第17話 支部長の忠告

 辺境ギルド《ハーヴェン》の夜は、いつもより灯りが多かった。

 食堂兼酒場の梁には乾いた香草が吊るされ、鍋の湯気に混ざって、草と肉とパンの匂いがゆっくり回っている。板張りの床は今日も少し軋み、壁に掛けられた古い盾には、酒場の笑い声が小さく反射していた。


 旅立ち前夜――。

 長卓の中央には大鍋の煮込み、焼き立ての黒パン、山盛りの干し果実。杯は足りず、木椀で代用し、誰かが間に合わないと笑いながら交代して飲む。いつもより人が多いのは、明日の朝に六人が街道へ出ると、皆が知っているからだ。


 ティアが椀を両手で抱き締め、頬を赤くしている。

「うちの村じゃ、こんなご馳走めったに無いんだよ」

 隣りでセレナがふっと目じりを緩めた。

「じゃあ、ちゃんと味わって。明日からはしばらく街道のパンと干し肉だもの」

「わ、忘れないでね、たまに甘いのも……」


 ガイルは反対側でオルフェンに肘をぶつけつつ、肉を頬張る。

「おい、盾の鬼。明日は正面は俺が行く。お前は支援に回れ」

 オルフェンは無言で短く頷き、スープを啜るだけだ。

「返事が淡白!」とガイルが笑うと、レオナが横から突いた。

「うるさい。あんたは声量が半分でもうるさい。……でも、頼りにしてる」

「ツンが早いぞ弓手さんよ。デレは?」

「無い」


 エルノアは卓の端で地図を広げ、リサと小声で往路を詰めていた。

「補給は二日目の祈祷路、四日目に小村。王都まで五日、順調なら四日」

「祈祷路が荒れていると聞くけど、大丈夫?」

「荒れていようが整っていようが、歩く距離は変わらないわ」


 アレンは少し離れた席で、皆の様子を静かに見ていた。杯は手元にあるが、ほとんど減らない。

 灯りの数だけ影ができ、笑いの波が順に寄せては引く。木壁の節目、椀の縁、誰かの肩越し。そこに在るものをひとつずつ目が拾い、耳が拾い、胸の奥に収めていく。この場所は、いつの間にか彼の居場所になっていた。


「――お前、飲んでるか?」


 背の高い影がひゅっと差してきて、太い声が落ちる。

 支部長、バーロだ。無精髭に皺、片手で木樽を軽々抱え、もう片手でお玉を振っている。

「飲んでなきゃ殴るぞ」

「飲む」

「よし。……おい皆ぁ、壁は壊すなよ! 壊したら明日の朝までに直せ! 直らなかったら徹夜で俺が泣く!」

 ひときわ大きな笑いが起き、バーロは満足げに樽を置く。ティアに山盛りよそい、ガイルには控えめに(抗議の声が上がる)、オルフェンには黙って追加、セレナには少し薄め。

 レオナが眉を顰める。「あたしは?」

「お前はこう見えて飲むと泣き上戸だ。半分な」

「は? 泣かない」

「前に泣いた」

「……覚えてたの」


 灯りが一段と増し、笑いが重なる。

 “旅立ち前夜の最後の晩餐”は、静かに、だが確実に熱を上げてゆく。

 アレンの頬にも、ようやく薄く赤が入った。杯を置くと、バーロと視線が合う。支部長は笑っているが、笑いの奥に何かを隠す男だ。アレンはそれを知っている。


 その夜は長く、だがやがて終わった。

 椀が空になり、鍋の底が見え、椅子が引かれ、眠気に勝てない若い連中が肩を貸し合って部屋へ消えていく。

 ティアは卓に突っ伏して、セレナが毛布を掛けた。レオナは外気を吸いに表へ、エルノアは地図を巻いて手早く片づけ、ガイルはまだ「もう一杯」と言ってバーロに押し留められている。


