第27話 そしておれは、神になる。

 とある会館、午後1時頃。


「なあ……大丈夫か?無理しなくたっていいんだぜ」

「いや……大丈夫」


 椅子に座りながら、俺=須崎ソウタは声を絞り出した。


 顔を上げると、そこには心配そうな顔をした矢野カイがいた。本当なら彼が俺に慰められるべきだろうに。


「責任感じる必要ないんだぜ?無理を言ったのはオレの方だ……仕方がなかったんだよ」


 矢野は続けた。俺は何も答えない。彼にそう言われたって、あの日SNSに来た大量の通知が消えるわけじゃない。


 少し話してから、彼はその場を去った。俺は心の中で自嘲した。まさか葬式の場で、遺族に心配されるとは。


 昨日の通夜でもこの調子だった。その時から、多分俺の様子は全く変わっていない。


 俺は視線を下に落とした。喪服を着るのは初めてだった。黒いスーツに、黒いネクタイ。父親のものを借りた。


 それから、周りに目をやる。会館のホールは広かった。同じ方向を向いた椅子がたくさん並べられている。


 ホールの中には十人に届くか届かないか、くらいの人達がいた。主に家族連れが集まっている感じ。誰もが喪服に身を包んでいる。


 ホールには小さな棺があった。棺の奥には祭壇。そして、その祭壇には大きな顔写真が掲げられていた。


 矢野の弟=矢野シュンダイ。彼女のイザベル・ロハスと一緒に、満面の笑みで写真に映っている。2人で動物園へデートに行った時の写真らしい。


 棺の中にいるのはシュンダイだけだ。早いもので、すでにロハスは『帰路』についているそうだ。


 先日出現したダガーワスプが奪った人命は13。不明体の起こした事件としては、間違いなく少ない部類に入った。そしてその13人の中に、彼らも含まれていた。


 事の仔細は矢野から聞いた。ロハスは、海を見た事がなかったそうだ。海を見に行きたいと言い出した。あの日の2人のデートプランは、それで決まった。


 あの商店街を通って、海に行くつもりだった。だがその商店街に、突如ダガーワスプが出現した。


 ダガーワスプの攻撃で、商店街のビルの1つが完全に倒壊した。そのビルの下に、シュンダイとロハスがいた。


 ロハスは即死だった。重いガレキが、頭を直撃したのだ。


 しかしシュンダイはまだ生きていた。自分の彼女の様子に気付いていたかは分からない。とにかく彼には、何とかスマホを操作する事が出来た。


 119番をしようにも、ダガーワスプに聞かれたらマズい、という思いがあったのだろうか。シュンダイは自分の兄に、SNSで助けを求めるテキストを送った。


 そのテキスト自体はすぐに気付いてもらえた。しかし、シュンダイは自分の生存を、ダガーワスプにも気付かれてしまった。


 シュンダイはダガーワスプに、大量の幼虫を打ち込まれた。直接の死因は失血死、だそうだ。以上の話を、ネットニュースで読んだ。


 矢野が俺に助けを求めた時点で、多分シュンダイは死んでいたと思う。彼からメッセージが来た時間と、シュンダイの推定死亡時刻を組み合わせて考えれば分かる。


 矢野によれば、警察も救急隊も、不明体がいるすぐそばでの救助活動は出来なかったそうだ。それで、誰でもいいから助けてくれと思い、俺含めた数人の友人にもメッセージを送ったんだそうだ。まさにワラにもすがる思いだったのだろう。


 そして、今。


 遺族である矢野に心配されるくらいだ。彼らが死んで、相当ショックを受けているように見えるのだろう。


 事実その通りだ。だが、それだけじゃない。俺にはこの場の誰にも言えない秘密がある。


 ダガーワスプを生み出した、マオの協力者は俺。


 あの2人を殺したのは、俺だ。


 マオには脅されて、協力を迫られた。ある意味俺も被害者ではある。それだけでなく、今回に関してはなるべく人命を奪わない場所を選んだ。俺の発案だ。実際、死亡者数は他の不明体の事件と比べてもかなり少なかった。


 ここ数日、こんな調子の自己弁護を、何度も自分に言い聞かせていた。やめようと思っても止まらなかった。きっと、そうしなければ俺の精神は壊れてしまうのだろう。


 だが、同時に俺は分かっていた。


 初めての不明体=ペジリムを出現させた時。俺はペジリムが暴れる現場を、この目で目撃した。


 ショックなんてもんじゃない。目の前に、もう動かない人間がゴロゴロ転がっているのだ。熱も、ニオイも、声も、直接俺の五感に入ってくる。


 食欲なんて全然湧かなかったし、眠れば犠牲者が出てくる夢に苛まれた。あの時一体何キロ痩せただろうか?


