幸せになってほしいんだ」
「幸せの形は、人それぞれだろ?お前さんが商売で幸せを感じるように、息子さんは絵で幸せを感じるかもしれない」
アキナが付け加える。
「大切なのは、息子さんを一人の人間として認めてあげることよ」
マーカスは深く息を吐き、マイクに手を伸ばした。
「俺も......歌ってみていいか?」
「もちろんだ」
源ちゃんがマイクを差し出すと、マーカスは震える手でそれを受け取った。
♪息子よ~ お前の道を~
最初はかすれた声だった。だが、歌ううちに彼の声は力強さを増していく。
♪歩いてくれ~ 俺の想いを背負わずに~
それは、父親に歌わされた商人の歌ではなく、一人の父親が息子への素直な気持ちを込めた歌だった。
♪お前の絵で~ 誰かを笑顔にしてくれ~
歌い終えたマーカスの頬には、涙が流れていた。
「......ありがとう。やっと分かった」
「息子に謝らなきゃ。そして......息子の絵を見せてもらうんだ」
マーカスの表情が、来たときとは全く違っていた。迷いが消え、父親としての本当の愛情が宿っている。
「マーカス、いい親父じゃねえか」
バルドが肩を叩く。
「息子さん、きっと喜ぶわ」
アキナの言葉に、マーカスは力強く頷いた。
「ああ。今度は、息子の話をちゃんと聞いてみる」
店を出る前に、マーカスは振り返った。
「源ちゃん、アキナ、ありがとう。俺は今まで、息子を自分の延長だと思ってた。でも違うんだな」
「おう。息子さんは息子さんの人生の主人公だからな」
マーカスが去った後、アキナがつぶやいた。
「親子って、難しいのね」
「まあな。でも、愛があれば乗り越えられる。歌が、その愛を伝える手助けをしてくれるんだ」
源ちゃんはジョッキを掲げる。
また一組の親子が、歌を通じて心を通わせる――。
「スナック源ちゃん」の夜は、今日も温かな奇跡を起こしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます