第23話 落ちる
左腕の一点がさらに痛んだ。経験した事もない痛みだった。
だが、感覚で分かった。左腕の筋肉も、皮膚も食い破って、何かが現れようとしている。
そして。
ブチッ
左腕から、鈍い音がした。
前腕の皮膚が、音を立てて破けた。青い血が滴る。そして、その中から何かが出てきた。
虫だった。黒っぽい虫。ハエに似ているが、それよりも大きかったし、体もシャープだった。ハチっぽくもあった。
「何だコイツ……!?」
オレがつぶやいた瞬間、そいつは羽を広げて飛び立った。虫の姿が消える。
瞬間。
今度は右の太ももに、小さな針で刺されたような感覚を覚えた。
いや、刺されていた。さっきの虫だ。オレの視界に入ったかと思うと、すぐに飛んでいった。ハチのように、腹部から針を出してオレを刺したのだ。
「そういう事か……!!」
バイオコップがつぶやいた。
毒じゃなかった。オレの体内に虫を打ち込んで、そいつにオレの体を食い破らせたのだ。
という事は。さっきオレは虫に刺された。まさか、それにも同じ効果があるのか?
タイプOは相変わらず捕捉すら出来ない。タイプO自身と、ヤツが生み出した虫とが、同時にオレに襲い掛かってくるとすれば?そうして生まれた虫が、またオレに襲い掛かってくるとすれば……。
オレは自分の背筋が寒くなるのを感じた。
「いい感じっすねー!順調にあいつを追い詰めてるっす!」
マオが歓声をあげた。本当に嬉しそうな声だった。
おれ=千堂シュンジはマオのすぐ隣で、プロジェクターの画面を見つめていた。画面には誰もいない商店街と、異星の戦士・バイオコップが映っている。
バイオコップは右腕を抑え、うずくまっていた。タイプO=ダガーワスプが、右腕に針を刺したのだ。
ジガバチをモデルにした怪人だ。能力もジガバチがモデル。左腕の針を相手の体に刺し、卵を埋め込む。その卵は相手の体を内から食べて急速に成長し、成虫の特殊ジガバチとなって相手の体を食い破る。
その特殊ジガバチも同じ能力を持っている。ダガーワスプと特殊ジガバチがさらに卵を打ち込み、新たに生まれた特殊ジガバチがさらに卵を打ち込み……と、時間が経てば経つほど相手への脅威が増していく寸法だ。
「きっと勝てる。あいつ、おれの作品の中でも強い方なんだ」
おれはつぶやいた。いいアイデアが来たと胸を踊らせながら、ダガーワスプを描いていた事を思い出す。
高揚感が抑えられない。家や学校のクズ共に、破かれたり捨てられたりしたおれの作品。ダガーワスプのスケッチだって、中学の頃テストの成績が悪いからと親に捨てられたのを、こっそり『回収』したのを覚えている。
だが今や、あいつら全員不明体に怯えて暮らさなければならない。バイオコップがやられた、となればなおさらだろう。いよいよ崇め奉る以外の選択肢がなくなるかもしれない。
もう誰も、不明体を破いたり捨てたりする事は出来ない。不明体の存在が、その背後にいる『何か』の存在が、彼らの脳裏に刻み込まれる。誰一人、片時たりとも忘れる事はない。
ダガーワスプがさらに一撃。今度は左腕に卵が打ち込まれた。
「あるんじゃないすかこれ!ここまでタコ殴りに出来るなんて……」
マオは上気した表情を見せていた。声音が上ずっている。ヘラヘラしながらもいつでも冷静だったマオの、意外な様子だった。
兄貴の方を見る。目があった。まるでこちらが苦戦しているかのような険しい顔をしていた。
さすが兄貴だ。こんな状況でも、一切油断せずに戦況を見守っている。
ダガーワスプの着想を得た時の事を思い出す。兄貴が家の標本を見せながら、ジガバチやヒメバチの話をしてくれた。卵を獲物の体内に打ち込み、幼虫は獲物の体を食って成長するという、恐ろしい生態の持ち主。そこから、ヒーローをも倒す怪人を思いついたのだ。
おれは画面に視線を戻す。バイオコップはまた、ダガーワスプの針の一撃を食らっていた。もはや勝負は決まりつつあった。
「ぐあああっ!?」
オレ=巻田ソウジュは、叫び声をあげた。
今度は左足の太ももだった。バイオコップの肉体である筋肉を食い破り、中から黒い虫が姿を現す。
あまりに一方的だった。タイプOやヤツの虫に何回刺されたか、今体のどこにどれだけの卵が埋まっているか、もはや把握は不可能だった。
「仕方がない」
バイオコップがつぶやいた。
「撤退だ。これ以上は限界だ」
