X-6 「xiao (小さく、笑う)」


「え。じゃあオレは? 魔法使えるぞ」


 ディディは己を指差した。


「だから、ディディは不思議」

「強い性欲が、性差の垣根を超越して魔法が使えるようになったんだ、と思っていた。勉鈴に興味あるのか? ディディなら魔力があるから、できるかもしれんが、おすすめはしないぞ」

「違う違う違う。ユェが……」

「ユェに使う気かッ!」

「違う違う」


 ディディはブンブンと手を振った。「ユェが装備してるんだって」


 シャオの顔色が変わった。


「……清拭の際には、無かった」

「飲み込んでいるんじゃないか?」

「違う」


 ディディが言った。考えながら話す人間特有の、ポツリポツリとした話し方だった。


「ユェは胎内に生成した。自分の中の『運命の子』を閉じ込めるために。その維持に全MPを注ぎ込んでいる。だから──目覚めない」

「どうしてそう思う?」

「見てきたからさ」


 ディディは語り始めた。

『運命の子』が顕現していないユェを何度も殺した。腹を裂いて勉鈴を取り出し、その中身が卵と鈴であった事も確認した──と。

『運命の子』は食事として、周囲の人間を焼き尽くすと、その魂を喰らう。最初にユェと出会った村は餌場だった。焼け焦げた死体だったシーユェは、ただの食べ残しだ──と。


 聞いてなお、シャオは理解できなかった。心が叫ぶ声が聞こえる。したくなかった、と。


「なにを、言って、る……」


 シャオの喉が震えている。

 衝撃が、恐怖が、絶望が、怒りが、悲しみが、彼女の魂に振動を与え続ける。

 震え、震え、震え、震え。

 そして小さく、シャオの心にヒビを入れた。


「うー。うーうー。うーうーうー」

「あ、やべ。壊れた」


 ディディは舌打ちした。


 ──ッ ブツッ。──


     *

     *


「……清拭の際には、無かった」

「飲み込んでいるんじゃないか?」

「違う」


 ディディが言った。考えながら話す人間特有の、ポツリポツリとした話し方だった。


「ユェは胎内に生成した。自分の中の『運命の子』を閉じ込めるために。その維持に全MPを注ぎ込んでいる。だから──目覚めない」


 シャオが口を開きかけたが、ディディが手を開いてそれを遮った。


「『運命の子』を封じている勉鈴の維持には、たくさんの魔力がいる。それでMP切れを起こすんだったら、補給すればいい。ここに、無尽蔵の魔力を持つ天才魔法使いがいるではないか。MPパス、とかトランスファーメンタルパワー、みたいな術も当然使えます!」

「……嫌な予感しかしないぞ」

「……何が言いたい、ディディ?」


 シャオが恐々といったそぶりで聞く。以前、シャオから魔力を譲り受ける『エナジードレイン』の際には、「粘膜」「口同士」という単語が並べられたが、果たして──。


「魔力を分け与えるには当然、粘膜! オレの体液じゃないと駄目、って事にしよう!」

「って事にしよう、って何だ? しよう、って?」

「間違えた。駄目なんだ」

「マジか最低だな」

「ユェに、何する気?」

「ユェちゃん? ユェちゃんには何もしねーよ」


 意外な事を言う。シャオは大きく目を剥いた。ユェは栄養不足からか細く、痩せた体つきをしているが、顔の造形は整っており、品もあった。てっきり、とシャオは口走った。


「オレはロリ属性だけど、ロリすぎると、可哀想な気になるんだよな。可哀想なのは抜けない!」

「……何の事を言ってるかはよく分からないけど、最低な事を言ってるのだけは分かる」

「あと2年は待たないとな。さすがに無理だ」

「ユェは8歳だぞ!」

「知ってる」

「……最低だな」

「ディディは、だいたい、そう」

「オレが勉鈴を作れればなー。話は簡単なんだけどなー。男は作れないからなー」

「……なんか分かった気がする」

「……私も」

 

 顔を見合わせたシャオとズーチンを無視して、ディディは続ける。


「ユェの体内の勉鈴を包み込む形で、シャ……道士が別の勉鈴を作る。シャ……道士は当然、魔力切れを起こしてしまうから、シャ……その道士にオレが注ぎ込むッ! ──あ。魔力を、ね。魔力を注ぎ込む!」

「……くっ。人の命には代えられない」

「待て待て。早まるなシャオ!」


 目を閉じて天を仰いだシャオを、ズーチンが止める。


「その話だと、ユェの勉鈴が残ったままだから、ユェは結局、魔力切れのままで、目を覚まさないんじゃないか?」

「あ」


 ディディが口を開けた。


「先にユェの勉鈴を『解呪』で……」

「それ、その時点で『運命の子』出てこないか?」

「あ」


 ディディが頭を抱えた。


「シャオの勉鈴で包んだあと、『解呪』を……」

「一緒にシャオ──いやいやシャオが犠牲になるって前提はおかしいから、どこかの誰か──の勉鈴も消えてしまうだろ?」

「あ」


 ディディが空に叫んだ。「万策尽きたぁ!」


「……いや。いいヒントになった」


 シャオが言った。

 それは、決意を秘めた声色だった。


     *

     *


 ユェが目を開いた。焦点が合っていなかったが、何度もまばたきをしている内に、現実に気がついたようだ。上体を起こそうとして失敗し、首だけを動かす。自分の肩を見、腕を見た。

