第8話 神や運命にさえも見放されたボクは——(主人公side)
——ゴゴゴッ……。
逃げられないように鎖で縛られたボクの身体の触れる床が軽く揺れる。
パラパラと砂のようなものも落ちてきた。
もしかしたら上で何かあったのかもしれない。
——でも、それがどうしたというんだ。
あと数時間もすればこの世から消えるボク——クラリスにとっては、全てどうでもいいこと。関係ないんだから。
どうせ誰も、神も、運命さえもボクのことは助けてくれない。
誰かがボクを助けてくれる——そんな淡い希望は六年前、盗賊に捕えられた時に捨てたんだ。
あの日のことはいつだって思い出せる。
あの日ボクは、病気に伏せる幼馴染のお母さんを少しでも良くしようと幼馴染と一緒に森に入ったんだ。
大人のみんなに『絶対に入るな』と言い付けられていたのに。
でも……まるで姉妹みたいに一緒に育った幼馴染の悲しそうな顔がボクはどうしても見ていられなかったんだ。
彼女には笑顔でいて欲しかった。笑顔が何よりも可愛い子だったから。
ただ——子供二人で森に入って何もないわけがない。
森に入ってはいけないと言われていた理由は、その森を盗賊が根城にしていたからだ。
彼らはそれなりに手練れで、村に常駐する兵士たちだけでは太刀打ちできないほどだった。
そんな盗賊に——運の悪いことにボクたちは出会ってしまった。
当時九歳のボクたちでは、戦うことはもちろん逃げることすら出来ない。
ボクたちはあっさりと捕まってしまった。
あの時ほど怖くて、心細くて、息苦しかったことはない。
全身から血の気が引くような恐怖も。
まるで世界に自分だけしかいないと錯覚するほどの心細さも。
無理矢理水の中に顔を突っ込まれたみたいに息が出来なかった苦しさも。
どれも——未だに忘れることができない。
思い出せば身体の震えが止まらない。生きた心地もしない。呼吸もし辛くなって、視界がチカチカしてしまう。
それほどまでの恐怖を、ボクはあの時植え付けられたんだ。
しかし、そんな時だった。
突然——気を失った幼馴染を担いでいた盗賊の頭がなくなった。
ボクには何が起きたか分からなかった。
ただ、次の瞬間には頭のない首から血が噴き出し、死んだ身体が力なく地面に崩れ落ちて地面に血溜まりが形成されていた。それを理解するので精一杯だった。
でも、ボクはその時吐かなかった。
あぁ気持ち悪いなぁ……とは思っていた。でもまるで目の前の光景が演劇を見ているかのように現実味がなかったんだ。
ただボクを担いだ盗賊の動きは速かった。
仲間が死んだと分かると同時に駆け出していたのだ。
そのせいでボクは血の匂いを嗅ぐことなく、余計に現実味が湧かなかったのだと思う。
ただ、ボクは揺れる視界の中で見てしまった。
——幼馴染を抱く少年の冷めた瞳を。
その瞬間、ボクは見捨てられたのだと悟った。
あの少年はボクを助ける余力があったにも拘らず、敢えて何もしなかったんだと。
ボクの中で困惑が渦巻いた。
え……? は……? な、なんで……? どうして? 見捨てられた? ボクだけ? わざと?
分からない。意味が分からない。ボクが何をしたっていうんだ。
ボクはただ、幼馴染の彼女に笑ってほしかっただけで……それ以上何も願っていなかったのに。
というか、ボクと君は初対面のはずなのに。なのになんで……なんでなんでなんでなんでなんで——
——そんなゴミを見るみたいにボクを見るの?
もう何も、誰も、分からない。
ただ、そんな中で分かることが一つあった。
——ボクの人生は、今日この日に終わったのだと。
遠ざかる幼馴染との距離が、その予感を顕著にさせ——その後に歩むことになった人生の道のりが証明してしまっていた。
ボクを捕まえた盗賊の頭は、別の場所で捉えたのであろう人々と一緒に奴隷商に売り飛ばした。
その後オークションにて、ボクは年上と思われる数人の少女と共にクライフィーバー家のガリバードに買われた。
「……みんな、いなくなったなぁ……」
そう、ボクと一緒に買われた少女たち——ボクが姉のように慕っていた四人の少女は、六年の間に全員消えてしまった。
ガリバードは別の者に売り払ったとか解き放ったなどと言っていたけど……ボクだって馬鹿じゃない。
——あの男が自らが手中におさめた女を手放すわけがない。
きっと、今のボクのように殺されたんだ。
ボクが一番長くいられたのも、ただお姉ちゃんたちより歳が下だっただけ。
今までどれだけ嫌なことであろうとあの男の言うことを聞いてきた。
逆らえば罰を食らうから。たまに悲鳴が聞こえてきたりもした。怖くて、寝れなかった。
ボクも、誰も逆らうことなんて出来なくて……ボクたちに出来たのは、ひたすらに従順でいることだった。
でも、あの男にとってはそんなことなど関係ないのだろう。
「まぁ……ボクの場合はちょっと違うかもしれないけどね」
三日前、ボクの十五歳の誕生日のことだ。
ボクはガリバードに呼ばれた。
呼ばれた場所は——寝室。
言われなくても分かる。
あの男を少しでも知っている者なら誰でも。
——純潔を捧げろ、と言っているんだ。
あの男は舐め回すように下卑た目でボクの身体を見つめていたから、一切隠す気もなさそうだったが。
とはいえ、今さら何ということはなかった。
どうでも良かった。どうせボクの未来に希望はないんだから。
でも——つくづく運命というのはボクが嫌いみたいだった。
結果としてボクの魔力が暴走。純潔を捧げることはなかったが……暴れる魔力に当てられ負傷したことで激怒したガリバードによって——身体を封魔の鎖に縛られ、こうしてただ死を待つことしか出来ない無様な姿を晒している。
「……ボクを殺さないの?」
ボクは、先程から一言も発しないガリバードに目だけを寄越して尋ねる。
だが、ガリバードはまるでボクの言葉が聞こえていないかのように微動だにしないどころか、少し前まで浮かべていた愉悦に満ちた歪んだ笑みも消えていた。
「……ご主人様?」
「うるさい、少し黙れ」
今まで聞いたことのないほど余裕のない声色。
焦燥感に駆られているかのように、苛立たし気に顎髭を撫でている。
……何かが、おかしい。
先程の地震といい、ガリバードの様子といい。
もしかしたら、この邸宅で何かが起きているのかもしれない。
一体何が? 誰が、なんのために? もしかして——
「……っ」
ダメだ、考えちゃいけない。
これ以上はいけない。
——ゴゴゴッ……!
……っ、無駄なんだよ。
全部全部、考えるだけ無駄なんだ。
——ゴゴゴッ!!
そうだ、分かっているじゃないか。
ボクは運命に悉く見放されているんだ……っ。
「くッ……!? ば、馬鹿なッ! 何故だ、何故儂の元に……ッ!」
……………。
……一回だけ。
もう一回だけ、願ってもいいかな……?
これで最後にするから。
もしダメなら、素直に死を受け止めるから。
「——誰か、ボクを助けてよ……っ!!」
次の瞬間——轟音が鳴り響く。
同時に今までの比にならないほどの揺れが地下にあるこの部屋を襲ったかと思えば。
「——見つけた」
ボクの目の前に人影が現れた。
その人影——いや人は、ボクを見つめ、久しく聞いていなかった穏やかで慈愛に満ちた声色で言ったのだった。
その一言を、ボクは生涯忘れないだろう。
「——お前を助けにきた」
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