「撤退って!アイツを放っておいたらどうなるか……」
「ここで戦い続けても、ダメージが大きくなるだけだ。最悪死ぬぞ。そして私達が死ねば、不明体にまともに対抗できる存在がいなくなる。
それに、今なら撤退できる。辺りに人がいない。タイプOが出現してから時間も経っているし、とりあえず避難が完了しているんだ。今私達がいなくなっても、すぐに人的被害が出る事はない」
それでもオレは躊躇した。しかし、この場でタイプOを何とかする手立てなどなかった。
「……分かった」
オレは歩き出した。だが足元がおぼつかない。タイプOから受けたダメージが相当たまっていた。
だがそれだけじゃない。
肩に鋭い痛み。
「ぐっ!!」
オレはうめき声をあげる。またやられた。多分、タイプOが直接攻撃してきた。
確かにこれ以上の戦闘は維持できない。だが、無事に戦闘から離脱できる保証もない……。
「逃げるつもりか」
アパートの部屋の中で、兄貴=須崎ソウタはボソリとつぶやいた。
兄貴の言う通りだった。バイオコップは商店街を離れ、どこかに歩き出そうとしている。
「逃がすわけないっすよおおおおーーーーー???」
今やマオの雰囲気は、まるでヤクでも吸っているみたいだった。病的な表情。目をかっ開き、笑い声を漏らしながら画面を見ている。その口は笑みを作るために釣り上がっていた。
ダガーワスプが、今度はバイオコップの胸に針を打ち込んだ。こっちにも聞こえるほどの、痛々しいうめき声。
それでもバイオコップは動き続けた。どこかを目指して歩いている。
「どこか隠れ家でもあるのか?」
おれはつぶやいた。兄貴にならって、冷静にバイオコップの行動を分析するフリをしていた。
実際、おれの心持ちは多分、マオのそれとあまり変わらなかったと思う。今すぐにでも叫び出したかった。おれの作品が、おれの怪人が、ヒーローをもう少しで倒そうとしている。
「捜すまでもないっす」
マオが言い放つ。
「ヤツを殺せばそれで終わりっす。今この場で、アイツを、殺すんすよ。アハハ、あは、アハアハ」
気が狂ったように笑うマオ。右手をきつく握っている。爪が食い込んで血が出そうなくらいに、きつく。
本当はマオと一緒に笑い出したかった。高揚感がおれの体中の皮膚を突き破って、飛び出したがっていた。もはやこの中で、確実に平静を保っているのは兄貴だけだろう。
熱狂と、何とか冷静な判断を保とうとする理性。それらが合わさって、この部屋に異様な雰囲気を作り上げていた。
その頃、バイオコップ。
「うあああああっ!!」
オレ=巻田ソウジュ=バイオコップは、またも絶叫した。
胸元からあの黒い虫が現れた。恐らく、大胸筋を食い破られた。
もはや体のあちこちに穴が開いている状態だった。今オレの体のどこに虫がいるか、もはや把握できない。肺かもしれない。心臓や脳かもしれない。
もはやまともに歩く事すら出来なかった。地面を這いつくばりながら、あてもなく進み続ける。
すでに商店街を抜けて、市街地に出ていた。だがその市街地にも、誰もいない。オレが移動する音を除けば、何の音もしなかった。
死。久し振りに意識した。ゆっくりと、だが確実に、死がオレの背中をゆっくり追いかけてくる。
その時。
オレの耳を、水音が捉えた。
川だ。この近くに川がある事を、今頃思い出した。
顔を上げる。すぐ目の前に、川があった。かつて船が通っていた事を思い出させる、深そうな川だ。
これからどこに行けばいい?というか、どうやってタイプOから逃げおおせる?
その時。
「ぐああああ!!」
左足の下腿から激痛。虫だ。あの黒い虫。
やられた。左足を攻撃され過ぎた。もはやオレの左足は、まともに動かない。
「仕方がない」
バイオコップがつぶやいた。
「川に飛び込むぞ」
「川に?」
正直、抵抗する気持ちはあった。今のオレは手足がまともに動かない状態だ。川に飛び込んだとして、その後泳げるのか?そのまま上がってこれなくなるんじゃないか?
そんなオレの気持ちを読んでいたのだろう。
「正直、賭けだ」
バイオコップが告げる。
「私もエラ呼吸は出来ない。川も相当深そうだし……正直、危険だ。だがこの場に留まって、タイプOのサンドバッグになるよりは生存率が上がる」
バイオコップの言う通りだった。オレは立ち上がる。
背中に激痛。またタイプOにやられた。このまま攻撃を食らい続けるわけにはいかない!やるしかない!
