第三章 五話 月女神の義手

仲間の刃が迫る。

 モルドの剣先が、クリスの胸元を正確に狙っていた。


「やめろぉぉぉ!」カイムが叫んだ。

 だが駆け寄るより早く、クリスはぎゅっと瞳を閉じる。


 ――その瞬間、モルドの剣が止まった。

 彼の体が震えていた。

「……違う……これは、幻だ……!」

 苦しげに呻きながらも、再び剣を振り上げようとする。


 モルドの中では、仲間はすべて魔物に見えていた。

 その幻影を打ち砕くため、彼は自らの肩に短剣を突き立てた。


「ぐっ……ぅぅああああああっ!!」

 鮮血が飛び散り、痛みによって頭を焼くような幻惑が破られる。

「俺は……騎士だ! 仲間を守る剣だ!!」

 モルドの咆哮が聖堂に轟いた。


 その瞬間、空気が震えた。

 ガブリエルの微笑が深まる。


「強い意志ですね……ですが、無駄なこと」

 彼女は左手を掲げる。純白の手袋が淡く光を帯び、月の紋様が浮かび上がった。


 ガブリエルは誇らしげに告げる。

「これは“月女神の義手”。神が狩人に与えた力。……あなたたちも、光に貫かれて終わりなさい」


 光が形を成し、手袋から弓が顕現する。

 弦を引くたびに眩い矢が生まれ、空気を震わせた。


「まずい……!」カイムが剣を構える。


 矢が放たれた瞬間、複数に分裂し、雨のように仲間たちを襲った。


「来るぞ!」

 カイムは剣を振るい、迫る矢を弾き落とす。

 ルーカスは両手をかざし、赤黒い力場を展開して軌道を逸らす。

 だが数が多すぎる。

 一つ、二つ――矢が防御を抜け、仲間の方へ飛んだ。


「カイム!」

 クリスが両手を掲げる。光の障壁が瞬時に展開され、矢を受け止めた。

 だが威力は凄まじく、障壁はひび割れていく。


「くっ……まだ……!」

 クリスはさらに神性力を込める。

 障壁が強く輝き、矢を反射した。

 一筋の閃光が逆流し、ガブリエルへと迫る。


 ガブリエルは眉をひそめ、別の矢で撃ち落とした。

 だが、その笑みは少しだけ固くなる。

「ほう……私の義手の矢を跳ね返すとは」


 クリスは膝をつき、荒い息を吐いた。

「……こんなの、長くは……」

 それでも、視線はまっすぐにカイムを見つめていた。

 ――カイムを守る。それが私のすべて。


 その姿に、カイムの胸が締め付けられる。理由は分からない。ただ、彼女を失ってはいけないと、魂が叫んでいた。


 その刹那、モルドが雄叫びを上げた。

「退けえぇぇぇぇ!」

 大剣が唸り、神官も兵士も一撃で薙ぎ倒されていく。

 彼の剣筋は圧倒的だった。敵が数で押し寄せても、彼の前では無意味だった。


 モルドは一直線にガブリエルへと突撃した。

 ガブリエルが矢を放つ。だがモルドは怯まず、真正面からその矢を切り払う。


「――っ!」

 ガブリエルの瞳にわずかな驚愕が浮かんだ。

 その瞬間、幻惑の霧が揺らぎ、仲間たちの視界が晴れていく。


「今だ!」モルドが叫ぶ。

 カイムたちは一斉に前へ踏み込んだ。


 その光景を前に、ガブリエルの笑みが初めて揺らいだ。

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