散ってくれ、ゼラニウム。そして、こい願わくば、

甘栗むかせていただきました。

第1話


時間とは、無情にも激しく相対的で、俺の気持ちが先行するほど、ゆっくりと進んでいく。

電車に乗り込んだのはいいものの、1駅1駅の停車時間さえもどかしい。

新大阪駅まであと何十分かかるのだろうか。

不甲斐なくも、俺にはそう思慮することしか、出来なかった。


俺には幼なじみなる人がいた。

付き合いは幼稚園の頃からだから、もう十数年だろうか。

今思えば、何をするにも一緒だった気がする。

初めて映画に行った時も、初めて花を贈ったのも、初めての喧嘩も、初めての恋も。


正直、このまま関係が続くと思ってた。

成長の遅さに甘え、惑わされ、移りゆく現状から目を逸らしていた。

その報いが来たのだろう。

彼女が東京へ転校することになった。

父親が栄転する影響らしい。

小さい頃から良くしてもらっていたおじさんだが、手放しには喜べなかった。


結局今日になってようやく、現実を見れるようになった。

昨日の昨日まで、この現実を夢と信じてやまなかった。

電車のドアが音を立てて閉じてゆく。

「次は、南吹田に止まります。」

そう、アナウンスが流れると共に電車が再度動き出す。

彼女の出発まであと15分。

後悔と自責の念にかられ、冷房の効いた部屋にもかかわらず、汗が吹き出す。

同時に、手を強く握りしめた。

その時か、手の中に冷たい感触を感じた。

目を下ろすと、そこにはピンクの花弁を可憐に広げる、ゼラニウムの花束があった。

彼女へのはなむけのために贈る、ゼラニウム。

この気持ちに別れを告げるためのゼラニウムである。

思考の海へと感情を落とし、失念していた。

握りしめたせいか、茎が少し曲がっている。

それを丁寧に伸ばすと、俺は決意を固めた。


汽笛の音ともにドアが開く。

俺は丁寧に花を抱えると、新幹線のホームへと走り出した。

階段を駆け上がり、入場券を取り出して改札へと差し込む。

母親が、どうせと、買っていたものだ。

心の中で感謝を告げながら、26番線ホームへと目を一身に向けた。

エスカレーターへ足を乗せる。

手元のゼラニウムの香りが、辺りへと立ち込める。

暫くすると、エスカレーターの奥から、茜さした。

エスカレーターの出口から風が吹き込む。

花束を揺らしながら、外を知らせるかのように。

気持ち長いエスカレーターの旅が26番ホームへと到着し、終わりを告げる。

ちょうどその時だった。

14号車の後ろ入口に見慣れた横顔と、靡く長髪が見えた。

俺は咄嗟に名前を呼ぶ。

彼女が振り返るのを待たぬまま走り出す。

彼女が少し驚いたような、安心したような顔を向ける頃には、俺はその手に持つゼラニウムを突き出していた。

言いたいことは沢山あった。

だが、時間がなかった。

自分の要領の悪さに嫌気がさす。

何を伝えるべきか、何を言いたいのか、そう考えてる間に、勝手に口が開いた。

「俺、絶対に会いに行く。

だから、その時まで待っててくれ。」

俺はこの時、涙でぐしゃぐしゃだったと思う。

「ありがとう」

そんな俺に彼女はそう微笑んだ。少し目元を濡らしながら。

俺にはそれが肯定に取れて仕方がなかった。

彼女は車両に乗り込むと、こちらへ向き直し、花束を抱えていた手を振る。

俺はそれに振り返す。俺の手には綺麗な紫苑色をしたアネモネの押し花が握られている。

俺が彼女に昔贈ったそれが、綺麗に時を停めている。

同時にドアが閉まる。

そして新幹線は摩擦音を立てながらこの地を経った。


あれから7年がたった。

まだ青春を謳歌できていた俺も立派にも、悲しいことにも、社会へと出ている。

目の前には、あの時遠くあった品川駅。

いつも通り改札に入り、いつもとは違う方向へと向かう。

電車に揺られ過去に耽ける。

あの日を懐かしむ。

そうしているうちに、目的の駅へとたどり着いた。

数分歩いただろうか。横をすぎる白い柵から、その香りと淡い色を誇示するかのようにゼラニウムが顔を出していた。

その玄関の前へと立ち止まると、インターホンを押す。

甘い、春の香りがした。

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散ってくれ、ゼラニウム。そして、こい願わくば、 甘栗むかせていただきました。 @kuri-manju3131

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