第35話イヴァン様とのお出かけ、迫る悪意
「それでは行こうか、ルイーズ。」
そう笑みを浮かべるイヴァン様は庶民に変装している。
白銀の髪はカフェラテみたいな淡い茶色に、冬の空のような瞳も髪と同じ色に染まる。
上質な布で作られた礼服も、工場で働く者たちのようなごわごわとした服に変えられている。
顔立ちはそこまで変わっていないから多少は目を引くだろうが、あまりにも印象が違いすぎるので誰も皇帝とは判断しないだろう。
「は、はい。イヴァン様。」
かく言う私もがっつり変装していることには変わりないけど。
どうしても目を引く金髪は黒に近い茶髪の三つ編みにして、『社畜令嬢』だった頃にかけていた大きな丸眼鏡で顔を隠す。
服もいつも着ているような真っ赤で装飾がいっぱい付いたドレスじゃなくて、質素なワンピース。
窓に映る自分の顔は傍から見たらどこにでもいる中流家庭の子女そのもの。
「帝城の外ではマクシムと呼んでくれ。あと、堅苦しい口調はいらない。」
「君のことはロゼと呼ぶから、さぁ行こう。」と、彼は私の手を取った。
目の前にあるは帝城前の石造りの門。
その先にあったのは、木造で出来た建物たちと和気あいあいと笑い合う人々。
今日は、イヴァン様と帝都の散策に来ています。
*
「ルイーズ、外を散策しに行かないか。」
「散策、ですか。まぁ、良いですよ、……いきなりどうしてですか?」
私が熱で寝込んでから、イヴァン様は私のもとによくやってくるようになった。
もともと一日に一回は来ていたが、二回は来るのが普通になっている。
一度やんわりと、「そんなにたくさん来ても大丈夫ですか?」と尋ねてみたことがある。
「来てはならない理由があるのか?」
あっけらかんとした顔で堂々と言われてしまっては、もう何も言うことができなかった。
彼が飴玉のような甘ったるい視線を寄越したことに動揺した私の負け。
それからは、もう日常の一部だと思って過ごすようにした。
より頻度が増える羽目になったけど、邪魔されているわけじゃないから割り切っている。
「最近はいろいろと落ち着いてきているだろう?それに、挙式をしたらさらに激務になる。そうなる前に二人で出かけたくてな。」
彼がどこかはにかみながら紡ぐ言葉で思いだす。
私がフリーギドゥムに来て2か月が経ち、結婚式を行うための打ち合わせが始まっている。
確かに、皇妃になったら時間なんてなくなるわね。
ほとんどの時間が公務に吸われてなくなってしまうのが容易に想像できる。
まぁ、リュミエールとは違ってすべて私がやるわけじゃないから、意外とそんなでもないかも。
ただ、時間が無くなることは確定事項だろう。
「それで、いつ散策しに行くのですか?」
「今からだ。」
――え、今からですか?
そんな驚きを口に出す間もなく、気づいたら変装が完了していた。
*
「やっぱり、都と言うのはどこも栄えているの……ね。マクシムさん。」
気を抜くとつい、元の令嬢口調になりそうなのよね。
リュミエールの王都もよく賑わっていたと思うけど、この帝都もそれに引けを取らない栄え方をしているみたいだ。
ただ、リュミエールとは違い、おおよその秩序が存在している。
兵士たちが至る所に立っているのも関係しているのだろうか?
「あぁ、そうだな。都の中でもこの通りが一番栄えているんだ。どうだ、ロゼ。あの屋台のスープを食べに行かないか?」
そうマクシムもといイヴァン様は、穏やかそうなおばさんが立っている場所を指さす。
彼の言うとおりスープでも温められているのか、冷たい風と共に食欲を刺激する匂いがこちらに漂ってくる。
せっかくなら楽しんでみたい。
「いいわね、是非そうさせてもらおうかな。」
「それなら、決まりだ。店主ー!俺たちにスープを一杯ずつくれ。」
彼はそのまま私の手を握って、店の方に向かう。
そのまま、私の手を握って……。
「ま、マクシム!?どうして、私の手を……。」
「どうしてって、決まっているだろう?俺たちは恋人だ。手を繋いでいても何もおかしくない。」
そうですけど、そうですけれども!!
