P-3「Pieces of a dream -polyhedron -」
なにか悪い夢を見た。
その苦しさで飛び起きる。
*
悪夢を見た。
苦しさで起きた。
*
悪夢で。
起きる。
*
どうやら毎晩毎晩、毎晩毎晩毎晩、悪夢を見ている──らしい。
らしい、というのは必ず記憶に残っていないからだった。
毎晩、僕は自分の叫び声で目を覚ます。
上半身だけを起こした態勢で、何かにすがるように手を伸ばし──その手を布団に下ろす頃には、自分がなぜ汗だくになっているのかわからくなっていた。
身じろぎせずに記憶を探るが、欠片も残っていない。
「また、か……」
暗い部屋。
枕元の携帯で時間を確認する。──午前4時17分。夜明けにも、設定したアラーム時刻にも、出勤時刻にも、遠い。
「だいじょうぶ?」
彼女の声がした。「また、夢見たの?」
「またもや、そうみたい」
「またしても記憶は?」
「またぞろ覚えていない」
「またまたー」
それは使用例が違うぞ。僕は恋人の藤崎いづみを抱きしめた。
彼女は応じて、抱きついてくる。
「起こしちゃったな。悪い──」
「悪くないですよー」
藤崎は笑って頬にキスをする。「あなたが心配なだけ」
私も起きちゃおう、そう言って藤崎は、跳ねるような動作でベッドから降りた。んーっと大きく伸びをする。パジャマは青色。寝起きだからポニーテールはまだ存在していない。肩より長い髪を藤崎は簡単になでつけた。
「目、覚めちゃいましたし、ご飯、食べませんか?」
「それはいいんだけどさ」
「何です?」
「敬語に戻ってるぞ」
藤崎は慌てたように口元を覆った。恋人の関係になった時の約束を思い出したらしく、わざとらしい仕草でふくれた。「つい、です。わざと、です」
「どっちだよ」
「寝起きなんだからしょうがないでしょ」
「しょうがないな」
「うっかりってことは、誰にでもあります」
「あるな」
「ちゃっかり、ってことは誰にでも」
「しっかりボケるな」
「大体、誰が起こしたと思っているんですか」
それは僕だ。
まぎれもなく僕の方が悪い。
けれど、謝罪を口にするべきタイミングには思えなかったので、代わりに僕は彼女の名前を呼んだ。「──藤崎」
「なんですか」
「ご飯、食べないのか?」
「食べます!」
*
悪夢を見たらしい。
苦しさで起きた。
*
「──DDA?」
「そッス」
伍如田文吾は手をひらひらと振って、うなずいた。否定か肯定かわかりにくかったが、本人の癖なのだから仕方がない。
夢を見る。でも覚えてない。だったらやっぱDDAッスよ、と、伍如田はドンと音を立ててジョッキを置いた。飲み干した液体と同じ色をした髪をかきむしり、熱く語る。声が大きいのは生来の物でもあったが、喧騒に負けないためでもあるようだ。
居酒屋。
あっちでサラリーマンが、こっちで疲れたサラリーマンが、そっちで仕事に悩むサラリーマンが、各々群れていて──
暗い顔で酒を食らい、泣きながら飯を食らい──
違うのは僕達くらいだった。
バイトをやめた社会人1年生と、そのバイト先の書店に入れ替わるように入ったフリーター。同じシフトに入った期間は引き継ぎの間のわずかだったけれど、僕と伍如田は不思議と馬が合った。そこそこ珍しい苗字同士ということもあったかもしれない。
だから、久しぶりに吞みませんかという誘いを断ることはしなかったし、臨時収入が入ったので奢りますという申し出を受けたわけだし、会話が途切れた頃に思い出して、覚えていない夢の話を話したところだった。
「DDAはー、好きな夢を見る事ができるんスよ」
あ。お姉さん生一発お願い……まちがえたまちがえた、生一丁お願いするわ。
