第37話炎はいつか消えゆくもの
「ごめんなさいね。このような手荒な真似をしてしまって。」
私が鎖で拘束すると、糸の切れた人形のように倒れる虚ろな人々。
彼らは私に襲い掛かってきたような苦しげな表情ではなく、どこか安らぎを得たような顔に変化した。
この声はきっと届いていないが、それでも言葉にするべきだ。
「これでも恐らく一部なのよね。」
拘束しては距離を取ってを繰り返しているけど……。
あまり看過できる状況ではないわね。
どれだけ自己を失った人々を相手していても、彼らは無限に私の前に現れる。
「いったい彼らはどこから来たのかしら?」
できることなら変に傷つけたくはない。
彼らがどのような経緯でこうなってしまったのかがよく分からないからだ。
私みたいに攫われたりしたとしたら、純然たる被害者だ。
絶対に命を脅かすような真似はしてはならない。
それと……。
「はぁ、はぁ。……チッ。汗が鬱陶しい。」
動き回っているせいで、薬の回りが早すぎる。
本来は安静にするべきなのはよく分かっている。
ただ、敵陣でそんな自殺行為するわけにはいかない。
今のこれも十分自殺行為なことに変わりないのは事実だけどね。
「逃げようとしないでくださいな。あなた方が始めた物語でしょ?」
ぼやけた視界に映るのは、姫君たちの動きにくそうな豪奢なドレス。
聞き取る機能を著しく失った耳に微かに入るのは、たどたどしく走る音。
たとえ、色々と失いかけていてもそれを放っておくほど私は耄碌していないわ。
人の執念をなめるなよ。
あそこがいいかしら。
程よく脆そうで落ちてきたとしても、余計な怪我はさせない。
瞬間を見計らって。
≪炎よ、焼き切れ≫
呪文を唱えると共に、炎が刃となって柱の一部を焼き落す。
ガシャンと鈍く大きな音が鳴ってしまったし、想像以上に崩れた。
でも、これで逃げ道は塞いだ。
「きゃあ、扉が塞がれてしまったわ。」
「これじゃあ、外に逃げられないじゃない。あなた、下賤なだけではなく卑怯者なのね。」
卑怯者?一体どの口で言っているの?
あなたたちが私を攫ったり、自分たちの手を汚さずにルナシーを痛めつけていたことは卑怯とは言わないの?
――ダメよ、ルイーズ。自分自身の怒りを、むやみに他人へと晒してはならない。
そうたしなめる懐かしい母の威厳のある声が聞こえる。
危なかった。己の本能のままに目の前にいる愚かを体現した者たちを焼き尽くすところだった。
「本当にあなたの理性は強靭ですね。そう言うところが昔から厄介だ。」
厭々しく言うマルダーの腕には黒いもや。どうやら私の方へと伸ばされている。
洗脳魔法か何かの類か。
思考が暴れたいという欲求とそれを抑えるもので揺れ動く。
でも、それよりもはるかに強かったのは『思い通りになんかなりたくない』と言う純粋な怒りだった。
「そう思うのなら、あなたの目はどこまでも節穴なのね。」
「何をするつもりだ!」と、慌ててこちらに手を伸ばしたところでもう遅い。
息を吞んで見守り震えていても関係ない。
守るべき、傷つけてはならない人々は全員私の後ろで眠っている。
それならば、問題はないだろう。
「お馬鹿さんたち、せいぜい苦しんでくださいな。」
――安心して。あなたたちは生かしはしないけど、殺しもしないから。
彼らとしっかりと目を合わせながら、私は割れたガラスで腕を切った。
「お、お前がそんな魔法を使うなんて、情報には……」
「誰だって、奥の手があるに決まっているでしょう。それが『鮮紅令嬢』だからって変わりないことよ。」
本当に奥の手中の奥の手を引き出されることになるなんて思わなかった。
腕から滴る血は純然たる火種だ。
ただの魔力よりも炎を猛々しく燃やす薪となる。
炎は人の背を超えるほど立ち昇る。
しかし、それは私を吞むことは絶対にない。