──


 静けさが戻るのは、いつも突然だ。

 片付けの音も止み、灯りが二つ三つに減ると、広い食堂は急に音を吸い始める。窓の外、風が通り、どこかで木戸が鳴った。


「起きてんだろ」


 声は背中越しに来た。振り向くと、バーロが柱に背を預けて立っている。いつもの軽口の顔ではない。

 アレンは頷き、椅子を引かずに立ったまま向き合った。距離は二歩。支部長の目は、酒では揺れていない。


「昼間は言えねぇ話を、夜にするのが大人の悪い癖だ」

「聞く」

「聞け。……明日の朝、異端審問官が辺境へ入る。名目は“信仰秩序の確認”。実際は、お前の噂の“実物確認”だ」


 アレンは短く息を吐いた。

「やっぱりか」


「“やっぱり”で済む話じゃねぇ」

 バーロはゆっくり歩み寄り、卓に手を置いた。厚い手。古い傷の線。

「俺はギルドの支部長だ。仕事はただひとつ――ここに来る連中を生かして返すこと。お前らはもう、ただの“うちの連中”じゃない。街道が、お前らの帰りを待ってる。……だから忠告する」


「……」


「お前さんの沈黙は強い。祈りみてぇに、人を落ち着かせる。だがな、神殿の奴らは逆にそれを“冒涜”と聞く。王都は声と見栄で回る街だ。黙っていれば、そこにいる全員が不安になる。『何を考えているか分からない』ってな。――静かであることが、罪に変わる街だ」


「知っている。王都は、昔からそうだった」


「じゃあ分かるはずだ。お前が沈黙を選ぶなら、代わりに誰かが声を出す。今日の昼、そうだったろ。席を明るくしたのはセレナで、空気を回したのはガイルで、注意を配ったのはレオナで、無駄を省いたのはエルノア、皆の緊張をほぐしたのはティア。……お前の隣にいるやつらが声を出して、お前を守ってる」


 バーロはそこで言葉を切り、視線を低くした。

「だがな。声を出す側は、時に傷つく。沈黙の中心にいる奴の代わりに矢面に立つ。……だから確認しろ。『守る覚悟』があるかどうかじゃない。“守らせてしまう覚悟”が、お前にあるかどうかだ」


 長い沈黙が落ちた。

 アレンはゆっくりと目を閉じ、開いた。灯りの揺れが瞳に二つ映る。


「ある。……俺は、一人で行かない」


「ならいい」

 バーロはふっと息を抜き、表情に少しだけいつもの軽さを戻した。

「それともう一つ。“王都に喧嘩を売るな”。売っていいのは、屋台の串焼きだけだ。分かったな」

「分かった」

「よし。……それから、壁は壊すな」

「壊さない」

「よし」


 支部長は踵を返しかけ、ふと立ち止まった。

「アレン。お前さんが何者であってもだ。ここでは、うちの“若い”だ。帰ってくる場所は、ちゃんとある」

 短い言葉。だが、それだけで足りた。


 アレンは軽く頷いた。胸の奥に、ゆっくり熱が灯る。

 “帰る場所”という言葉が、こんなに重く、嬉しい。いつの間にか。


──


 夜はさらに深くなり、支部はようやく眠った。

 アレンは報告室に戻り、机の上の魔石を布に包む。書類をまとめ、封をし、朱の印を押した。

 やるべきことは済んだ。椅子に腰を下ろし、背を壁に預け、目を閉じる。長い息が一つ、胸から抜けた。


 彼は眠らない夜を、眠るように過ごす術を持っている。音の少ない場所で、心拍を落とし、何も考えない時間を薄く伸ばす。

 廊下の向こうで、セレナの軽い足音がして止まり、すぐ去った。大丈夫、と確かめに来たのだろう。

 ついでレオナの足音が窓の外で二度、軋む。外を見て、戻っていく。

 エルノアは足音がほとんどしない。気配だけが来て、消える。

 ガイルは静かに寝息を立て、オルフェンは寝返りを打たない。

 ティアは寝相が悪い。毛布をセレナが直す音が一度だけした。


 ――この夜を、守る。

 それだけを考えて、彼は朝を迎えた。


──


 薄曇りの朝。

 支部の前には、荷を積んだ馬車が一台、待っていた。

 六人はそれぞれの持ち場で準備を進め、支部員たちが入れ替わり立ち替わり声をかけてくる。鍛冶屋の老爺が磨いたばかりの留め金を差し出し、宿屋の女将が包みに詰めた焼き菓子を押し付け、子どもたちが手作りの護符をティアに渡した。


