第26話 通・知
その頃。
「うーん……」
オレ=巻田ソウジュは天を仰いだ。
体力は大分回復したと言ってもよかった。問題はタイプOの倒し方だ。今のところ、いいアイデアは全然浮かんでこない。
今のところ、タイプOは街のあちこちに出現しては姿を消していた。バイオコップ曰く、オレ達を捜しているらしい。
そして、タイプOは度々機動部隊と戦闘を行っていた。だが機動部隊と、未確認の中でも強いタイプOでは戦力があまりにも開き過ぎていた。すでに機動部隊の死者は二桁を越している。
正直はやる気持ちはあった。だが、バイオコップが止めてくれた。
「回復もせず、対策もなくタイプOに挑んだところで、また破れるだけだ。そうすれば私達はまた動けなくなる。その間にもっと多くの犠牲者が出る。私達に出来るのは、次の機会に絶対に、タイプOを倒す事だ」
とはいえ、これでは手詰まりだ。タイプOはあまりに速い。さっきの戦いでは、奴を全く捕捉出来なかった。
そしてあのハチも厄介だ。卵を体内に打ち込まれれば、自分自身の体に電流を流すしか対処方法がない。体内から出てきたハチも、卵を打ち込んでくる。腕や足の筋肉を食い破られるだけでも拷問じみた痛みだったが、もし卵が肺や心臓に到達しようものなら……。
そして、あまり時間的な余裕もない。グズグズしていれば、警察にどれだけの犠牲者が出るか分からない。なるべく早く、解決策を思いつかなければ。
「体力だけは回復したんだがなー。肝心の戦術が……」
バイオコップがぼやく。オレもうなずいた。
そのオレ達に、三村が急に話しかけてきた。
「まず分かる事から考えへん?」
オレは三村の方を見た。彼女は確信に満ちた顔をしていた。
「ほら、タイプOを倒す方法が分からへんかったら、いっそそれは一旦置いといてさ。確実に分かりそうなところから埋めていったらええんとちゃう?」
「確実に分かりそうなところって……例えば、どんな?」
オレが聞くと、三村は即答した。
「君らは何発なら自分の電撃に耐えられるのか!ほら、現状幼虫への対処法ってそれだけなんやろ?」
確かに、大事な事ではある。今のところ、タイプOの幼虫から身を守る方法はこれしかない。何発なら使えるんだ?
「戦闘のダメージを考慮しなければ、2、3発くらいかな……」
バイオコップがつぶやいた。
当然、戦闘を行う事を考慮すれば、2、3発も自分の必殺技を食らうわけにはいかない。やるとすれば、1回出来るか出来ないかくらいだろう。
「あまりこの手には頼りたくないなあ……」
バイオコップがぼやいた。当然だ。なんせ自分の主力必殺技を、自分にぶつけるのだから。
……いや、ちょっと待てよ?
「いや、これだな。というか現状これしかない」
オレはつぶやいた。
会話が止まった。言葉で言い表すのが少し難しい、独特の雰囲気が辺りを包む。
バイオコップも、三村も気付いた。オレが何か思いついた事を。
数十分後。
「バイオコップの目撃情報だ」
俺=須崎ソウタがそう告げると、その場の雰囲気が一変した。
数時間バイオコップを捜していたが、全く見つからなかった。もう死んだのだろう、という楽観的な空気すら漂っていた。俺自身、薄々そう思っていたくらいだった。
だが、SNSをチェックしていた俺は見てしまった。窓からバイオコップを撮った、というネットユーザーの投稿。見覚えのある住宅街を走る、緑色の物体。
高速で移動しているためか、写真に映る物体は大分ブレていた。元の姿はもはや判別不能だ。だが、『この辺に出現する、人間大サイズの緑色の何か』と言われれば、まず思いつくのはバイオコップだ。
「スマホ見せてほしいっす」
マオの声音は落ち着いていた。バイオコップが実は生きていた事へのショック、みたいなものは微塵も感じられない。少なくとも表面上は、彼女は落ち着いていた。
俺は写真を見せる。
「ここは作和高付近の住宅街だ。進行方向から見て、今のダガーワスプに近付いている。
もっとも、誰かがイタズラ目的で、写真を加工してSNSにあげている可能性も否定できないが」