 その後も不明体が暴れるたびに、SNSやニュースで悲惨な光景が飛び交った。どれもこれも、俺のせいだった。


 SNSやニュースを、分かっていても見てしまった。そんな事したって何も解決しない。結局は時間の無駄だ。頭の中では分かっていても、スマホで検索せずにはいられなかった。


 そうだ。千堂に「生き残るために非情になれ」などと言っておきながら、俺は全然非情になっていなかった。いっちょ前に動揺していたのだ。


 それが、いつからだろうか。俺はニュースのチェックを辞めた。時間の無駄だと、いつの間にか割り切っていた。


 夢にも犠牲者は出なくなった。食欲も普通に戻った。実際に不明体が現れる現場にも、ほとんど行く事はなくなった。不明体に襲われる人々は、いつの間にか、『そういう人もいる』という知識になっていた。


 自分の生存のため、俺はマオに積極的に手を貸した。いや、『自分の生存のため』という大義名分すら、いつしかあまり意識しなくなっていた。


 要するに、俺は慣れた。自分が殺人の片棒を担いでいる状況が、いつしかただの日常に組み込まれていた。


 そんな自分の判断を、今になるまで疑問にすら思っていなかった。自分のせいで何百人もの人々が死んでいるのに、一顧だにしなかった。


 シュンダイとロペスの事だって、本来なら気にも留めなかったはずだ。マオの目的の犠牲になった、たくさんの哀れな人々の一部。


 しかし、俺は矢野から助けを求められた。それを無視してしまった。そして、泣き崩れる彼の姿を目の当たりにした。


 矢野は俺を頼ってきた。しかし、矢野にあんな顔をさせたのは、そもそも俺なのだ。


 矢野だけじゃない。俺が何の気なしに日常を送る中で、あんな顔をした人々が何人いただろうか?俺は一体どれほどの人間に、あんな顔をさせてきただろうか?


 虫と毎日触れ合って、命の重みを知った?自分の命とは何を犠牲にしてでも守り通すものだと気付いた?逆だ。何も分かっていなかった。頭の中で理屈をこねくり回して、そんな気になっていただけだ。


 矢野が俺の側を通り過ぎた。前の方にある、自分の席へ向かう。そろそろ式を始めるらしかった。


 俺を告別式に呼んだのは矢野だ。なぜかは分からない。都合のつく人間が、他にあまりいなかったのかもしれない。


矢野は何も知らないから俺を呼んだし、俺は自然に誘いを断る言い訳を思いつかなかった。


 最悪だ。


 結局、火葬まで参加した。もう矢野シュンダイの体は、完全に原型を亡くした。彼の姿を見る事は、もうない。


 午後3時。帰る以外にする事はない。火葬場を離れ、近くにある駅へ。


 普段あまり使わない、小ぢんまりとした駅だった。周りには小さな住宅街や商店、それにコンビニ。


 青空が広がっている。雲もわずかしかかかっておらず、快晴といっていい天気だった。


 駅前はいつも通りといってよかった。不明体がいなくなって一安心したのか、人通りはむしろ多いくらいだった。


 人々の話し声や車の音、どこかの店から聞こえてくるコマーシャルソング。そんな音が混然となって、俺の耳に入ってくる


 その時。


「兄貴」


 後ろから話しかけられた。


 振り向くと、そこには千堂ソウジが立っていた。俺とは対照的な、朗らかな笑顔。


「ちょっと相談があるんだけど」

「相談?」


 嫌な予感がした。彼が何を話すつもりなのか、想像がついた。


「マオから聞いただろ?バイオコップが回復しきらないうちに、仕掛けるつもりだって。どんな奴がいいか、今のうちにちょっと聞いときたいんだ」


 千堂は変わった。


 マオが作戦の話をしていようが食べ物の話をしていようが、とにかく怯えていた千堂の姿はもうどこにもない。最近はむしろマオより熱心なんじゃないかと思うくらいだった。


 一体どういう心境の変化があったのか、俺には全く理解出来なかった。少なくとも俺の見ている前で、千堂が突然心を入れ替えるきっかけになるような出来事はなかった。


「ダガーワスプは惜しかった」


 千堂がつぶやいた。


「でも、もうネットじゃダガーワスプはスターなんだぜ。ネット上にファンアートが出回ってる。明らかに海外の人が描いたやつもある」


 そう言いながら、千堂がスマホの画面を見せてきた。まとめサイトらしい。千堂の言う「ダガーワスプのファンアート」が散りばめられていた。どれもヒロイックに描かれている。まるでダガーワスプが人類の味方かのようだった。


