第38話灯火は待ち人の声
「ここはどこかしら?私、確か……」
マルダーたちに攫われたところまで覚えている。
その後、何をしたのかが酷く朧げだ。
イヴァン様は、あの人は無事なのだろうか。
早く行かなくちゃ、彼のもとに帰らなくちゃいけないのに。
それなのに私はなぜ、暗闇の中を一人歩いているのだろうか。
「うっ、そうだ。あの時、炎を出してそれで……。」
血をあまりにもたくさん流しすぎてしまった。
媚薬と言うある種の毒に体が蝕まれて、限界を迎えていたらしい。
あぁ、なるほど。
つまり、今の私は死の淵を彷徨っているということね。
「最後に別れの言葉ぐらい、伝えたかったなぁ。」
あの時、私の体を抱えてくれたのはどう考えてもイヴァン様だ。
ぼんやりと視界に見えたあの白銀と、体を抱きかかえる意外と高い体温は確実にそう。
今更悔やんでもきっともう遅い。
それでも、どうしても悔しいのだ。悲しいのだ。
愛する人に別れの言葉すら告げることができなかったのが、胸を締め付けられるような痛みを与える。
もう、痛みすらも感じられないはずなのに。
「あきらめるの?さびしんぼうなかれをひとりにするの?」
こんな暗闇の中、人っ子1人いないはずなのに誰かの声が聞こえる。
声の方に振り返るとそこには1人の少女が立っていた。
丁寧に手入れされた輝く金の髪を1つに束ね、紅玉のような瞳を不機嫌そうに細める少女。
在りし日の私とそっくりな少女がそこにいた。
「せっかくしあわせになるきかいがあるのに、あなたはそれをほうきするの?」
彼女の幼く無垢な言葉は私の心をきつく締め付ける。
「それは……」
そんなの、放棄したくないに決まっている。
でも、今からどうすればいいって言うの?
生きているのか死んでいるのかも分からない状況で、何ができるの?
どうにかできるんだったら、もう動いている。
「やっぱりくるしいんでしょ?いやなんでしょ?……でも、素直に言葉にしないと何も伝わらないよ。」
幼かった少女は今の私と瓜二つの姿に変化する。
じりじりと距離を詰める彼女になにも返せない。
だって、彼女が放つ言葉は確かに間違っていないもの。
でも、そんなことできない。
素直に言葉になんかしたら、何一つ守れなくなってしまう。
「声に出しても、誰も守ってくれなかった。守らなかった。それが今でもあなたの中に残り続けているんでしょ。」
「そんなしょうもない気にしなくてもいいのに」とほほを膨らませる彼女は分かっていない。
あのきらびやかで人々を惑わす世界に、嘘や虚構と言う衣を身に付けないまま飛び込むなんて無謀なことできない。
事実、ヴィクトルと婚約していた時はそれがうまくできなかったからあんな結果になったわけだ。
今だって、中途半端にしかできなかったから、こんなことになっている。
「でもね、あなたの言葉に間違いなく救われたのよ。あの皇帝様は。」
頭に冷水でもぶっかけられたような言葉が耳に入る。
イヴァン様が私に救われた?
実際に救われたのは私の方だ。目の前の少女は何を言いたいのだろう。
何一つ言っていることを理解できない。
「彼があなたに『人生を謳歌したい』と言う熱を思い出させたように、彼もあなたのなんて事のない言葉で『明日を生きたい』と言う願望を芽生えさせたの」
「そんな、いつの間に……。」
え、何それどういうこと?
いつ、どこで会って、私はその言葉を彼に告げたのか。
一つも思いだすことができない。手がかりとなる記憶すら、何もかも。
彼女が告げた事実を咀嚼していくたびに、私の中で混乱は増していくばかりだ。
「それは目を覚ましてから聞けばいいじゃない。」
ビシッと彼女が指さす方には小さな光が見えていた。
光源としてはとても頼りないけど、この途方もない暗闇の中では眩いものだ。
もしかして、あの光は……。
でも、私はあれに手を伸ばしてもいいのだろうか。触れたところで虚構だっただなんてことはないだろうか。
『ルイーズ、君の笑顔がもう一度見たいんだ。』
ずっと聞きたかった人の悲痛な声が暗闇の中を反響する。
私を呼ぶ声が聞こえる。
行きたい。帰りたい。彼の、大切な人が待つ場所へ。
「まだ、死にたくない。生きていたい。最後まで全力で走り抜けていきたい。」
「……そう。それなら、全力であそこまで走っていこう。」
幼い私の幻影は私の腕をしっかりと掴んで走り出す。
小さくも気高く強く輝く光へ、がむしゃらに突き進んでいく。
さっきまで抱いていた憂いも苦しみもすべて薙ぎ払って、爽快な気分だ。
光の近くに着く。この光を通り抜ければきっと……。
彼女の方を振り向くと、足を止めていた。
そして、そのまま私の背を優しく押す。
「もう、大丈夫そうね。さっきまでの暗がりに沈むあなたはもういない」
「……あなた、一体何を。」
今更気づいてしまった。
暗がりであまり認識できていなかったから気付かなかった。
光の下、見える彼女の体は幽霊のように透き通っている。
「こんな不必要に苦しめるものは今のあなたにあってはならない。だから、どうかこれからの人生を楽しんで。」
――安心して、あなたの枷となるものは全て
優しくそう微笑んだあと、彼女は闇に溶けて消えていく。
それと共にどこか鉛のように重かった体が、羽が生えたように軽くなる。
「帰ろう、彼が待つ場所へ。」
光に手を伸ばす。
もう、ただ訪れる死に身を任せようとは思わなかった。
*
「いき、て、いる……?」
光の眩しさに目を顰めた後に見えたのは、ここ最近見慣れた部屋の天井だった。
少し痛みを感じる腕が、生きていることを実感させる。
あれから、何日が経ったのだろう?あの時、連れられてきた人たちはどうなったのか。
気になることは山ほどある。
ただ、それよりも見つけたい人がいる。
ろくに動かせない体で、できる範囲で周囲を探す。
「イ、ヴァン、様……どこ?」
会いたかった人は私のベッドのそばで、祈るように眠っていた。
ぼんやりとしか見えないけど、確かに彼の目の下に泣いた跡と薄くない隈が見える。
ずっと、待っていてくれたのね。
いつ目覚めるのか……そもそも、目覚めるかどうかすら分からない私のことを。
「ルイーズ?……あぁ、やっと、やっと目を覚ましたのか。」
――おはよう、ルイーズ。ありがとう、戻ってきてくれて。
目をこすりながら、穏やかな笑顔で彼は私に囁く。
あぁ、これだ。
私がずっと焦がれていたものは。ずっと、待ち望んでいたものは。
「イヴァン様……ありがとう」
掠れて、綺麗な言葉を紡ぐことはできないけど、今伝えたいことがある。
「ありがとう……あなたの声が、私をこっちに連れ戻してくれたのよ。」
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