「だったらいいんすけどねえ。でも写真を見た以上、確かめないわけにはいかないっす」
マオがプロジェクターのキーボードをいじった。ダガーワスプとは別の、カメラを移動させているのだ。
果たして、SNSの投稿は正しかった。住宅街をバイオコップが走っている。奴の進行方向も、間違いなくダガーワスプに近付いていた。
マオが舌打ちし、天を仰いだ。ポーカーフェイスに見えて、激情を必死に抑えているような横顔。
「落ち込んでる場合じゃないって!やっちまおう!」
千堂が叫ぶ。
「時間を考えても、ダメージは完全には回復してないはずだ!今度こそ殺して、ちゃんと死亡確認すればいい!」
「……そうっすね」
マオはゆっくりうなずいた。
「ダガーワスプの操作はわたしに任せてほしいっす」
そう言って、マオはプロジェクターのキーボードを再び捜査。
画面が切り替わった。ダガーワスプ目線のカメラだった。空中から街を見下ろしている。
カメラが移動した。ダガーワスプが移動しているのだ。バイオコップのいる、その方向に向かって。
その頃。
「あそこ!」
オレ=巻田ソウジュは叫んだ。といっても、周りの人間にはオレの姿は見えないし、声も聞こえない。バイオコップと一体化しているからだ。
というか、そもそもここには人がいなかった。公園の、広大な野球用グラウンド。地元の少年野球チームが使っている場所だ。タイプOの下へなるべく早く行くために、ショートカットで通っていた場所だった。
そして、バイオコップはオレが言いたい事をたちどころに理解した。首を上に上げ、空中を睨みつける。
タイプOだ。空中で静止しながら、オレ達を見下ろしている。
「向こうから出迎えてくれるとはな」
バイオコップがつぶやいた。
「というか、多分オレ達を追いかけてここまで来たよな?よく出来たな、そんなの」
オレが言うと、
「全くだ……だが、とりあえず今は、戦いに集中だ」
「……そうだな」
いよいよだ。緊張がない、と言われればウソになる。もし負けたら、多分今度こそ、オレ達の命はない。そして、自分を止められる存在がいない中で、タイプOが何をするかも分からない。
「ソウジュ」
バイオコップが話しかけてきた。
「負けた時の事なんて、負けた時に考えればいいんだ。今はひたすら、前を見てろ」
「……ああ!」
オレ達は構える。そして。
「ウオオオオオオーーーーーッ!!」
バイオコップの雄叫びが、こだました。
オレ達は野球グラウンドを見渡した。謳天涼月光以外で、空中のタイプOに攻撃できる手段がないか探したのだ。地面に落ちてて、タイプOに投げつけられそうなものとか。
だが、あいにくそんなものは見当たらなかった。ただひたすら砂利が広がっている。ちょっとした不毛の砂漠みたいに思えた。
正直、場所が悪い。オレはそう思った。だが、そんなオレの気持ちを読んだのか、バイオコップは
「ここで構わないさ」
と告げてきた。
「ここなら相手も『敵の攻め手は謳天涼月光に限られるからやりやすい』と思うはずだ。もっといえば、油断してくれれば万々歳だ」
タイプOの姿が消えた。高速移動だ。やはり、ヤツの姿は捕捉出来ない。
瞬間。
「ぐあ!」
思わずうめき声をあげた。左腕だ。タイプOの針を、モロに食らった。
「今は我慢の時だ」
バイオコップが語りかけてくる。
「ある程度準備をしつつ、タイミングを合わせるぞ」
「ああ、分かってる」
またタイプOの針を食らった。今度は右足だった。
それから1、2発針を食らった。左腕の幼虫はすでに孵化し、オレの筋肉を食い始めていた。
だが、これでタイミングはつかめた。次で決める。
大きく息を吐いた。目を閉じる。どの道見ても分からないのだから、視界は必要ない。
息を吐き切る。視界に広がるのは自分のまぶたのみ。
静かだった。ほぼ無音と言っていいくらいだった。かすかに聞こえる風の音、鳥の鳴き声。
そして。
「今だ!」
バイオコップが、叫んだ。
「オオオオオオオッ!!」
オレの体から、勢いよく謳天涼月光が発射された。それも、狙いは自分自身だった。
