第33話 2人きりの空気



ざわめく護衛たちを背に、私とスコールはゲームセンターの奥へと歩き出した。

沙希の眼光は最後の最後まで背中を射抜いていたけれど……まあ、放っておきましょう。


「……」

「……」


…………静寂。


(な、何よこの空気!)


彼と二人きりになったというのに、会話が途切れた途端、途方もない居心地の悪さが襲いかかってくる。

背後に護衛がいたときは、まだ監視されている緊張感で誤魔化せた。

だが今は、誤魔化すものが何もない。


私は平然を装って歩調を合わせているけれど、胸の奥はドクンドクンと落ち着かない。

庶民はどうかというと……横目でちらりと盗み見ると、彼も同じようにぎこちなく口を結んでいた。


(なによ……まさか私と二人きりになって緊張しているのかしら?)


……いや、それはそれで当然の反応よね。

私はヴァレンタイン家の令嬢にして学園主席。庶民が緊張しないはずがない。


……でも。

その顔は、緊張というより――妙に居心地悪そうで。

なんというか……犬が主人の顔色を伺っているみたいで……


(ちょ、ちょっと! なんでそこで犬を連想するのよ私! 庶民よ!? 目の前にいるのは紛れもなく庶民なんだから!)


思わず頬が熱くなるのを感じ、慌てて視線を逸らした。


「……あ、あの」


先に口を開いたのは彼だった。


「……何かしら」


「お嬢様って、こういう場所……初めてなんですよね」


「……ええ」


私は小さく頷く。

さっきのクレーンゲームを成功させたときのことが脳裏をよぎった。

彼に勝ち誇って見せた自分の姿を思い出し、思わず胸がくすぐったくなる。


「その……意外と楽しんでましたよね」


「っ……!」


不意を突かれて足が止まりそうになった。

危ない危ない。ここで狼狽えるのは令嬢として失格。


「べ、別に。楽しんでいたわけではありませんわ。単に、勝利したから心地よかっただけです」


「はは……勝利、ですか」


彼はどこか諦めたように笑った。

……その笑顔に一瞬、胸が跳ねる。

(な、なに!? なんで笑顔なんか見せるのよ! 不意打ち禁止!)


気づけば私たちは、また別のゲーム機の前に立っていた。

ネオンライトが瞬き、賑やかな電子音が飛び交う。

彼がきょろきょろと周囲を見回しながら、ぽつりと呟いた。


「……いやぁ、でも、なんか不思議だな」


「何がですの?」


「だって、こうして二人っきりでゲーセン歩いてるのに……お嬢様、全然オーラ隠せてないっていうか」


「……!」


思わず頬が引き攣る。

オーラを隠せていない? つまり、庶民相手に気を抜いているということ?

そんなはずはない。私は完璧な令嬢。常に気品を纏い、誰の前でも隙を見せないはず。


(……いや、でも。確かに……先ほどの射撃ゲームでは、夢中になって声を上げてしまったわね)


「ちょ、ちょっと! 何を言っているのかしら? わたくしは常に完璧よ!」


「そうですか? でも……俺からすると、ちょっとだけ楽しそうに見えましたよ」


「~~~~っ!」


もうダメ。頬が熱くなる。

庶民ごときに「楽しそう」なんて思われるなんて、屈辱以外の何物でもない。

……なのに、胸の奥でじんわりと広がるこの感覚は何?


(くっ……落ち着きなさい、アイリス。これは罠よ! あの日の屈辱を返すための場だというのに、庶民の笑顔なんかに惑わされてどうするの!)


沈黙を破るように、彼がまた口を開いた。


「……あの。次は、俺が決めてもいいですか?」


「……ええ。好きにしなさい」


私はあくまで余裕を装い、頷いてみせた。


(内心は……ちょっとドキドキしてるけど)


彼は顎に手を当てて考え込む。

……その仕草が、思ったよりも真剣で。


「よし。次は――あれだ!」


指差したのは、派手な看板の光るエリア。

「ダンスゲーム」と大きく書かれている。

画面には派手な矢印と音楽に合わせて踊る人影が映し出されていた。


「……は?」


私は一瞬で顔を引き攣らせた。


(ちょ、ちょっと待ちなさい! ダンス!? まさかこの庶民、私に踊れと言うつもり!?)


頭の中で鐘が鳴り響く。

屈辱的な夜の記憶が蘇る。あの時の無力感、強制された快楽……。

あんな姿を再び晒すなど――


「お、お嬢様! やりましょうよ、ダンスゲーム!」


満面の笑みで振り返る庶民。

……あぁ、やっぱり。


「……貴方、死にたいのかしら?」


「ひっ……!?」


思わず出てしまった本音のひと声に、彼は一歩後ずさった。

だがその瞳は、恐怖よりもどこか期待に輝いていた。


(……こ、この男。やはり只者じゃない)


胸の奥で、再び複雑な感情が渦巻く。

屈辱を返すはずだったデートが、気づけば私の方が翻弄されている。


(でも――いいわ。受けて立ってあげる)


私は大きく息を吸い込み、毅然とした態度で庶民を見据えた。


「望むところよ。……貴方、私のダンスに跪いて泣くことになるわ」


「え、えぇ!? そ、そんな大袈裟な……!」


庶民は慌てて手を振ったが、もう遅い。

これは決闘よ。

クレーンゲームもガンシューティングも、ただの前哨戦にすぎない。


――今度こそ、私が完全勝利を収めてみせる。

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