 不思議そうな表情で、空を見ていた。雲一つない青空だった。「……まぶしい」


「……おはよう、ユェ」

「だぁれ?」

「私はシャオ」

「小姐?」

「その呼び方はちょっと……」


 ぶふっとズーチンが吹き出した。「小姐」はユェの地方では「お姉ちゃん」の意味だが、シャオ達の言語圏では違う意味になる。「売春婦」と呼ばれたシャオは困った顔を浮かべた。

 浮かべたまま、うつ伏せに転がっていた。

 うつ伏せのまま、ユェを見ていた。

 魔力切れを起こしかけて、シャオは立ち上がれないのだ。ユェは起きあがろうとしたが、動かない手を見て、首を傾げた。ユェも魔力切れ寸前だった。


「私はズーチン。同じく道士だ」


 そう自己紹介しながら、ズーチンがシャオとユェの上半身を抱きかかえ、それぞれを座らせる。


 ユェは初めてシャオを見た。

 シャオも起きているユェを初めて見た。

 出会って5日が過ぎていたが、言葉を交わしたのも初めてだった。


「私、どうして……?」


 ユェの言葉がどういう意味を指したか、シャオには分からなかった。「どうしてここに?」「どうして目覚めた?」「どうして──世界が滅んでいない?」

 どんな意味でもいい、とシャオは思っていた。

 かけてやりたい言葉は一つだけだった。


「ユェ。よく頑張った。これからは私が一緒だ。ユェはもう──」


 一人じゃない。


 シャオがそう言うと、ユェの瞳が潤んだ。

 瞬間、次から次へと涙がこぼれていき、頬を濡らした。『厄災』である運命にあらがい、誰にも教わる事なく自力で『運命の子』を封印し、井戸で入水する事を選んだ天才少女は、ようやく──

 8歳の子供らしく、声をあげて泣いた。


 シャオは涙を浮かべた。本当は指で拭い取りたいところだったが、シャオは今、指先一つ動かせない。意識を失う寸前まで魔力を使わなければ、勉鈴は作れなかったのだ。

 結局、シャオは勉鈴を作った。ユェの体内の勉鈴を包むのではなく、同じ物を──寸分違わず。魔力の操作は得意だった。

 重ねるのではなく、強化。消費魔力を肩代わりするのではなく、分散させたのだ。

 その結果──ユェは目覚め、シャオも意識を失ってはいない。



 ズーチンはうんうんと頷きながら去り、再び2人の元に戻ってくる。手にしたナイフには、赤い液体がついていた。

 差し出したナイフを舐めるシャオ。唇の端に血が付着したのを、自らの指で拭い取った。シャオは体の自由を取り戻した。涙も拭う。


「きゅ、吸血鬼……」

「あー違う違う」


 怯えた眼差しを浮かべたユェに、ズーチンは手を振りながら笑いかけた。


「あれは補給」

「補給?」


 首を傾げたユェ。その耳に大音量で、男の叫び声が飛び込んできた。


「思ってたんと違うぅうううううううううううううううううううううううううううー!」


「誰?」

「補給対象を自分の『体液』とか言ったばかりに、指を切られた馬鹿」

「馬鹿、じゃない。ディディ」

「シャオの弟弟?」

「……続けて言わない」


 ぶふっとズーチンが吹き出した。



 シャオは立ち上がると、ディディの所へと歩いた。あぐらをかいた姿勢で、後ろ手に縛られている。その指先をズーチンが切ったのだ。今は乱暴に布が巻きつけられている。

 ちょこんと屈むと、シャオはディディの顔を真正面から見た。


「シャオ。ひどい」

「ひどくない。ちょっと血液をもらっただけ」

「体液ってそういうんじゃない」

「知ってる」


 そう言ってシャオはキスをした。

 目を見開くディディ。

 ズーチンはユェの目を隠した。


「シャ、シャオ」

「……やっぱり、ディディは嘘をついてた」


 頬を染めたシャオは舌をぺろりと出し──


「キスで魔力、回復しなかった」


 そう言って、小さく笑った。


     *

     *


   ─完─


     *

     *


「──まあ、こんなとこかな」


 ディディは縛られた縄をすり抜け、立ち上がった。その異常とも言える現象を目の当たりにしても、シャオは動じなかった。

 まったく動かなかった。まばたきも呼吸も、鼓動さえもなく──

 固まっていた。


 ユェも、ズーチンも、鳥も、落ち葉も、風も、光も、時間さえも──

 停止した世界で、ディディだけが動いていた。


「うーん。倍速は、やりすぎだったな。もう少し冒険を楽しみたいとこだなー。街と街との移動もあっという間だったし。サクサクしてて楽だったけど、逆に萎えるなー」


 ディディはコンソールを開き、操作する。


「でもまあ、エンディングまで見たから、次はもう少し早く周回できるな」


 そう呟き、ディディがこの世界から消えた。


 ──ッ ブツッ。──


     *

     *


「ラビアンローズド・ファイヤーボルト!」


 黒い服を着たディディの手から、真っ赤な火の玉が飛び出し、亡者の集団が弾け飛んだ。

 遅れて来た轟音と熱風。

 シャオは顔の前で両腕を交差させたが、隙間からの風で側頭部に付けていたシニョンが外れ、長い黒髪が舞った。


「ありがとう。私はシャオ」

「ディディと呼んでくれ」


 少年は少女と出会った──。

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