第14話『ムラーノ』
爆散した荷馬車の残骸が燃え上がる中、ゆらりと力無く立ち尽くす男、ムラーノ。その姿は炎に赤く照り返され、まるで地獄の幽鬼の様であった。
プリムはアデリアの息を呑む気配を背中に感じ、サイドカーの中、ふと見上げてしまう。
そこには、食い入る様に見入る悲痛な色を帯びた一人の女性が居た。
夫婦生活を諦め、別離を選んだ。
プリムには、まだ判らない感覚だが、口減らしの為に家族から出された経験に重ね、胸を重く締め付けられる想いに声を詰まらせる。
「あ……」
かける言葉が思いつかない。
じっと、自分の小さな手を見つめた。
まるで人間の子供の様に頼りの無い手。アデリアのそれと見比べ、何も出来ない己の無力さにいたたまれなくなる。
家事でかさかさの指先。それは教会でのお勤めをしている自分も似たようなものだが、彼女のそれは、あの男との生活に起因するものなのだ。
そして、それを捨て去るという事。
自分にそんな思い切った事が出来るだろうか?
「はっ、あーばよ!」
ナナナは軽やかにハンドルを操作し、ムラーノと距離を置きその脇を走り抜け様とした。
が、瞬間、ムラーノ身体はまるでバネが弾ける様に宙を舞った。
「な!?」
一瞬、闇に消えるムラーノの細い体。
タン。
次には、軽やかな音を発て、サイドカーの上にその姿はあった。まるで、何事も無かったかの様に、平然と。
「アデリア……」
「……ムラーノ……」
すかさず銃を引き抜いたナナナだったが、狙いをつけるも発砲はしなかった。
そこには、二人だけに判る間が形作られていると感じたから。
ここまで踏み込まれて水を差す野暮は、胸の奥底に眠る幾つもの想いがヒヤリ彼女の心臓を撫で上げでは指先を鈍らせ、出来ない。
男がどう動くのか見定める為、じっと睨みつけるが、銃を内腿の上に置いた。
魔導バイクは、暗い夜道をそのまま走る。
わずかな光が差す道を。
風は生暖かった。
「もう俺たち終わりなのか?」
男の絞り出す様な言葉。ただそれだけのシンプルな。
「……ごめんなさい。もう、無理……」
女の紡ぐ別離の言葉が風に乗り、遠くへと吹き流れてゆく。
その想いを、闇夜に捨て去るかに。
「そうか……」
がっくり項垂れたムラーノは、何かを諦めたかの様に、そっと己の腰に手を。
そして、何かを引き抜いた。
闇夜に光る刀身が、一瞬、それをダガーと認識させるのを遅らせる。
プリムとアデリアに覆いかぶさる様に、ムラーノは死んだ魚の様な目で。
「お前を殺して、俺も死ぬぅー!! アデリアー!!」
「「きゃあああっ!!?」」
ドキューン!!
一発の銃声に、バランスを失ったムラーノの身体は、ぐらり闇夜に溶け込む様に転がり落ちる。
ほんの短い間の出来事。
サイドカーの二人は、息をするのも忘れ、消えた男の姿を求めた。
濃密な闇が、その存在を否定する。
銃身の冷めやらぬままにホルスターへ戻したナナナは、滑る様に轍の深い石畳をターンし、ライトを走り去った痕へと。その先に、黒い何かが確かにうずくまっていた。
「どうするね?」
ナナナは頭をかりかり掻きながら、尋ねた。
男が来たら撃つと宣言していた。だから撃った。それ以上でもそれ以下でもない。
腹を撃った。
プリーストに手当をさせれば、その奇跡で助かるかもしれない。普通の医者では無理だ。
それを判っていて、アデリアに尋ねた。
男を助けて、元鞘に戻るか。
見捨てて、縁を断ち切るか。
それとも……
アデリアはその問いに、ぐっと身を乗り出す様にして強張った。
体が小刻みに震えている。
路上の黒い塊が、身じろぎするのが判る。まだ、息があるのだろう。
「アデリアさん……」
プリムはそれだけを口にし、アデリアの腕をきゅっと握りしめた。
どちらを選べとも言わずに。どちらを選べとも言えずに。
やがて、アデリアの身体から力が抜け、サイドカーの中へすとんと腰を落とす。
「行って下さい……」
「あいよ」
その力が抜けた様な一言に、ナナナは短く応え、魔導バイクをゆっくりと走らせた。
やがて、三人は風よりも速くなり、全てを振り切って、街道を駆け抜けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます