帰路-短編-
@hukumameinosuke
第1話
21時30分、日中の刺さるような暑さから一転この時間になると長袖でも特に暑さを感じない。
アルバイト先の出入口前で、同僚と社員にお疲れ様ですとテンプレートを貼り付け言葉にすると私はガラスの扉を開け退勤する。
1日の中で唯一私が好きな時間、アルバイト先からの帰宅である。
バイト先は街の中のビルの2階にあるので階段を降りて生徒などが使う駐輪場の横をあたかも生徒と先生という関係は教室内以外では存在しないかのようにたち振る舞う。
私の最も使う最大の武器は、音楽を身につけ外界とのコネクションを断ち切ることである。
好みの音楽と言うよりもただ単純に移動中の興味のない喧しい生活からの離脱という目的である。
今日も例に漏れず私はこの武器を使用する。車が横を過ぎ去る音、通行人の会話、飲食店などの営業音。
全て私にとってはどうでもいい事
しかし、そのどれも世界が回るなら絶対に発生する音、だからこそ私はこの音を少なくとも私の世界ではなくそうと画策しているのである。
大通りに面したアルバイト先から少し歩くと花屋がある。いつもやっているのかどうかすら分からないが、看板などの具合から長年愛されているいわゆる老舗ではないかと考察している。
行き帰りどちらでもこの花屋を見る。
花は好きだが、花に対しての価値というのはどうしても過大評価ではないかとも思う。
花を渡すことで愛情や感謝を表せるというのは一概に見た目の華やかさや鮮明な色に帰着する。
まぁ結局のところ花屋のステルスマーケティングと等しい。大体花言葉なぞ誰が決めているのか、決めている人間のエゴで不幸な花言葉をつけられ人に寄贈される機会が減る。そんな不幸な花だって存在するのだ。
しかし、花など所詮ただの植物の1つでしかない。
どこまでいっても道端の雑草と成分的には一緒だ。しかし、派手なドレス(花弁)を纏っているから注目されているだけなのである。
そんな事を毎回思っている訳では無いが、今日も言い難い空腹と吐き気に苛まされているからかどうしても物事を偏屈に思考してしまう。
交差点にある花屋の横の横断歩道を渡ると、また信号に捕まる。どうしたものか。信号に捕まる間、何気なしに往来する車を謁見する。
今日もまた、名前も知らない人間たちが忙しなく車を使い家族の元へと帰るのだろうか?
少なくとも家庭に帰るはずだ、家庭は自分の城であるからこそ、そこに向かう人間の表情は家庭の様子を表す。
帰る瞬間まで日々の単調な繰り返しの蓄積を隠そうとするもの、家庭に早急に帰還したいもの、自分の城に置いてきた無粋な使徒に落胆するもの。
非常に興味深い。
往来する車の中にいわゆるファミリーカーに乗った家族連れがあった。
パパ!今日ははやくかえって〜というテレビを見たいといった私の子供時代のイメージに基づく例のような子供はもういないのではないか?
今はスマートフォンとやらの普及でどこに行ってもICなんちゃらの煽りを受けていてうんざりする。
アルバイト先の子供もすぐデジタルに手を出すが、やはり私は紙に何かを書き残してほしい。これは私が古典的な人間だからだろうか?もちろん、現代人のドレスコードとしてスマートフォンなどを使用しているが、その実これのおかげで幸福になった事は殆どない。
慢性的な承認欲求、不眠症、疲労感、集中力の欠如、不眠症、不眠症。
これら全てこの厄災がなければなかったのかもしれない。
しかし、これがなくては本当に世界とのコネクションが切れてしまう。だから一種の損切りが出来ていない状況なのである。
信号が変わり、道路を横断する。
反対側の歩道を歩いていると後ろからやってくる自転車に抜かされていく。
すっかり真っ暗になっているのに街灯のおかげでかなり街は明るい。しかし、明るいだけでその実、機械的な光に暖かさは感じない。
慣れ親しんだ、路地に入るとそこには行きつけの喫茶店がある。名前はなんといったかもうそれすら問題ではない。その喫茶店には同じような普段の生活から漂流してきたガリバー達が馴染みの煙草を嗜みながら、こだわりの珈琲を呷る。どこかしこにも自分の居場所がないと思っていたから、私も足繁く通った。しかし、今日はこの娯楽に身をおけるほどの余裕がない。
習慣としては店に入り、まるで人形のような、いかにも喫茶店で働く為の店員がいるだけのこの理想郷に訪れたいものだ。