だがただの自爆じゃない。ドンピシャだった。オレが謳天涼月光を出したその瞬間、タイプOが針を刺してきた。
タイプOが悲鳴をあげた。針でオレを刺したことで、電撃がヤツの体にも流れてきたのだ。
「今だ!」
バイオコップが叫ぶ。オレはタイプOに飛び掛かった。素早く組み付き、背中に回る。
背中の羽の一つを掴んだ。
「ウオオオオオオーッッ!!」
唸り声と共に、羽を引きちぎった。タイプOがさらに大きな悲鳴をあげる。
羽の付け根の強度は大した事がなかった。羽を放り投げる。それからもう一方の羽に狙いを定めた。
そっちも引きちぎった。もはやタイプOは飛べない。高速移動も出来ないはずだ。
タイプOをつかんで、投げ飛ばした。コンクリートの道路に、頭から突っ込む。
うめき声をあげながら、タイプOが起き上がった。足取りがフラついている。
タイプOがこっちに突っ込んできた。左手の針を振り上げる。
針の一撃を避けながら、カウンター気味にパンチを叩き込んだ。タイプOの腹を直撃。
苦悶の声とともに、タイプOが後ずさる。
「畳みかけるぞ!」
バイオコップの声に、オレは従った。タイプOの下へ突っ込み、次々とパンチやキックを連打。
最後に思い切り回し蹴りを放つ。苦悶の声をあげながら、タイプOは吹っ飛ばされた。
グラウンドに叩きつけられた後、タイプOはフラフラと立ち上がった。もはやタイプOに余力は残っていなかった。
とどめだ。
「ウアアアアアアアーーーーーーッ!!」
オレは、吠えた。ものすごい声だった。
オレの体にオレンジ色の稲妻のようなエネルギーが走り始める。オレ自身の体が燃えてしまうんじゃないかと思うほどの、ものすごい熱。
オレは走り出す。全身を巡るエネルギーが右拳に集まっていく。
体をひねる。オレとバイオコップは同時に叫んだ。
「凝天残月掌!」
裏拳がタイプOの顔面を捉えた。うめき声をあげるタイプO。その体から急に力が抜けるのが分かった。そして。
大爆発。タイプOの体は、木っ端微塵に吹っ飛んだ。
「……勝ったのか?」
オレはつぶやいた。正直、信じられないような気持ちだった。
「勝ったさ」
と、バイオコップ。
「よくやった」
その一言を聞いて、ようやく体の緊張が解けた。
「そっかぁ……勝ったのかあ……」
思わず仰向けに、地面に倒れ込んでしまった。体中の筋肉が緩んでいくのが分かった。自分がどんな気持ちでタイプOと戦っていたか、やっと実感出来た気がした。
青空がオレの目に入った。いつの間に晴れていたのか。空全体の2割くらいに、雲がかかってる感じ。なんて事のない、普通の空だった。
「守れたじゃないか、誰かの当たり前」
バイオコップが話しかけてきた。
「……そうだな」
照れ隠しに『うるせえ』とか言う余裕もなかった。それは紛れもなく、オレの本音だった。
その頃、アパート。
「……ごめんなさい、ちょっと取り乱したっす」
マオはボソリと、俺らに詫びを入れた。俺=須崎ソウタも、千堂シュンジも、少し呆然としていた。
マオの表情には様々な感情が入り混じっていた。かっ開いた目、疲労が透けて見えるまぶた。何より全身から溢れ出る異様な雰囲気。
マオは右手から出血していた。人間と同じ、赤い血だった。
ダガーワスプが倒された直後、千堂は悔しさのあまり大声でわめいた。それだけでも、普段の千堂を考えれば以上だった。だがその千堂も、すぐにビックリして動きを止めた。
それほどマオの悔しがり方は異様だった。といっても、やった事はシンプルだ。
ちゃぶ台を2発、右拳で思い切り叩いた。腹の底から絞り出したような唸り声をあげながら。
それだけでちゃぶ台は、派手な音を立てて破壊された。もう真っ二つだ。情人を遥かに超える、怪力だった。
マオは下を向きながら、自分で壊したちゃぶ台を見つめていた。その間ずっと、拳を握りしめていた。指が手に食い込むんじゃないかと思った。
マオが落ち着くのに、どれほどの時間がかかっただろうか。
「いやホント……失礼したっす。ホントはわたしが1番落ち着いてなきゃいけないのに……」
マオが声を絞り出す。今度は悄然としていた。まるで彼女の体が、急にしぼんだみたいに見えた。
「今度こそ、おれの怪獣が勝つところを見ないと……」
と、千堂。彼はマオとは違う雰囲気を放っていた。異様といってもよかった。頬が紅潮し、明らかに上気していた。まるでまだ戦いが続いているかのようだった。
この場でどう振る舞うべきか。俺は迷った。今まで見たこともない一面を見せるマオと千堂。普段と様子が違い過ぎる。なんて声をかけたらいいのか判断がつかない。
とりあえず親に連絡するか、と思い、俺は懐からスマホを取り出す。いつ帰るかくらいは言っておかないと、後々面倒くさい。
そう思いながら、スマホの電源を付け、SNSを開く――その時いの1番に画面に浮かんだのは、着信の知らせだった。SNSを通して、俺に連絡してきたらしい。
両親か、と思い着歴を確認。
俺が異常に気付いたのは、この時だった。
まさに鬼電。ひっきりなしに俺に電話をかけていた。
それも、親じゃない。矢野だ。俺の同級生。
気付けないはずだ。俺のスマホは、親や千堂以外の人間からは通知が飛ばないようにしていた。コミュニケーションを必要最低限にするためだ。加えて、ダガーワスプの事に集中しきりだった。
不在着信の通知が大量に連なっている。しかし最初の方にテキストがあった。
「たすけて」
俺の目が、大きく見開かれた。
それから、どれだけ走っただろうか。
『そこ』に着いた時には、もう大分息が上がっていた。人生でこんなに走ったのは初めてだ。
俺の眼前には商店街があった。ダガーワスプが最初に現れた、あの商店街だ。ここに来るのは、本当にいつ以来だろうか。
大きく倒壊したりはしていない。むしろ基本的な原型は保っていた。
しかし煙のニオイがする。道の奥に商品やガレキが散乱しているのも見えた。
ダガーワスプはひたすら幼虫を放っていたわけじゃない。派手な破壊もやっていた。
俺は走り出した。足はすでに悲鳴をあげている。肺に入ってくる空気も大分不規則だった。まるで溺れているような気分。
矢野がこの商店街のどこにいるか、という至極基本的な事さえ、俺の頭には入っていなかった。矢野も言及していない。壊れたおもちゃみたいに、商店街の中を走り回る。
といっても、商店街の広さなんて知れている。一通り見て回るのに、さほど時間はかからないはず。
そんな俺の算段は、当たった。当たってしまった。
矢野は、いた。
道の真ん中ににうずくまっていた。矢野のすぐ目の前に、大量のガレキが散乱して、道にバリケードを作っていた。よじ登らなければ通れないくらいの大きさだ。
道のすぐそばに、半壊したビルがあった。いや3分の2壊くらいかもしれない。1階部分らしき外壁と、2階へ続く階段の骨組みだけが辛うじて残っていた。
矢野が送ってきたテキストの文面を思い出した。たすけて。弟と彼女が海沿いの商店街で下敷きになった。
グイーバー星人に襲われた時、俺を捜しにきていた2人の顔を思い出す。兄に似た顔立ちの弟と、褐色肌でラテン系っぽい顔立ちの彼女。
矢野が俺に気付いて、こっちを向く。涙と鼻水でグチャグチャになった顔。
「ダメだった……」
震える声で、矢野が告げた。
「もう警察が持っていった。検死するって」
それだけ言って、矢野は地面に突っ伏した。くぐもった嗚咽が漏れる。矢野の姿は、まるで貝になったみたいだった。
矢野がこんなに泣くなんて、今まで想像もした事がなかった。矢野にとって弟やそのガールフレンドがこんなに大事だなんて、思ってもみなかった。
俺は自分自身の言動を思い出した。人的被害も経済被害も少なくなるからと、この場所を推薦したのは俺。矢野からのSOSを無視し続けたのは俺。
矢野から大切な人を奪ったのは、俺。
矢野の嗚咽が、頭の中で残響する。そのままどんどん歪んで、不協和音を作り初めていた。
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