第16話 鏡よ鏡、俺は今日から色男だ
鏡の前に立った俺は、まるで処刑場へ向かう囚人のような顔をしていた。
……いや、違う。違うだろ俺。これは処刑じゃなくてデートだ。たぶん。おそらく。きっと。
けれども心臓の鼓動はどう考えても「死刑宣告を待つ囚人」のテンポだ。胸の内側からドンドン響き、喉がひゅうひゅう鳴る。
「よし……落ち着け。最大限のファッションで行くんだ」
口に出してみたが、効果はゼロだ。
そもそも俺はオシャレの“オ”の字も理解してない。服の選び方なんて「清潔」「動きやすい」「洗濯が楽」くらいしか考えてこなかった。だが今回は違う。相手はアイリス嬢――学園一の貴族令嬢だ。ちょっとでもマシに見せなきゃ話にならない。
制服か? いや、堅苦しすぎる。
ラフなシャツか? いや、庶民感丸出しだ。
あーでもない、こーでもないと手持ちの服をベッドに投げ散らかし、ようやく「黒シャツにグレーのジャケット」という結論に落ち着いた。下は細身のパンツに、磨き上げた編み上げブーツ。多少は大人っぽく見える……はず。
「なにをそんなに自分の姿ばっかり眺めてんだよ」
頭上からあくび混じりの声が降ってくる。
「竜には人間の苦悩なんざ理解できねぇだろ」
「理解する気もねぇな。見栄えに必死な宿主なんざ初めて見たぜ」
「うるさい。俺の命がかかってるんだよ!」
「命っていうか、童貞の命運だろ?」
「殺すぞ」
こいつと意識を共有するようになってから、碌なことが起きていない。
そもそも、どうして俺の体にテンペストが棲みついてるのかさえ未だによくわかっていないのに、勝手に動き回っては混乱を撒き散らす。決闘の結果も、あの四日間で何があったかも、ちっとも教えてくれやしない。
「……とにかく、鏡の前を飛ぶな! 襟の角度と前髪を調整してんだ!」
「はぁ、細けぇ男だな。戦場でそんなもん気にする奴はすぐ死ぬぞ」
「戦場じゃなくてデートに行くんだっての!」
言い返す声が裏返って、自分で情けなくなる。
だがそれでも、必死にジャケットの裾を整え、袖を折り、第二ボタンを開けてバランスをとった。香水は持ってないからミントのブレスシートで口内を清める。氷河期みたいに冷たいが、まあいい。
「……よし。少なくとも“変な奴”には見えないはず」
「安心しろ。処刑場に立つ囚人としては最高に仕上がってる」
「だから処刑じゃなくてデートだって!」
テンペストは肩にちょこんと乗り、にやりと笑った。
「ま、心配すんな。少なくとも“屈服”はさせてやったからな」
「だからその言い方やめろって! 段階があるだろ、段階が!」
「想像力を鍛えろよ、兵士だろ?」
「鍛える方向が間違ってんだよ!」
机の引き出しをふと見る。そこには例の黒い布――黒パンティー――が眠っている。あれを思い出すたび胃が捻じ切れそうになる。……見ない。絶対に見ない。
ジャケットの裾をもう一度叩き、ブーツの紐を締め直す。
よし。出発だ。
――待ち合わせは学園の校門前。
少し早めに行っておく。待たせるよりはいい。
寮を出ると、夕暮れがキャンパスを柔らかく包んでいた。
噴水広場は橙色に染まり、マナ灯の白光が水飛沫に虹を描いている。上空をドローンが旋回し、紫紺に傾く空を点滅で縫っていた。
石畳を踏みしめるたびに、胸の鼓動が大きくなる。
深呼吸。……ミント強すぎて涙が滲む。
並木道を抜け、門柱のそばに立つ。
金色の紋章が灯りに浮かび、ゲートの青い円環が淡く脈打っている。
待ち合わせにはまだ早い。だからこそ、余計に緊張が膨らむ。
「……大丈夫、だよな」
「大丈夫だ。お前はもう囚人じゃねぇ。これから処刑官に会うんだからな」
「言い方ぁぁぁ!」
喉が渇く。掌に汗が滲む。
だが、鏡の前で仕上げた俺を――今度はここで見せる番だ。
門の上空に、星がひとつ瞬いた。
俺は息を整え、アイリスを待った。
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