村へ着くと

 夜明けがすっかり村の上に落ちていた。

 アテルイとカノンは、崩れた祠を背にしばらく黙って歩いていた。

 潮の匂いがまだ鼻に残る。風は冷たく、夜明けの光はどこか灰色がかっていた。


「……村に着いたら、どう説明する?」

 カノンが口を開いた。

 その声には疲れがにじんでいたが、どこか冷静でもあった。


 アテルイは短く息を吐く。

「アラハバキは倒したことにする。あれだけの戦いだった。遺骸も何も残らなかった、でいい」


「カヤは……?」

 少しの沈黙のあと、カノンは小さく続けた。


「……あの混乱の中で、命を落としたことにしよう。巻き込まれた、と」


 アテルイはうなずき、焚き火の燃えかすを靴で踏んだ。

「都合のいい嘘だが、今はそれしかない。人は“神が去った”より、“神を倒した”ほうが信じやすい」


 二人はそれ以上何も言わなかった。

 ただ、海風の吹く坂道を、黙々と村へと歩いた。


 そして――村に辿り着いたとき、二人は息を呑んだ。


 そこにあったのは、もう“村”とは呼べぬ光景だった。

 焼け落ちた家、割れた桶、焦げた藁。

 地面には黒い煤と、乾いた血の跡。

 ところどころに倒れた人の影。

 風が吹くたび、灰が舞い上がり、あたりを白く曇らせた。


「……これは」

 カノンの声が震えた。


 そのとき――どこか遠くで、かすかな悲鳴が聞こえた。


「生存者だ」

 アテルイは即座に駆け出した。

 焼け焦げた塀を飛び越え、崩れた家の間を抜ける。


 そこにいたのは、二人の村人。

 血まみれの体を引きずりながら、何かを振り払おうとしていた。

 その前に立ちはだかっていたもの――


 それは、**半ば腐り落ちた“巫女装束の女の死体”**だった。

 白い衣は泥と血で染まり、黒く腐った手がぎこちなく動いている。

 生気のない瞳が、ゆらりとアテルイを見た。


「……あれは」

 カノンが呟く。

「カヤが着ていたものと同じ装束です。今は言葉より先に、倒すべきです」


 アテルイは薙刀を構えた。

 火の反射が刃に映る。

 一瞬の風切り音。

 次の瞬間には、腐った首が宙を舞っていた。


 倒れた死体はどさりと崩れ、苦しげに痙攣したかと思うと、

 次の瞬間には灰となって消えた。


 助けた村人たちは、震える声で口を開いた。


「昨夜……夜中のことです。

 あの巫女様が、死人を連れて戻ってきて……! 村長を、村長を最初に……!」


「歩く死体を?」

 アテルイが眉をひそめる。


「ええ。夜のうちに何人も連れて行かれました。

 “アラハバキ様の怒りが村を滅ぼす”と叫びながら……それから、あの火が」


 カノンは目を伏せ、唇をかすかに震わせた。

「……やはり、あの女がすべての元凶だったのですね」


 アテルイは頷くと、静かに立ち上がった。

「これはどう考えても、アラハバキのせいではない」


 彼は空を見上げた。煙の向こうに、薄い朝の光が差している。

 焦げた木々の匂いが、海風に流されていく。


「行こう、カノン。まだ終わっていない。

 あの老婆がどこへ消えたか、確かめねば」


 そのとき、一人の男が追いすがるようにアテルイの袖をつかんだ。

「ま、待ってください……! まだ村人がいるんです!」


 アテルイが目を細める。

「生き残りが?」


「はい……私たちは家に隠れていましたが、

 村の多くは夜明け前に船で海へ逃げました。

 “無人島”の方角に向かったはずです。今頃は、あそこに……!」


 男の声はかすれ、血で濡れた手が震えていた。


 アテルイとカノンは互いに視線を交わす。

 老婆を追いたい思いはある。だが、村人の命を見捨てるわけにもいかない。


 アテルイは短く息を吐き、うなずいた。

「……詳しく話を聞こう。その島の場所を教えてくれ」


 カノンも小さく頷き、糸を巻き取った。

 風が吹き、焼け跡の灰がふわりと舞い上がる。

 ――その灰の中に、微かに“巫女の声”が混じっていた気がした。



 二人は顔を上げ、遠くの海を見つめた。

 朝の陽が、灰色の波にゆらりと反射していた。

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