第5章 聖女と十字架の罪人

フェルトの口は軽過ぎる

「おごぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!? やめっ、も、もげっ、もげるぅぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」




 ……すっかり空が白んできた、限度ギリギリの未明の朝。



 朝陽を横目にしながら、俺は折檻に勤しんでいた。……違うか、拷問か。どっちでもいい。どっちでもいいが少なくとも、宿屋の裏、周囲に雑多な家もない石畳の上とはいえ、少しは声を抑えてほしかった。



 燃えるように熱い顔を、ばくばくとうるさい心臓を――――全て掻き消すくらいに喧しく、俺の手の中で糞マスコットが吠える。……握り締め捻じり上げ、まるで雑巾のようになったそれに対して、決して『柔らかさが……』なんて俺は思っていない。絶対、断じて、決して! そんなことは確実に! 考えて! いないっ!!




「…………おい糞神。メルの身体になにしやがったテメェ……!!」



「なっ、なんだよオマエなに怒ってんだよ箭波箋利ぃっ!! いいじゃねぇか女が自分から胸揉んでくれってせがんできたんだぞっ!? 人間のオスからすりゃあ垂涎必死のご褒美でしかぎゅぁあああああああああああああああああああああああああっ!?」



「囀るな……!! テメェはただ、死ぬ前の数分で俺からの質問に答えればいい……!!」



「このプリティキュートな愛玩動物をマジで殺す気かオマエ鬼かなにかかぁっ!? っ、た、確かにオマエらの国の信仰を利用して、分霊のルールを適用してるから、こっちのオレ様が死んだところで本体は無事だし、世界が消えることもないが、それにしたってオマエ少しはぁああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」




 生涯で一番の握力と腕力で、全力で糞牛、ニューデルの身体を捻じり上げる。



 痛めつける以外になにも考えない、繊細な力加減など必要のない、純然たる握撃。さっきまでのように気遣う必然性も、見えない顔色を窺う必要もない。ただ滾る激情のままに、血の一滴すら出ないホルスタインを絞り上げる。




 絞り……搾、り――





「っ――――あぁっ!!」



「へぶぅっ!?」




 不意に蘇る指の感触。滴る温かさ。甘い香り。




 ――――反射的に、ニューデルを地面へと叩きつける。べちゃぁっ、とガムみたいな音がして2、3度跳ねて……ぐるぐると目を回すそいつを、俺は苛立ちのままに踏みつけた。




「ぐえぇっ!? ごっ、おぉ……っ、お、オマエマジで、なにに怒ってんだよぉ!? 男ってのは女の身体を好き放題触りたいものなんじゃねぇのかよぉっ!?」



「……さすが、あんな親父趣味全開の異能をメルに押しつける助平爺だ……考え方が下衆そのものだなぁ本当によぉ……!」




 情けない声で最低なことを宣う創造神を、破裂させんばかりの力で踏み潰す。……グミみたいな弾力に富んだ身体は、必死で俺の足を跳ね返してくるが。




 ――――白状すれば、確かに俺に、そういう欲はあった。



 頭を撫でたり、膝に乗せたりする程度だったらあった。向こうの世界で散々やってきた。……そこまでだ。そこまでの段階で我慢していた。俺だって必死だったんだ。俺にだけは無防備で無警戒なあいつの、信頼を壊す訳にはいかないって、堪えていた。



 許されるなら、あの大きな胸を触りたかったし。



 ぷるっと艶めいた唇に吸いつきたかったし。



 ……誰にも見せたことのない場所だって、俺には見せてほしいと、思っていた。




 けど……違うだろ。これは、あまりにも違う。



 触りたかった。触れたかった。けど――――触れりゃよかった、訳じゃない!




「俺はなぁ……っ! ちゃんと、ちゃんとっ! メルに告白してOKを貰って、双方同意の上でああいう行為に及びたかったんだよっ!! ただ触れりゃいいだなんて、そんな痴漢みたいな発想してねぇんだよ糞神がよぉテメェっ!! それを……それをこんな、こんな已むに已まれぬ形で潰しやがって……っ!! ――――大っ体なんなんだよっ!! 牛乳じゃなくて母乳で奇跡を起こす異能ってよぉっ!! 糞助平親父丸出しじゃねぇかこの淫獣がぁっ!!」




 あぁ、あぁあぁクソクソクソクソっ!! 我ながら思うさ、純情が過ぎるって!