喫茶店の豆の芳ばしい匂いを鼻腔に携えながら私は帰路の途中に戻る。
路地は一方通行であるため、私は後ろのみに注意を軽く向け、舗設が行き届いていない道を慣れた足運びで進める。眠い。空腹だ。
1つ思い出したことがある。
私は昨日人を殺した。
しかし、世間は特に私に目を向ける訳でもなく日常は進んでいく。
僅かな罪悪感と猜疑心が心に浮かぶ、しかし、何も変わらない街の表情に夢の中にでもいるのではないか?と思い、帰路を頭の中でなぞる。
喫茶店を過ぎるとちょうどT字路になっている。
さしてここで挟むほどではないが、かの友人とはここでよく身の上話をしながら徘徊したものだ。
その道沿いにはよく私がこの先交差するはずがないだろうの身分の方々が贔屓にするような和食料理屋があった。
和食料理屋と言ってももちろん、入場したことがある訳では無いが、仕事へ向かう最中よくまさに料亭の料理人といったような装いの人間が忙しなく仕込みのものを持ち運んでいたのを見ていたのと、高貴な方々の見送りを気立てのいい和服をきた女性がしていたので探偵的な考察でしかない。
21:40分、空腹に苛まれながら静寂と時間の止まった我が家に向かいながら、料亭を横切るとすぐに駐車場がある。
特段この駐車場に縁などはないが、そこに配置されている自動販売機で売っている缶の炭酸飲料には思い出が確かにある。
元来私は酒が好きではないが、やはり、私も疲れることがある。その時に、ここの自動販売機で炭酸飲料を買い、家で乾いた喉を荒々しい炭酸で潤す。
その瞬間疲れを忘れるが、やはり空腹の胃袋に炭酸を入れると栄養はないのに空虚な満腹感がある。
これのせいで深夜になるまで食事を取らずに、作業ができる。しかし、体調は悪化し、含まれるカフェインのせいで覚醒してしまう。不眠症であるがゆえに入眠を遅らせるのは命取りである。
自動販売機を過ぎると、すぐに公園が鎮座している。
日中こそ子供の甲高い笑い声などで賑わっているが、この時間ではやはり閑散としている。
公園内にあるベンチで大学生程の若者たちが、粛々と静かな会話をしている。彼らには彼らの悩みがあるのだろう。しかし、超能力者ではないので他人の思考など分からない、興味も殆どない。
自分で精一杯なのに他人の事なんて請け負えるほどの自信など到底ないのだ。
公園と続く形で、今は使われていない大きな廃校がある。
しかし、廃校といっても街のイベントや選挙などで使われているために、かの物語で出てくるような朽ち果てたものではない。
だが、やはり使い古されているのかどことなく寂しい雰囲気だ。廃校とは生気がないのに生きている忘れられたオーパーツのようなものだ。
ここに私の悩みと不安の種を埋められたらどれだけ心持ちが楽になるだろうか、ただ単にここまでの回想では私が人を殺したからそれを埋めたいと考えられるかもしれないが、実際には私も死んでいるのである。
生物的には生きているが死んでいるという状態がやはり正しい。意識は体に内在しているが数多の追われるような事が私を圧迫しているからこそ防衛本能的に私は私を殺してしまった。
廃校の横をすぎて少しすると大通りに出る。ここまで来るともはや説明することもない。
大通り沿いをふらふら疲れながら歩いて行くと最後に教会が見えてくる。
この教会は教会らしからぬこじんまりとした様子で、人気すらなく誰かが入っていくのすら見た事がない。
神を信じることで救われるなら自分の犯した罪でさえも赦されてほしいものである。しかし、自分にとっての容赦とはそんな貼り付けたような優しさではなく本質的にいえば誰かに自分のことを説教してもらいたいのだ。
しかし、自分の目の前にある人のような形をした生物だったものを見ると私は誰にも赦されない存在であることがわかる
さて自分のマンションに到着し鍵を開けるとやはり自分が家から出た時と何も変わらない。私が生活していないこの部屋はただの空間であり、時間経過以外変化するものもない。日々の生活で出たゴミを捨てに今日もゴミ箱へ向かう。
この日常の裏で凄惨な事件が起こっていたとしても当人の心が何も変化がなければ私の住むこの部屋と同じように時間経過のみが存在することになる。
そして、ロッカーに潜む肉の塊は、今日も私の心を蝕む
帰路-短編- @hukumameinosuke
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