手袋越しでも彼の体温が脈々と伝わってくる。
それを感じることで妙に気分が高揚して、気が狂いそうになる。
よく、恋愛小説で『異性と手を繋ぐとドキドキする』という描写があったけど。
ドキドキするなんてもんじゃない。
こんなの一種の劇物だ。顔中に熱さがぶわっと集まっていく感覚がはっきりと感じられて恥ずかしい。
「お嬢ちゃん、初心だねぇ。随分と見せつけるねぇ、坊ちゃん。」
わー!!
屋台のおばさんは可愛らしいものを見るような目で私を見つめる。
今日初めて知ったよ。
こういうのって他の人に指摘されるのが一番恥ずかしいんだ。
「あぁ、世界で一番愛している人と堂々と歩くのは何も悪いことではないだろう。」
前から思っていたけど、イヴァン様って結構私に対する好意ははっきりと言葉にするのね。
それがここまで破壊力があるなんて、今身をもって実感している。
「あ、あぁ、わぁ」
「おっと、これでは恋人が爆発しそうなので、そろそろ行く。」
「毎度ありー!」と快活に叫ぶおばさんを尻目に、イヴァン様はさらに腕を組むようにする。
さっきよりも直接温かさを感じる。
少しは慣れたけど、それでも外の寒さと感じる体温で、まだドキドキしている。
「……ロゼは、あまりこういう経験がないのか?」
上からかかる声に顔を上げると、申し訳なさそうに笑うイヴァン様。
「は、初めてなの。街中で逢引するのも、手を繋いだり腕を組んだりするのも全部。」
『貞淑であれ』――王妃教育の中で散々と言われてきた言葉だ。
だから、変に異性と接することは暗黙の了解で禁止されていた。
堂々と人前で手を繋ぐことも、愛の言葉をささやくことも全部。
身近な異性としてジョセフもいるけど、彼はあくまでも『弟』だ。血の繋がった家族だ。
本当に初めてなのだ。こうやって異性と恋人らしいことをするのが。
「そうか……。俺が君のはじめてになれてよかった。」
また、そんな風に私をときめかして……!
って、あれ?イヴァン様、照れている?
どんな表情をしているのかはよく分からないが、首元が真っ赤に染め上げられている。
どうして、いきなり照れだしたんだ?
「よ、よーし。次の場所に行こうか。」
まぁ、いっか。
彼は基本的に堂々としていて余裕があるが、そんな彼だって共に歩むときは恥ずかしがる時もあるんだ。
「ロゼ、あそこに髪飾りの店があるが、見ていかないか……ロゼ、後ろ!!」
腕を組みながら歩いていた彼が突然私に向かって叫ぶ。
少々浮かれていたからか、気づくのに少し遅れた。
影が腕になって私たちを覆いつくそうとする。いや、狙っているのは私?
こんな街中では魔法なんて使えない。どうすれば……。
「マクシム、信じているから。だから……逃げて。」
私はそう言って、影に吞まれた。
*
「ようやく起きましたね。お久しぶりです、ルイーズ様。」
「マルダー。それにどうして、あなた方がいるのかしら?」
目を開けて見えたのは、忌々しいマルダーフントと異国の姫君たち全員。
彼らは少なくない怨嗟の籠った目で私を見つめる。
「捕まっておいて、軽口をたたく余裕があるのはさすが『鮮紅令嬢』ですね。でも、その余裕はいつまで続くでしょうか。」
笑いながら彼が取り出したのは、例の媚薬。
きっと、彼は私にそれを打とうとしているのだろう。
でも、彼らは気づいていない。
追い込まれているのが、自分たちであるということに。
私が何も考えていないと思っているのだろう。
人の逢瀬を邪魔したのですから、その覚悟ぐらいしてもらってもいいですか?
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