第2話 はぁはぁするメインヒロイン

「こ、これがラブコメの閉じ込もりイベントなんだね。とってもいいっ……!」


 ロッカーの中で俺と密着した状態にも関わらず、ヒソヒソ声で場違いなセリフを口に出す咲宮さきみやさん。実はラブコメ好きなことがたった今判明した。


「今はそんなこと言ってる場合じゃないよね」


「そしていい声をしてる蒼野あおの君からのASMR。もう最高……!」


「俺の話聞いてる?」


 咲宮さんと同じくらいの目線の高さに合わせているので、自然と俺も咲宮さんのヒソヒソ声が間近で聞こえることに。正直に言う。とてもいい!


 密着している部分から咲宮さんの温かな体温が伝わり、ほんのり甘さを感じるようないい匂いに包まれ、耳にはアニメのように可愛いささやき声が入ってくる。


(これが女子更衣室で隠れてるって状況じゃなければよかったのにっ……!)


 そうだ、まずはこのロッカーが開けられないことを祈るしかない。


 女の子達の声が大きくなり、足音まで聞こえるくらい近くに来ている。これはもう声どころか、わずかな物音を立てることすら命取りだ。


「ねぇ蒼野君、私、今すごくドキドキしてる……」


「それは俺だって同じだよ」


 またもや耳元でささやく声。そんなの俺だってそうだ。

 でも果たしてこれは、女の子達に見つかりませんようにという心配からくるドキドキなのか? それとも咲宮さんと密着していることによるドキドキなのか? ……きっと後者のほうが強い。


 こんな状況なのに、どこか遠い存在だった咲宮さんと話ができていることが嬉しいと思ったんだ。


「今日は暑かったねー!」


「今年の夏は猛暑日が続きそうなんだってー」


「マジかぁ……」


 女の子達の声が聞こえる。これはいよいよ覚悟を決めないと。そう思った俺は咲宮さんに合わせていた目線の高さを元に戻すため、背中を伸ばした。

 さすがの咲宮さんも今は息を潜めている。


「それにしても咲宮さん、今日もすごかったよね」


「だねー」


「確か勉強の成績もいいんだっけ。それに加えてあの見た目と性格。そりゃあモテるよね」


「そういえばうちのクラスの男子が告って見事に散ったんだってさ」


「何それウケる」


「でもさぁ、咲宮さんのこと悪く言ってる子って見たことないんだよね」


「ああー、なんかそれ分かる。みんなであの子を守んなきゃって気になってくるっていうか、オーラみたいなのがあるんだよね」


 話の中で咲宮さんの名前が出てきた時、悪口だったらどうしようと思った。本人がいない所での話だと、好き勝手に言う人だっているだろう。


 だけどその心配は無用だった。女の子達の会話は、咲宮さんの普段の振る舞いに偽りが無いことを示していた。


 それからも女の子達の会話は途切れない。十人以上はいるだろうか。俺達はそれが終わるのをただ待つのみ。


 すると次第に女の子達の声が少なくなっていった。そうなると頼りになるのは音だ。

 着替える時の衣擦れ音・女の子の呼吸音・遠ざかる足音。その全てが判断材料となる。


 言ってることがちょっと気持ち悪いかもしれないけど、俺の高校生活が終わってしまうかもしれない状況だ、大目に見てほしい。


 やがて、少なくとも話し声はしなくなった。あとは音が頼りだ。


 耳をすませていると、「はぁ、はぁ……」という声、いや息づかいと言ったほうが正しいか。そんな声が聞こえてきた。それは咲宮さんからのものだった。


 そうだよ、冷房が効いてるとはいえ夏だ。いつまでもこんな狭い所にいたら熱中症の危険がある。


(冗談じゃない、俺のせいで咲宮さんが熱中症になるなんて、そんなことあってはならない!)


 多分だけどもう誰もいなくなったはず。もし見つかっても説明を誠心誠意すれば、分かってもらえるかもしれない。とにかく今は咲宮さんが最優先。


「咲宮さん、そろそろ出ようと思うんだ。いつまでもこの中にいたら熱中症になってしまう」


「はぁ、はぁ……。蒼野君っ……、いいの?」


 やっぱり咲宮さんの息は上がっているように思える。だけど気をつかわせないため俺が我慢できないことにしよう。


「実はもう限界なんだ。それに多分もう誰もいないと思うから」


「うんっ……、わかった」


 そしてロッカーを開けた。目に飛び込んできたのはたくさんのロッカーと、更衣室の閉まっているドアだけ。

 実はドアが閉まる音が聞こえたんだ。俺の感覚も捨てたもんじゃないな。


「そうだ咲宮さん、大丈夫!? なんだかさっきから苦しそうだったよね。保健室に行く? 俺が付き添うから」


 俺がそう言うと咲宮さんは胸に手を当てて、息を整えてる様子。


「はぁ、はぁ……」


「ほら、やっぱり苦しそうだ。早く保健室に行こう!」


「あっ、蒼野君っ……」


「どうしたの? まさか歩けないとか?」


「どうしようー! ラブコメ展開すっごくドキドキしちゃったよー!」


「え、ラブコメ展開?」


「うん。だってほらっ! 一緒にロッカーに閉じ込められるってラブコメあるあるだよね!? 私もね、実際はそんなことあるわけないよねって思ってたの。だけどやっぱり憧れってものがあったんだ。きっとドキドキするんだろうなって。でもっ! まさか体験できるなんて! あとね、それから——」


「ちょっとストップ! 体調は大丈夫? さっきは息苦しそうに見えたんだけど」


「うん、大丈夫! でもちょっとだけテンション上がりすぎたかなー? なんだか興奮しちゃって。心配してくれてありがとう!」


 興奮ではぁはぁしてただけだった。ともあれ元気ならそれで良し!


「それでさっきの続きだけどね、やっぱりラブコメ好きとしてはまだまだ体験したいシチュエーションがあるの! でも一人じゃできないものも多いし、何より相手がいないとダメかなって。男の子と一緒に体験してこそだよね! 次は何がいいかなー? あ、でも誰でもいいってわけじゃなくて、できれば理解してくれる人がいいなって! あとはね——」


「咲宮さんちょっと待って! 外! とりあえず部屋の外に出よう! せっかく乗り切ったのにまた誰か来たら台無しだから」


 こうして俺はようやく女子更衣室の外に出られたのだった。



 そして次の日。いつものように放課後の教室に残っていると、咲宮さんが話しかけてきた。


「ねぇ蒼野君、ラブコメの話しない?」

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