などと、店員のひきつった笑顔を気にするそぶりも見せず、セクハラ野郎は言った。「夢のセーブができるんスよ」
「……それは面白い」
「だしょ?」
伍如田は食べ終えた枝豆の皮を容器に投げ入れる。「だけじゃなくって」
また投げた。
「何度でも同じセーブから再開できるし」
またまた投げた。
「設定イジればある程度、方向性も決めれるし」
よたび放り投げた。
「時間設定もできるので、毎日の睡眠にも対応」
5度目は外れた。
冷ややっこの皿に突入した皮を箸でつまんで、僕は答えた。
「すごいな現代科学」
容器に皮を戻した。「どういう原理でそんなことが可能なんだ?」
「詳しくはわかんねッスけど」
そう言って伍如田は前髪を持ち上げる。
額の中央の上──
ちょうど髪の生え際当たりに、小さな穴が開いていた。最初、ほくろかと思ったが、よく見れば銀色をした金属が埋め込まれている。
「コネクタ」
伍如田は言った。「これで接続するみたいッス」
「痛くないのか?」
「今は全然ッスね。最初は……ちょっと」
痛みの感じ方は人によって違う。この男の言う「ちょっと」は僕にとっての「だいぶ」かもしれない。
さておき。
「センパイ、ラグビーって知ってるッスか?」
それはさすがにバカにしすぎだ。
僕の目つきで、言いたいことがわかったらしく、誤魔化すみたいに伍如田は手をヒラヒラさせた。「アレのヘッドキャップ、あんな感じのを頭にかぶりやす」
「やわらかいのか?」
「固いッスねえ。金属製ッス」
「軽いのか?」
「重いっスねえ。気ィ抜いたら頭もげそうになるッス」
「じゃあ──」
一番気になっていた質問だ。「高いのか?」
まあまあ。そう言って伍如田は教えてくれた。
金銭感覚は人によって違う。この男のいう「まあまあ」は、僕にとって……。
「論外だ」
中途だったジョッキを僕は飲み上げた。「問題外だ!」機能から想像できる金額を、超えていた。彼女と挙げるために──貯めている結婚資金の、半分以上が消える。夢の内容を知るためだけに、そんな贅沢をしてしまうつもりはなかった。
もしそんな事をしたならば──
藤崎は、怒る。
絶対に、怒る。
「埒外だっての!」
何言ってるのかわかんねー。そう言って伍如田も合わせてくるようにビールを飲んだ。ほぼ同時に飲み上げ、「お姉さーん」追加注文という名のセクハラを繰り出す。「生ナカ2発、違った。生中2杯追加でー」
今回は営業スマイルさえ浮かべてくれなかった。
「お前よくそんな高価な物持ってるな」
僕がそう尋ねると、伍如田は口をゆがめた。笑ったつもりらしい。
「女ッス」
「彼女か?」
「頼んだらオレの女が買ってくれたんスよ」
オレ愛されてるんで。そう言って、伍如田は手をひらひら振った。
「写真見るッスか?」「いや、いいよ」「ま、ま、そういわずに。すっげえ可愛いんスよー?」「いや特に興味は」「ほらこれとか」「……あー、確かにかわいいな」「だしょ? ほら、ほら、これとか、これとか」「はいはい」「ほら大阪行った時の」「あーはいはい。確かに……ブッ!」「あ。ヤベ」「お前それ彼氏として見せたらマズイやつ!」「いやーセンパイだったら、いいっしょ。ホラ、ホラ」「見せるな!」「本当は見たいんじゃないッスか?」「見たら人として終わる!」「オレの女、見られたらコーフンするんスよね」「知るか!」「テクもすげえッスよ。ほらこんなことまで」「見せるな!」
……できあがった酔っ払いが2人。
周りの白い目に気付かずに、僕たちは笑いあっていた。
*
うなされて僕は飛び起きた。
また夢を見ていたらしい。
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