「凄くない?おれの描いた怪人や怪獣が、世界中の人に認められてるんだぜ」


 相次ぐ未確認生物を神の使いだの何だのと崇める連中がいる。既存の陰謀論と結びついて先鋭化し、ジャーナリストへの襲撃などの犯罪に及ぶ人間もいるという。


「あ、そうだ、本題に戻らなきゃ」


と、千堂。そう、本題。バイオコップにぶつけるべき怪人・怪獣は何か。


「マオに相談しなきゃ、何とも言えない」


 俺はつぶやくように告げた。


「ダガーワスプが倒されたといっても、バイオコップが大ダメージを受けた事は間違いない。今の段階なら、恐らく十分回復してもいないだろう。

 そのうえでどうするかだ。強いヤツを出して一気に畳みかけるつもりなのか、それともダメージの残りやすい攻撃が出来るヤツを出して、バイオコップを倒せないまでも、あいつのダメージを蓄積させるのか」


 現時点での俺の率直な意見はそれだった。


「なるほどなー。確かに兄貴の言う通りだ。でも」


 千堂は一度言葉を切った。


「やっぱ、気持ちだけでも高く持っとかないと!目指せバイオコップ抹殺!!おれの作品に、でっかい事成し遂げてもらわなきゃ!!」


 千堂がはにかんだ。子供みたいな、無邪気な笑顔。


「……そうだな」


 俺はうなずいた。千堂の言葉自体に、その場で否定すべきものはなかった。しかし腹の中で、俺はまだ言語化すらしていない何かを抱いていた。




 数十分後。


 おれ=千堂ソウジは父親の部屋にいた。今日父は休みだ。今はどっかに出かけている。母も同様。この部屋、というかこの家にいるのはおれだけだ。


 つまらない部屋だった。ベッドがあって、棚にはビジネス書や、ゲームの攻略本がごちゃ混ぜに並べられている。机の上にはパソコンがある。本当にそれくらいしか言う事がない。


 問題はそのパソコンだった。閉じられてないし、スリープ状態になってもいない。見ようと思えば誰でも見れる状態だった。この男は意外とこういう無防備な状態で、パソコンを放置する事が多いらしかった。


 SNSの画面が映されていた。あるユーザーにリプを飛ばしていた。ユーザーが老人の顔写真と名前を付けて曰く

「タイプOは汚職をしていた政治家を殺害しました!未確認生物による汚い人間の『浄化』は確実に進んでいます!」

 そして父のアカウント曰く

「汚い政治家が一掃され、日本はより住みやすくなります。大きな変化がすぐそこまで来ています」


 要は陰謀論だ。未確認生物は実は誰かに遣わされていて、不正を行うような汚い人間を『浄化』して回っているらしい。


 ちなみにユーザーに晒されていた政治家だが、少し調べたところすでに政界を引退し、SNSなどもやっていないので最近の動向を調べることは不可能だった。


 死んだという情報も、不正をやっていた情報も、報道などがないかしばらく検索したが全く出てこなかった。そもそも出身地がK沢市で、H庫県の地方議会に長らく関わっていた人物だ。タイプOが現れた作和市とはほぼ全く縁がない。


 未確認生物に関わる陰謀論は最近増えているらしく、ニュースでも言及されるほどだった。信じている人間も相当いるのだろう。


 彼のアカウントの動向は時折追っている。もちろん、笑いの種にするためだ。陰謀論にかなりどっぷりハマっているらしかった。


 それにしてもバカなヤツだ。父のアカウントを確かめてから、おれは少し声に出して笑ってしまった。お前の大好きな『未確認生物』を生み出したのはこのおれだ。彼らが街に現れた時、誰が悪人かわざわざ選別して殺しているとでも思っているのか?


 コイツにはおれの人格も、怪獣や怪人も散々バカにされた。あの時は大分気に病んだ。だが今はどうだ?コイツは実物を見た事もないのに、彼らを天使か何かだと思って崇めている!だったら天使を生み出したおれは、コイツにとって神だという事になる!!


 おれは自分の作品達の力を実感していた。自分の父親を、暴力も恫喝も使わず、本人に指一本触れる事なく征服できる力。


 次に送り込むのは誰にしよう。そんな考えが頭をもたげる。兄貴の言う通り、マオから指示がない限り、今考えても仕方がない事は分かってはいた。それでも、子供達が躍動する明るい未来について考えずにはいられなかった。

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