第34話 リズムの罠
足元のステージは、眩しいネオンの矢印で埋め尽くされていた。
上から降ってくる光のマーカーと、機械から流れる騒がしい音楽。
(こ、これは……戦場!?)
いいえ、これはただの「ゲーム」だと分かっている。
だが私にとっては見慣れぬ奇妙な舞台。
彼は「楽しそうでしょ?」と満面の笑みを浮かべているが、正直に言うなら――恐怖で足がすくみそうだった。
「お嬢様、ルールは簡単です。音楽に合わせて、光ってる矢印を踏むんです」
「…………」
私は黙って頷いた。
だが内心は叫んでいる。
(矢印を踏む? 何それ、軍の訓練か何か!?)
庶民は既に準備万端。両足を軽く開き、画面を真剣に見据えている。
まるで決闘のときのような眼差し。
……なのに、やっているのは庶民の遊戯。
「じゃ、始めますね!」
ピッ。電子音と共に曲が流れ始めた。
――テッテッテッ、ターン!
「うぉぉ! よしよし!」
彼が軽快にステップを踏み、次々と矢印を踏み抜いていく。
……驚いた。予想外に身軽でリズム感もある。
庶民のくせに、やけに様になっているではないか。
(な、なによ……ちょっと格好いいじゃない)
ハッ、と気づいて顔が熱くなる。
だめだめ、これは幻覚。庶民が格好よく見えるなんて、絶対にあってはならないことよ!
「お嬢様も! ほらっ、来てますよ!」
「っ、は、はい!?」
慌てて画面を見ると、下から大量の矢印が迫ってきている。
わ、わたくしも踏まなければ――!
「えいっ!」
ガシャンッ!
……。
(い、今の音、妙に重くなかった?)
彼が横で「そっち逆ですよ!」と叫ぶ。
逆!? どっち!? わ、分からない!
「やぁぁっ!」
バシャンッ!
「お嬢様! それタイミング早すぎです!」
「~~~~っ!」
もう顔が真っ赤だった。
何よこのゲーム! 矢印が速すぎてついていけない!
しかも音楽がうるさすぎて、彼の指示もよく聞き取れないし!
(お、落ち着きなさい、アイリス。あなたはヴァレンタイン家の令嬢。完璧であることを宿命づけられた存在。庶民相手に失態など……!)
そのときだった。
「おおっ!? コンボきた!」
彼のステージが光り輝き、スコアが弾けるように伸びていく。
リズムに乗りながら爽やかな笑顔を見せ、まるで舞うようにステップを踏んでいた。
(……っ!)
その姿を見て、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
まさか、この私が庶民に――見惚れている!?
「お、お嬢様もいけますよ! 合わせて!」
「し、仕方ありませんわねっ!」
私は必死に足を動かす。だが矢印に追いつけず、画面に「MISS」の文字が連続で表示される。
「くっ……っ!」
完璧な私が、庶民の前で、失敗を重ねている――!?
音楽が終わり、結果発表。
庶民:Sランク。
私:Eランク。
「……」
(こ、これは……)
彼は汗を拭きながら、「楽しかったですね!」と笑っている。
私は唇を噛みしめ、必死に表情を取り繕った。
「べ、別に……! 庶民の遊戯に本気を出すほど愚かではありませんのよ」
「えぇー? でも、もうちょっとやれば絶対上手くなりますって」
「……っ!」
その言葉に胸が跳ねた。
まるで励まされたみたいに聞こえて、心がざわつく。
(な、なに? 私は屈辱を返すためにここに来たのよ。なのに、なぜ庶民に――慰められてる気がするの?)
心の中で混乱する私をよそに、彼は次のゲームを探してきょろきょろと歩いていく。
その後ろ姿を見つめながら、私は無意識に胸元を押さえていた。
ドクン。ドクン。
(ま、待ちなさいアイリス! これは違う! これは屈辱の鼓動よ! 決して庶民に心を動かされたわけじゃ……!)
けれど、その鼓動はいつまで経っても止まらなかった。
(……それにしても)
この男、今日はどこか雰囲気が違う。
思い出す。
決闘のとき、あの夜のこと。
私は一度も負けを知らなかった。
未来を読む《星霊演算》があれば、どんな敵も私に触れることすらできない。
連邦の将来を嘱望される存在として、常に完璧を求められ、常に結果を出してきた。
――それなのに。
あの夜、私は抗うことすらできなかった。
初めて指図され、初めて押し倒され、初めて「従え」と命じられた。
その強引さは、今まで出会ったどんな人間とも違った。
(あの時の彼は、もっと……圧倒的で、恐ろしいほどだった)
口惜しいけれど、身体は抗えなかった。
心は屈辱で焼け爛れていたのに、肉体は――あの快楽に逆らえなかった。
……今でも忘れられない。
あの瞬間、私は確かに女としての「絶頂」というものを知ってしまったのだから。
だが――今、目の前にいるスコールはどうだろう。
矢印を踏む庶民の遊戯で必死になり、景品のぬいぐるみすら満足に取れない。
護衛たちの視線に怯えて、周囲をきょろきょろと見回している。
そして私に対しても、あの夜のような強引さではなく、どこか気を遣うような態度を見せている。
「……」
(違う……。同じ人間だとは思えない)
あのとき私を蹂躙した彼と、いま隣にいる彼。
見た目も声も確かに同じはずなのに――何かが決定的に違う。
「お嬢様、次はどこに行きます?」
振り返った彼は、いつもの間の抜けた笑顔を見せた。
庶民らしい、垢抜けない、だが不思議と憎めない笑顔。
その瞬間、胸の奥でざらりとした違和感が広がる。
(……あなたは誰?)
思わず問いかけそうになって、唇を噛んで飲み込んだ。
まさか「あなたは本当にあの夜の男なのか」なんて聞けるはずがない。
そんなことを口にすれば、私があの夜の出来事を引きずっていると自白するようなものだから。
プライドが許さない。
令嬢たる私が、そんな弱みを見せるわけにはいかない。
(でも……確かに違う。あの夜の強引な男と、いま目の前にいる少し頼りない庶民。どちらが本当の“彼”なのかしら)
心の奥で、疑念と期待が交錯していた。
「えっと……クレープとかどうですか? 甘いもの、好きです?」
彼が照れ臭そうに提案してきた。
庶民らしい浅い発想。
私は思わず口元に笑みを浮かべた。
「……まぁ、付き合って差し上げますわ」
言いながらも、心はざわついていた。
屈辱と快楽の記憶を呼び覚ます“あの夜”の彼。
そして目の前で不器用に笑う“いま”の彼。
どちらが本当なのか、私はまだ答えを持てない。
――けれど。
もし両方とも「スコール・キャットニップ」なのだとしたら……
私はこの庶民から、もう目を逸らせないのかもしれなかった。
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