X-5 「X factor (特別な才能)」


 赤江省は山に囲まれた土地だった。混沌派の道士組合は村のほぼ中央にあり、その近くの病院にズーチンの妹、スーイェンは入院している。

 シャオ達は村の入り口が窺える木陰に隠れて、様子を探っていた。混沌派は人民を傷つけるのを躊躇しない武闘派集団だ。その本拠地に乗り込むのは容易く無い。

 敵対視されている穏健派の道士であるシャオは、まず警戒される。任務放棄で戻った事になるズーチンもよろしくない。『運命の子』であるユェはもってのほかだ。消去法で、ディディが潜入する事に決まった。

 村を囲む木製の柵は高さもなく、飛び越えるのは容易く見えたが、仕掛けがあるのか、全体が魔力を帯びている。当然のように、上空からの侵攻も想定済みだろう。


「要は無害化すりゃいいんだよな」

「おい! 正面から行くな」


 ディディはフラフラと歩いていくと、案の定、衛兵に呼び止められた。

 少しの会話を交わした後、衛兵が倒れた。目に見える村人が次々と倒れていく。受け身も取らず、顔面から血を流す者もいた。

 シャオとズーチンは駆け寄ろうとしたが、結界魔法に阻まれた。いつの間にかディディが展開していたものだ。村を囲む柵を、さらに包み込む大きさだった。王都の結界と同等だったが、それは魔法使いが10人がかりで作り上げたものだ。単独で、なし得る物じゃない。

 しばしズーチンは目をしばたかせていたが、ディディが同時に別の魔法を発動させていたと知ると、口を大きく開けた。

 ディディは『睡眠』を唱えていた。しかも村人全員──魔法抵抗力が高く、熟睡をする事がない道士や、その師までも──を眠らせる規模と濃度。どれほどの魔力を持っていれば可能な技なのだろうか。シャオは肩をすくめた。


「つくづく、人間離れをしてる」

「まさかここまでとは……。ただのクソエロ猿じゃなかったのか?」

「高性能すぎる、クソエロ猿」

「聞こえてるっつーの」


 ディディが結界を解いた。魔力残滓が濃厚に目視できる。シャオは口元を覆った。



「全員、殺す?」


 混沌派道士の建物に入るなり、ディディが言った。足元には道士服を着ている妙齢の女性が倒れていた。その腕を踏んでいる。


「待て待て。混沌派より過激な奴だな。──こら。姉弟子を踏むな!」

「そっか。ズーチンちんの知り合いか」

「待て待て待て。なんだその呼び方は」

「可愛くない?」

「可愛いとか可愛くないとかそういう……」

「殺すのは、よくない」


 虐殺をシャオも、シャオの流派も認めていない。


「でも、コイツら放っておくと、今度はズーチンちん以外の刺客を送ってくるだけだ。ユェはずっと狙われ続けてしまうぞ」

「ズーチンの安全も、確保したい」

「それは助かるが、そんな都合のいい事はできやしない」

「ユェは『運命の子』じゃなかった事にするか?」

「無理。ユェ自体に僵尸が群がる。その現象を、どうにかしない限り、自明だ」

「いっそ、混沌派が、ユェの存在を、忘れてくれるのがいい」

「消すか記憶」

「そんな事できるのかっ!」

「オレはこの世界で、できない事などない」


 かがみ込むと、ディディは倒れたままの道士の額に手を当てた。3本の指がすっとめり込んだ。『忘却』の魔法を唱える。魔力が迸る。


「混沌派は何人いるんだ?」

「私を含めて17人」

「よっしゃ。次々いこう」


 建物の中には12人いた。ディディはその全てに『忘却』をかけると、今度は『感知』を発動させた。「おっしゃ。近くに2人発見!」


「……もう何でもありだな」


 辺りが夕焼けに染まる頃、ようやくディディの『睡眠』の効果が切れてきたらしい。村人が目を覚ます。ズーチンのそばにいた道士が、頭を振って起き上がった。


「……ここは?」

「ここは道士組合ですよ。貴女は眠ってい……」

「私は誰? 何も、思い出せない!」


 ズーチンはディディを睨んだ。


「加減ができないんだよなー」


 ズーチンと他に2人を残してはいたが、混沌派の道士組合は本日、滅んだ。



 窓から入った風がカーテンを揺らしている。ベッドの脇に立つズーチンが手を伸ばし、眠るスーイェンの頬を撫でた。乱れていた髪を直してやる。

 ふとスーイェンが目を開けた。ズーチンに焦点が合うと、「姐姐!」と言って体を起こした。


「帰ってたの? 寂しかった!」

「ごめんね妹妹」


 そう言って頭を撫でるズーチン。

 その様子をシャオは扉の陰から伺っていたが、ディディに声をかけた。


「何か、分かった?」


 ディディはステータス画面を見ていた。そこに白い文字で『Siyan(13) 状態:呪い』と書いてあるのを見、親指を立てた。スーイェンは心臓の病気ではなかった。ならば魔法が効く。


「オレに任せとけ」


 ディディが『解呪』を唱えた。



 ──ちりーん──



「姐姐! 私、苦しくない!」

「良かった。良かったねスーイェン!」


 抱き合う姉妹。涙を浮かべて喜び合う様は、見る者に幸福感を与えるだろう。

 だが、ディディはシャオの方を見ていた。

 しかし、シャオは背負ったユェを見ていた。

 鈴の音が、聞こえた。

 ちりん。


 音の出所を探そうとシャオが動くたびに、澄んだ鈴の音が聞こえる。背負ったユェから聞こえるのは間違いないが、鈴など彼女は持っていない。風呂で何度も裸にし、汚れを拭いてやったのだ。間違いなく、ユェは鈴など持っていない。