 けどこんな……こんなのが初体験って、そんなのありかっ!? 初めてが目隠しでひたすら搾乳だなんて、どこのエロ漫画でも絶対に見ないシチュエーションだぞっ!?



 搾れども搾れども、滾々と湧き続け、乳を張らせる母乳……結局、俺は手が痺れるまで何時間も搾り続けて……胸が軽くなったのか、或いは単に疲れたのか、メルは指先の覚束ない俺へ凭れて眠ってしまった。




 っ……思い出す。思い出してしまう。わざとなのかと疑ってしまうほど、揺れる腰を、膨らんだ尻を、こすりつけてきたメルの喘ぎ声を……あぁもうそれもこれも全部本当っ!!




「テメェの……テメェの所為だ……今度はちゃんと、捻じり切ってやらなきゃな……!!」



「いっ、いい加減にしろオマエぇっ!! 分霊とはいえ痛いんだぞっ!? 本体に感覚はフィードバックされるからなっ!! っ、大体なぁオマエ、浪漫が足りないんだよ浪漫がっ!! チート異能にはデメリットが付き物だろうがよぉ常識的に考えてっ!!」




 人の幼馴染みを母乳の出る体質にし、それを使わないと発動しない異能を授けた創造神。



 そんな奴に常識を説かれるなんて屈辱、上回るものはなかなかないだろうなぁ……!




「ち、チート野郎が無双するだけのさぁ! 展開もオチも丸分かりでありきたりで、つまらない世界物語なんざ、完璧とも理想的とも言えねぇだろぉっ!? 欠点のある主人公の方が親しまれるし愛される! そんな奴が巨悪を倒すから、世界物語っつーのは面白いんだろうがよぉっ!!」



「長々言い訳ご苦労、糞編集――――で、それがメルに恥を掻かせる理由になるとでも?」




 ひょい、と定規くらいの大きさをしたそれを拾い上げ。




 大きく、ゆっくり、深呼吸――――――――今度こそ捻じり切るつもりで! 勢いで! 忌むべき淫獣を絞り上げるっ!!




「ぎゅびぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!? やっ、やべごれっ、ま、マジで痛いからやべでぇええええええええええええええええええっ!!」



「……メルも俺も、その手の本は一応嗜むからな。理解できる点があることは認めてやる。だがなぁ……現実とフィクションは違ぇんだよ創造神サマよぉ……!! デメリットなんざ精々『ダヌヴァンタリ』に湧く牛乳の量が少ないくらいで丁度いいだろうがぁっ!! なんでこんっな簡単なことすら思いつかねぇんだ頭まで牛並みかテメェっ!!」



「ほっ、他の創造神の誰も思いつかねぇだろこんな斬新な異能っ!!」



「思いつく価値がねぇだけだろうが発想力ゴミかテメェっ!! じゃあなにかっ!? 死んだっつー勇者はザー○ンでも操って戦う系異能力者だったのかぁっ!?」



「んな訳ねーだろ気色悪い異能想像させんな吐きたくなるっ!!」



「クソみたいなテメェにはお似合いの発想だろうがぁっ!!」



「痛たたたたたたたたたたたたぁっ!? ぐっ、こ、の――――そっ、創造神舐め過ぎだぞオマエごるぁっ箭波箋利ぃっ!! オレ様の発想力舐めんなよっ!? テメェらが元勇者のアイル・ケイルユーズにはなぁっ!! とびっきりのを授けてやったんだぞっ!!」


 ダークヒーローっぽくてカッコいいだろぉっ!?




 ――――糞牛は引き続きなにか囀っているが…………今、聞き逃しちゃいけないことを言ったよな?