「走れ!」
オレはバイオコップの叫び声に従った。川を目指して、走り出す。
瞬間。
バキッ
鈍い音が、響いた。
気付いた時には、オレの体は横向きに回転していた。そのままコンクリートの道路に激突。
足に激痛が走っていた。足払いされた、と気付くのにコンマ数秒かかった。
倒れた状態のまま、上を見上げる。タイプOだった。間近で見るのは初めてだ。
そして。
倒れたオレを、タイプOが思い切り蹴り飛ばした。
脇腹に重い衝撃。オレの体が宙を舞う。
一瞬、下が見えた。視界いっぱいに、川の水面が広がっていた。その水面が、急速に接近してきた。
「やったああァァーーーッッ!!」
マオが絶叫した。そのままゲラゲラ笑い出す。プロジェクターや壁など、手当たり次第に叩いて音を鳴らす。
「おおおおおおおっ!!」
千堂シュンジも叫んだ。マオに負けず劣らずの勢いで、手足を滅茶苦茶に振り回して喜んでいる。マオの一挙動一投足に怯えていた頃の面影は、もはやどこにもなかった。
俺=須崎ソウタだけが静かだった。それも、プロジェクターの画面ではなく、狂喜乱舞するマオと千堂を見つめていた。
熱狂的、などというものではなかった。何か吸ってるのか、と思うほどの異様な熱気。
「まだ死亡確認をしていない」
俺が言うと、2人はピタリと息を止めた。
マオがこっちを見た。トロンとした目。俺の言葉が理解出来なかったかのような、怪訝そうな表情。
一瞬、マズいと思った。下手に刺激してしまった、と感じたのだ。今のマオ達は普段と明らかに様子が違う。俺が話しかけた時にどんなリアクションをするか、全く予測できない。
しばらくの沈黙の後、
「……そうっすね」
と、マオがうなずいた。
「須崎クンの言う通りっす。わたしが間違ってました。指揮官が死亡確認もせずにバカ騒ぎなんてありえない」
うんうんとうなずくマオ。まるで自分が正気を取り戻した事を、何度も確認しているかのようだった。マオに合わせるかのように、千堂も動きを止める。
「とはいえ、2人に今すぐ何かしてもらうわけじゃないっすよ。むしろ2人には今まで通りの、普通の生活に戻ってほしいっす。
でも、バイオコップについての情報は追ってほしいっす。ニュース然り、SNS然り……。もし生存説みたいなのが見つかったら、わたしに教えてほしいっす。しらみつぶしに調べるっすから」
キビキビと指示を出すマオ。いつものマオに戻っていた。
俺は懐からスマホを取り出す。元々家族や千堂以外からの連絡は、通知もロクに来ないように設定してあった。本当に必要最低限のコミュニケーションのためのものだ。
「わたしはバイオコップの落ちた川を調べるっす。ところで千堂クン、ダガーワスプが刺した幼虫って、宿主が水中に落ちた後も生きてるっすかね?」
「正直そこまで設定考えてなかったな……。やってみなきゃ分からない」
「了解っす」
マオはうなずいた。
「もしバイオコップがまだ生きていて、幼虫も生きていれば、そいつを使ってトドメを刺すっす。心臓、脳、食い破らせるべき体の部位はたくさんあるっすから。
もし幼虫が死んでいたとしても、また刺せばいいだけの話っす。今の戦いで、バイオコップは例え万全な状態でも、ダガーワスプのスピードには対抗できない事が分かったわけっすから」
「徹底的だな」
千堂が話しかける。
「これでバイオコップが生きてたら意味ないっすから。それとも、やり過ぎだとか思ってるんすか?」
「まさか!」
千堂は満面の笑みを作った。
「こうなりゃとことんやろうよ。ダガーワスプの姿を見せつけてやるんだ。街中どころじゃない。日本中、いや世界中が注目するぞ」
俺は何も言わなかった。ただ2人の様子を眺めていた。
戦闘の途中から、2人の事が気にかかってきた。2人とも明らかに様子がおかしかった。特に千堂だ。
ダガーワスプとバイオコップの戦闘中に、彼と目が合った時の事を思い出した。あの時の彼の、上気した顔。不気味にすら思えた。彼は確実に変わりつつあった。それがなぜなのか、俺には分からなかった。
それに、『嬉しい誤算』って何だ?マオはまだ何か、考えている事があるのか?
「それじゃ、いったん解散っす」
マオが告げた。いつも通りの、軽薄な笑みだった。
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