第36話確かに私は未熟者ではございますが……

 「あなたがいなければよかったのよ。あなたがいなければ、私は今頃……」


 3人の中で一番幼いアリーチェが、前に出ながら言葉を紡ぐ。

 その目には涙を目いっぱい蓄えられているが、どうにも白々しい。


 自分たちは私に害された哀れな羊だと思っている愚か者の演技。

 三流芝居でももっとうまくやっているわ。


 「『皇帝陛下のお妃と言う名誉を手に入れられたのに』とでも言おうとしているとか言わないでくださいね?」


 本当に高笑いでもしたくなる。

 敵に囲まれて絶体絶命の危機にさらされているというのに、嘲笑しそうになる。


 「本当にあなたみたいな下賤な女のせいで!!全部、全部うまくいかなかった!!」


 やめてくれないかな。甲高い声がキンキン鳴り響いて頭が痛くなる。


 自分のやりたいことが全部うまくいかないなんてざらだ。

 特に、国家元首の妻と言う立ち位置に立つなら嫌でも知ることになるだろう。


 生きていれば、誰だって当たり前にあることだと言うのに。

 とことん人生経験が浅いのね。


 「まぁ、それも今日で終わりですから。お嬢様方怒らないでください」

 「マルダー……」


 細い目を更に細め、ニタニタと人のことをまんべんなく観察する。

 私に対して何を思っているのかすら考えたくはないが、舌なめずりをするさまは身の毛もよだつ不快さを感じる。


 その彼が手に持つのは例の媚薬。

 蓋すらも空いていないのに、甘ったるい香りで頭がクラクラしそうだ。


 「さぁ、許しを乞える最後の機会ですよ。乞うたところであなたは幸せになれませんが」


 実際、今の状況は彼らの方が有利だと言えるかもしれない。

 身を振ってもほどけないほど固く縄で拘束されているし、体に力が上手く入れない。


 それでも、どうしてここまで偉そうにものを言えるのかしら?

 全てが万全に上手くいくとは限らないのよ?


 「誰が、あなたみたいな、倫理の欠片のない男に下ると思って?そもそも、以前一度負けたでしょう、私に」

 「……残念です。あなたが一度勝てたからと言って油断するような人だとは。失望しました。」


 やっぱり、思っていた通りだ。

 彼は私に復讐をする機会を見計らっていたのだろう。


 昔、幼かった私に呆気なく負けたこと。それが今でも彼の中に傷跡となって疼き続けているのね。


 逆恨みも大概にしてほしいわ。

 人の家族を襲い、それでいて盗みを働こうとしたもの。裁かれて当然の報いだ。


 「チッ、お姫様方。その女をしっかりと押さえつけて下さい。筋弛緩剤を入れているのでそう暴れないとは思いますが、念のためにお願いします。」


 私の煽りにいら立ちを覚えたのか、温和な口調を放り出し冷酷な雰囲気に代わる。 

 

 その程度なのか。

 こんなまだまだ未熟な子供の煽りなど、そのまま受け取らなければいいのに。


 一方で姫たちも乱暴に髪の毛を引っ張り私を地面に叩きつける。


 いいでしょう。押さえつけるぐらい甘んじて受け入れて差し上げましょう。

 少々痛いですが、これなら打ち合いとかで痺れたときの方が痛い。


 「それでは、さようなら。……可哀そうに、あなたの最愛は誰も助けに来てくれませんでしたね。あなたが未熟者なばかりに。」


 勝利を確信した笑みを浮かべて、マルダーは私の口に媚薬を注ぎ込む。


 甘くて苦い。まるで、私の今までの生きざまみたいな味だ。

 複雑で理解できない、人によっては不快感すらも覚えるだろう。


 頭がもうろうとして思考がうまくまとまらない。だんだん、ちからもはいらなくなっていく。


 からだがあつくてぽーっとしてきた。なにもかんがえなくてもいいや。


 「なーんてね。そんなに上手くいく話があるわけないでしょ?」


 突如として地面からせりあがる無数の鎖たちに目を向く愚か者たち。

 その鎖が炎を纏っていることも、より彼らの動揺を誘うだろう。


 でも、彼らにとって一番目を疑う光景はそれではない。


 「なぜだ、はずなのに、どうして!!」


 うるさいわねぇ。別に平気なわけじゃないのよ?

 多少は効いているから、生まれたての小鹿のように足が震えているのが見えないの?


 はぁ、確かに今までに比べたら強かったわ。


 耐性がついていて本当によかった。そうじゃなきゃ、本当に一瞬で廃人コースだ。

 思考が上手く纏まらなくなったときは流石に肝を冷やした。


 「あぁ、もしかして本当に私を完全に終わらせられるとでも思っていましたか?」


 我ながら今の言葉は実に悪役らしいものだと思う。


 でも、仕方がないじゃない。気分が変に高まって仕方がないの。

 きっと、媚薬の成分も原因だろう。


 だが、それと同じぐらい大きないら立ちが体の中で渦巻く。


 「今日は人生で初めての愛する人のデート。本来なら、心満たされる時間になるはずだったの。」


 初めてイヴァン様と街中で一緒に歩いたのよ。

 皇族だなんて関係ない。令嬢であることもすべてないことにして、等身大の男女としていられたの。


 それを無惨にも壊した者たちを何もしないまま、帰らせるほど私は甘くない。


 彼らは入念に私をどうにかする準備をしていたようだけど、無意味だわ。


 「確かに私は未熟者ではございますが、あなた方のように風情すらも持たぬ無法者ではありませんの。」


 私の周りで昇る炎の柱を見て、姫君たちは顔を引きつらせる。

 

 あら、キツネさんマルダーフント。どうしてそんなに驚いているのかしら?

 私が肉体だけを鍛えている脳筋とでも考えていたみたいね。


 鍛え抜かれた肉体から出される技だけだったら私は『鮮紅令嬢』だなんて呼ばれないのに。

 そのことを身をもって実感しているのにどうして理解できないでしょう。


 まぁ、どうでもいいか。


 「たくさんのを引き連れてやって来たみたいね。」


 舌打ちをしたマルダーは、虚ろな目をした人々を私の目の前に出現させる。


 彼らの瞳には生気がないというか、心臓が動いているだけで心は死んでいるのだろう。

 そして、その体からはあの媚薬の甘ったるい臭い。


 彼らは恐らくマルダーによって壊されてしまったのね。


 本当に倫理の欠片もない男だこと。


 「可哀そうなお友達は助けるわ。……でも、あなたたちには一切の容赦をするつもりは無い。」

 

 私は邪魔されることが一等嫌いだけど、人の尊厳を奪う行為は同じぐらい嫌いなの。

 

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