「そういや装備品の、アクセサリの所に、『勉鈴』ってあったな。なんだ、勉鈴って?」

「……ディディはいつも、言うのが遅い」


 勉鈴は膣に入れる呪具である。用途は様々だが、ディディが『解呪』を唱えた途端に鳴ったという事は、それまで何かの術が発動していたという事だ。

 何が発動していた? 恐る恐る後ろを振り返るシャオの耳に、聞こえた小さな声。


「……お腹、すいちゃったな」


 そう、ユェが言った。しっかりと目を開き、抱き合う姉妹を見て、言った。


 ちりん。


 途端に。

 ズーチンが。

 スーイェンが。

 炎に巻かれ、消えた。


 悲鳴は一瞬だけで、その火力の高さを物語っていた。舌なめずりをするユェ。


「まだ……足りない」


 ちりん。ディディが燃える。

 ちりん。シャオに火が着いた。

 ちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりんちりん……。


 ──ッ ブツッ。──


     *

     *



「オレに任せとけ」


 そう言ってディディはシャオからユェの体を下ろすと、毛布にくるんだままで床にそっと寝かせた。その周りを結界魔法で囲む。王都の結果以上の頑強さを誇る、大陸随一の結界だ。


「……何を、やってる?」

「内緒。ヘルヘイム・ディスペル!」


 ディディは『解呪』を唱えた。

 スーイェンから『呪い』が消えた。


 ちりん。


「駄目かあぁああ」


 ──ッ ブツッ。──


     *

     *


「オレに任せとけ」


 そう言ってディディはシャオからユェの体を下ろすと、毛布にくるんだままで床にそっと寝かせた。


「何を、やってる?」

「シャオ。『勉鈴』ってどういう呪具だ?」

「……こんな所で、言えるか馬鹿」


 頬を紅潮させて断るシャオの肩を掴み、顔を合わせてディディは再度頼み込む。


「頼む。人命がかかってる!」

「な、何をっ」


 シャオがディディの目を見た。しばらく見つめ合う。「……わかった」

 感情を切り替えたように説明を始める。


「勉鈴は2つ連なった玉だ。膣に入れて使う」

「なんで?」

「用途は色々ある。本来は中に鈴が入っていた。だから『勉鈴』と言う。動くたびに音がする」

「あーわかった。要は、乳首に付けるアレ、みたいなやつだな。あれはロマンだ」

「中に水銀を入れる場合もある」

「水銀? なんで?」

「水銀はゆっくりと玉の中で動く。その遅れて来る振動が──その、良い、らしい」

「シャオは詳しいのな」

「違う違う! 誤解だ! お前は誤解をしている」

「またまたー。恥ずかしがる事じゃないぞ。若いうちはみんな、そういう事に興味があるもんだ。好奇心旺盛なのはいい事だ」


 騒ぎを聞きつけ、ズーチンが2人のそばまで寄る。「何の話をしてる?」


「ズーチンちんは勉鈴って知ってる?」


 ディディの首を掴むと壁まで押しやり、目線だけで妹の様子を伺ってから、聞こえないような声でズーチンがなじる。「お前、何を言って」


「そんな有名な物なんだな。使ったことある?」

「普通、そんな事聞くか?」

「呪具だ! 今は性具よりも呪具だから、私もズーチンも知ってる! 道士としての基本的知識。由来を知ってるのも、当たり前!」

「へぇー。ふぅーん」

「その、にやけ顔、やめて」

「──あそっか。鈴とか水銀とかって。中身を替えられるのか」

「そう。情報を他国に持ち込んだり、閨房に毒を持ち込んだんだり。中に術を施した札や石を入れておけばその魔法の恩恵に預かれる。麝香を入れておけば妊娠の予防にもなる」

「魔力物質で作っておけば、術者の意思で、即時の開封も可能だ。回復の薬を、入れておく者も、いる」


 シャオの言葉を聞き、ディディは人差し指をピンと立てた。


「シャオやズーチンがベーって出す瞬間移動する札、どうやって収納してるのかと思ってたんだけど、勉鈴だったのか。小さい物を歯に結びつけておいて、いざという時に出す。なるほどね」

「見せた事、あったっけ?」

「下に入れる物を、上で飲み込んでいるのか」

「言い方!」

「それ、オレも使える? シャオが飲み込んでるやつ、貸して。使ってみたい」

「貸すわけ、ない」


 シャオはそう拒絶したが、赤面したとは別の理由があった。他人が作った魔法物質は、魔力を通しても解放できない。緊急脱出用の札を仕込んでいても、取り出す事ができないのでは意味がない。


「それにそもそも、勉鈴は女にしか作れないし、使えないぞ。男と女はそもそも違う」

「なるほど。男は中に出す、女は中に入れる事ができる構造だからだな」

「だから、言い方!」

「構造の問題じゃない」

「あーそーだよね。男だってそういう趣味の……」

「性質の話だ!」


 遮るようにズーチンが言った。それはディディにとって衝撃的な言葉だった。


「魔力とは生命そのものだ。女は子を孕む。その腹で魔力を保持する。男はできない。作る事もできない。男は──魔力を持たない」

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