第6話 夢の灯火

 雨の夜だった。

「スナック源ちゃん」の窓を叩く雨音が、店内の温かな空気をより一層際立たせている。

カウンターには常連のバルドと、商人のマーカスが並んで座り、穏やかに酒を酌み交わしていた。

そんな中、ドアがそっと開き、ずぶ濡れの女性が入ってきた。

二十代後半だろうか。肩に掛けたリュートケースからは雨水が滴り、薄汚れた旅装束が彼女の境遇を物語っていた。

「すみません......少しだけ、雨宿りを......」

か細い声に、源ちゃんは温かく手招きした。

「いらっしゃい。雨宿りなら大歓迎だ。とりあえず、温かいものでも飲みなよ」


女性――リナは、差し出されたホットワインに両手を包むように握り、ほっと息をついた。 「ありがとうございます。私、リナと申します。吟遊詩人の......端くれです」

その自嘲的な言葉に、アキナが眉を寄せる。

「端くれだなんて。立派な職業じゃない」

「いえ......もう、そんなことを言えるような身分じゃありません」

リナの瞳に、深い疲れが宿る。

「今日も街角で歌っていたんです。でも......誰も足を止めてくれなくて。それどころか、『うるさい』『邪魔だ』って......」

彼女の声が震える。

雨に濡れているせいか、それとも涙なのか、頬を伝う水滴が光った。

「もう五年も旅を続けています。でも、認めてもらえる日なんて来ないんです。故郷の両親からは『もういい加減、現実を見なさい』って手紙が......」


バルドが静かに口を開いた。

「なんで、歌を歌うんだ?」

リナは驚いたようにバルドを見つめる。

「なんで......って」

「つらいなら、やめりゃいいじゃねえか。親の言う通り、普通の暮らしをすればいい」

その言葉に、リナの目に炎が宿った。

「やめられません!」

初めて見せた、強い意志の光。

「歌うことが......歌うことだけが、私を私たらしめてくれるから。辛くても、認められなくても、歌っている時だけは......本当の自分でいられるんです」

源ちゃんがにやりと笑う。

「そういうことか。なら、聞かせてもらおうじゃないか」


源ちゃんがマイクを差し出すと、リナは戸惑った。

「でも......私の歌なんて......」

「いいから。ここにいるみんなは、ちゃんと聞いてくれる」

アキナが優しく微笑む。

「私たちは、うるさいなんて言わない。聞かせて」

震える手でマイクを握ると、リナは目を閉じ、深く息を吸った。


♪風に吹かれて~ 旅の途中で~


最初は緊張で声が震えていた。だが、歌ううちに彼女の声は次第に澄んでいく。


♪見つけたい~ 私だけの光を~


技術的には決して上手くない。音程も時折外れる。

だが、その歌声には確かに「何か」があった。

夢への憧れ、孤独な旅路、それでも歌い続ける意志――。

すべてが歌に込められていた。


歌い終えると、店内に静寂が流れた。

そして――パチパチパチ。 バルドが拍手を始め、続いてマーカス、アキナ、源ちゃんも手を叩く。

「......え?」

リナの目が見開かれる。涙が頬を伝った。

「初めて......初めて、最後まで聞いてもらえました」


源ちゃんは煙草に火をつけ、ゆっくりと言った。

「リナちゃん、夢ってのはな。諦めた瞬間に死んじまうんだ。でも、続けてる限りは生きてる」

リナが身を乗り出す。

「そして歌は、その夢の命の灯火だ。どんなに小さくても、消えそうでも、歌い続ける限り夢は燃え続ける」

源ちゃんの言葉が、リナの心に深く響いた。

「技術なんて後からついてくる。大事なのは、その灯火を絶やさないことさ」


リナは深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。私......まだやれます。まだ歌えます」

「おう、その意気だ」

アキナがにっこり笑う。

「今度街角で歌うときは、私たちも聞きに行くわ」

「本当ですか?」

「ああ。お前の歌、悪くねえよ」

バルドの素っ気ない励ましに、リナは泣き笑いを浮かべた。


雨は上がっていた。 リナがリュートケースを背負い直すと、源ちゃんが声をかける。

「また寄っていけよ。ここは、夢追い人の味方だからな」

「はい! 必ず!」

店を出るリナの足取りは、入ってきたときとは全く違っていた。

軽やかで、希望に満ちている。


源ちゃんは窓越しに、街角へと向かう彼女の後ろ姿を見送った。

「また一人、夢の灯火が輝き始めたな」

アキナが隣に立つ。

「源ちゃんも、人の夢を灯すのが上手ね」

「俺の歌もまた、誰かの灯火を守る歌ってことかもな」

カウンターに戻る二人。


「スナック源ちゃん」は今夜も、誰かの心に温かな光を灯していた――。

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