≪炎よ、その煉獄を持って罪なき人々を護る揺りかごとなれ≫
赤い炎は私の言葉に従い、眠る人々の安寧を護る籠となる。
煌々と燃え盛っているが、見た目ほど熱くはない。痛くもならないはずだ。
焼くのは彼らを苦しめるものだけだから。
≪炎よ、その怒りを持って愚者たちの罪を洗い流せ。≫
手をかざすと赤い炎は青くなり、怪しく揺らめき始める。
まさか、『鮮紅令嬢』が紅の炎ではなく蒼い炎を操るとは思わなかったのだろう。
不気味に揺らめくそれを見ては後ずさる姫君たち。
それが何を燃やすのかに気づいたのか、一目散に逃げだそうとするマルダー。
「知っているかしら、炎は青い方が熱いのよ?」
指をパチンと鳴らす。
炎はより大きく揺れ、彼らに噛みつくように絡みつく。
魔法を使って逃げようとしているみたいだけど、無駄な事ね。
「な、なんで。魔法が使えない。……一体何をしたの?!」
「うーん?ただ、燃やしているだけよ。あなたたちの魔力をね。」
「ありえない、ありえないわ」と嗚咽するアリーチェ。自分の置かれている状況を飲み込めないアンパロ。
そして、この期に及んで「お兄様はこんなこと話していなかった」と他人に責任を押し付けるグレース。
反応は三者三様だが、哀れにも思わない。
私自身の思考も焼き切れ始めているのか、目の前の惨状を見ても何も感じない。
「どこに行くつもりだ。まさか、お前だけ逃げるつもりか。」
「……」
なけなしの魔力で扉だったものをどけたからか、勘違いされている。
私だって卑劣な手を使ったことには変わりはない。
でも、マルダーのように自分のやったことに責任を取れないほど、愚かにはなりたくない。
「コホッ、コホッ。これで外の空気も、入ってきて新鮮な空気をよく吸えるようになるはず。」
ひんやりとした風が、優しく私の頬を撫でる。
炎をいっぱい出したから、火照り続けている体にはこの冷たさは心地がいい。
絶対に目をつぶっちゃいけないのに、体が冷まされていくと共に意識がまどろみ始める。
「星空……もう、こんな時間になっていたのね。」
炎で見えていた景色が明るかったから気付かなかった。
太陽なんてずっと前に沈んでいたらしい。
イヴァン様はどうなったのかしら。無事だといいけど……いや、彼なら大丈夫。
私よりも先に敵に気づいていたもの。
きっと、私がいなくなった後の対応もちゃんとしているはずよ。
「まだ、終わりたくないなぁ。……痛いよ、寂しいよ。」
未だに腕から血が滴り落ちるのを見ながら、そんなことを考える。
口から出る言葉はこんなにも弱弱しいが、変にこじらせた後悔はない。
少なくとも、リュミエールにいた時よりも心が満たされている。
でも、やっぱり思うのだ。
「もっと、イヴァン様と居たい。……最後に見るのは愛する人の顔がいい。」
やっと私の人生を歩み始められたというのに、こんなところで終わりたくない。
非情だ。
こんなにも生きたいという欲求があっても、体はだんだん感覚を失っていく。
「……放っておいて逃げて居ればよかったものを。」
視界の端に鈍く光るものが見える。
あれは刃だ。あれはお前の命を奪う。
頭ではそう理解していても、腕の一つも動かせない。
死にたくない。生きていたい。
「ルイーズ!!」
備えていた衝撃は振ってこない。
刃物が突き刺さるかと思えば、感じるのは誰かの体温。
私に向けて叫ぶ声はずっと焦がれていた人のもの。
「イヴァン様……探しに来てくれて、ありがとう」
本当に良かった。最後に彼の顔を見られて。
でも、最後に見た彼の顔が涙に濡れていたことだけは……。
「ルイーズ?ルイーズ!!……目を開けてくれ。」
「君の笑顔がもう一度見たいんだ。」
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