 死んだとか



 それに……、だと……? なんだ、なんだその、偽装にぴったりの能力は。




「っ……、ダークヒーローだぁ……? ケッ、どうせ下らない能力なんだろうよ実情を聴いちまったらよぉ」




 ――――語気が、弱まったのが分かった。ダメだ、声を張れ。怒りが続いている振りをしろ。もっともっと、手に力を入れてぬいぐるみみたいな創造神を絞り上げろ。



 感情的になったこの糞牛は、自分が口を滑らせているのに気付いていない。



 もっとだ。もっともっと、情報を吐かせるんだ。魔王城への『鍵』を持っていたはずの、勇者に関する情報を。




「どうっせあれだろう? 雄汁ぶっかけた相手を洗脳するとか、自分を魅力的に見せるとか、そんな程度の異能だろう? 母乳を異能の媒介に選ぶような助平爺だもんなぁ糞アロハはよぉっ! なぁ、違うのかぁっ糞牛ぃっ! 勇者サマにはどぉんな下衆な異能を授けてやったんだよ!」



「はぁっ!? んなクソみたいな異能創る訳ねぇだろうがっ!! まず名前からして段違いにかっけぇっつーのっ!!【虚星堕つウトガルデロック】――――オマエらの世界じゃあ北欧神話とか呼ばれてた物語の舞台のひとつだ! それだけでもカッコいいだろうっ!?」




 案の定、ニューデルは気付く様子がない。ぺらぺらぺらぺら、雑巾みたいな姿のまま、胸を張っているのだけはよく分かる声で話してくる。




「【虚星堕つウトガルデロック】はなぁっ!! 言うなればを創り出す異能だっ!! 脳が幻覚をひと欠片でも信じちまったら、もう抜け出せねぇっ!! 破るのは至難の業だ、なにしろ世界そのものを騙す幻覚だからなぁっ!!」




 ――――へぇ、成程、チート異能に相応しいスペックだな。



 そんな異能なら、じゃあ。



 ――




「そんなダーティでクールな異能を授けてやったのに……あのクソ勇者、っ!? だからオマエらをこの世界に喚んだ――――――――あ」



「……ご苦労、糞牛。あとはもう、死んでいいからな、ゴミ糞クズ変態」



「ちょ待、話し過ぎぃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」




 本腰を入れて捻じり上げたが故の鬱陶しい悲鳴をBGMに、俺は考える。



 勇者、アイル・ケイルユーズは生きている――――生きて、この村に隠れ潜んでいる。




 ……じゃあ、あの3基の墓は?



 勇者自身の異能で、自身の遺体は賄ったのだろう。じゃあ、他のふたりは?



 幻覚で創ったのか? だとしたら何故、リナの分は創らなかった?



 ……教会から預からされたあの遺品も、じゃあ本当は幻覚なのか? 魔王城への『鍵』が見当たらないのは、今も本人が持っているから?




 大体、そもそも、根本的な話。




「……死を偽装してまで、逃げ潜んでいる理由は、なんだ……?」




 魔王に負けたのが恥だから? ……いや、魔王を倒せる唯一の存在が勇者である以上、この世界の人間に勇者を邪険に扱う理由がない。




 或いは、じゃあ。




 ――――?







 ――『世界を守るために戦ったっていうのに、あんまりな仕打ちだろう?』





 ふと。



 昨日聴いた言葉が、脳裏にフラッシュバックする。単なる連想で片付けるにはあまりにも、芯を捉えた気がしてならない言葉たちが。






 ――『せめて供養くらいしなくっちゃ、可哀想じゃないか』



 ――『それだけ?』



 ――『……随分、必死に見えたけど』



 ――『ねぇ。……勇者たちへの、同情だけ? 本当に?』





「……必死に、供養……」





 先程までとは別のざわめきが、胸の内を埋めていく。野太い牛の悲鳴すら、鼓膜以降には届かなかった。




 ……メルは、人一倍『悪意』に敏感だ。散々それを、浴び続けてきたから。



 レイニエル村ではああもおどおどしていたのに、昨日は……あの、フードの男性に対しては、毛ほどもそんな気配が、気配りがなかった。クラスメートたちを見るような、鋭く冷たい目をしていた。




 じゃあ、いや、しかし、まさか。




 ……きっと俺は、情に厚い方なのだろう。この村に入るためのアミュレットをくれたあの人を、疑う心を『違う』『醜い』と心根が否定してくる。




 けど、でも、それより確かに、信じられるのは。




 笛吹メルヒェンという少女の、人を見る目――








 瞬、間。




 頭上でガラスの割れる音がして――――反射的に、俺は後ろへと跳び退いた。

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