「アレンさん!」

 小さな少年が駆け寄り、勢い余って足元で止まる。

「これ、僕の父ちゃんが作ったんだ。風車。道で風が止まったら、これ回して。きっと大丈夫になるから」

 拙い木の風車。アレンは受け取り、短く頭を下げた。

「ありがとう。……必ず返す」


 レオナが子どもたちに囲まれて苦笑する。

「弓、持たせてって言うのやめて。これはおもちゃじゃないの」

「かっけー!」

 照れ隠しに頬をつねられ、「痛い」と目を細めた。


 エルノアは女将と静かに言葉を交わす。

「王都は怖いところさ」と女将。

「知ってる。でも、行かないと分からないものもあるの」とエルノア。

「帰っておいで。あんたは、話が分かる顔をしてる」

 エルノアは少し微笑み、会釈した。


 セレナは馬の首を撫で、落ち着かせる。

 ティアは護符を胸元に結び、深呼吸してから笑顔を作った。

「行ってきます! 静かに帰ってくる!」

 「そこは静かにじゃなくて無事に、だ」とガイルが笑い、オルフェンが小さく「無事に」と繰り返した。


 そのとき、支部の扉が音を立てて開いた。

 バーロがいつものコートに腕を通し、手には酒瓶――中身は空だ。

「おい」

 その一声で、場の声が少し落ちる。


「静かに行け。だが、何があっても黙って死ぬな。声を上げろ。助けを呼べ。呼びにくいときほど呼べ。……それが仲間ってもんだ」

 静まり返った空気に、短い言葉が刺さって残る。

 アレンは正面から見て、頷いた。

「約束する」


 バーロは満足げに顎を引き、わざと軽口に戻した。

「壁は壊すなよ!」

「壊さない!」ティアが先に答え、皆が笑った。


 手綱が鳴り、車輪が回り始める。

 支部の旗が風に鳴り、見送りの手が一斉に上がる。

 アレンは振り返らない。ただ、背中で受け取る。

 帰る場所の重さを。


──


 初日は順調だった。

 街道は昨夜の霧をまだ端に抱え、陽が上るにつれてゆっくり薄れていく。

 セレナが地図を確認し、レオナが前方を索敵し、ティアが目を凝らす。ガイルは馬車脇を歩き、オルフェンは時折小石を払って車輪の邪魔を除く。エルノアは隊列の最後尾で、時々、振り返って道の向こうを見た。


「後ろ?」

 アレンが問う。

「ううん。見送りの気配がまだ残ってる」とエルノア。

「しばらくは続くよ」とセレナが微笑した。「支部は、そういう場所」


 昼前、最初の祈祷路の石塔に着く。

 塔の台座には供え物があり、花は新しい。

「この塔はまだ大丈夫ね」とセレナ。

 レオナが周囲を一巡して戻る。「足跡は多いけど、荒れてない。良かった」


 昼食を簡単に取り、再び進む。

 二日目は少し雲が増えた。風が冷たく、丘の上の祈祷路は苔むして滑る。

 ティアが足を取られ、ガイルがひょいと抱えて上げる。「お、お姫様抱っこ!?」

「落ちるよりいい」

 レオナが無言で親指を立て、エルノアが一言だけ「判断が早い」と評した。

 オルフェンは先に立ち、手を差し伸べる。

 アレンは一番後ろで、滑る気配があれば近づき、何も言わず肩を貸した。


 三日目、夕刻前。

 小さな村に着く。祈り場は壊れていないが、祭壇に刻まれた印が少し削られていた。

 村長は痩せた老人で、瞳に疲れが残っている。

「すまないね、旅のお方。近頃、祈ると眠くなるんだ。祈りが迷子になったみたいで……」

 セレナが祭壇の埃を払って、静かに手を合わせる。

 エルノアは刻み目を見て、短く首を振った。「誰かの悪戯じゃない。意図的。祈りが通り過ぎないように、わざと引っ掛けが作ってある」


「誰がそんなことを」と村長。

 レオナが村の外れの土をつまみ、匂いを嗅いで言った。「街道から来た足がある。軽くて速い。荷は持ってない」

「審問官?」とガイル。

「わざわざ汚す理由がない」とオルフェン。

 アレンは余計な推測を置かず、祭壇の前に立って汚れをぬぐった。

 セレナが小声で祈る。祈りが通り、風鈴のような軽い音がどこかで鳴った。

 村長の肩がふっと下がる。「楽になった……」


 彼らは一夜を村で過ごし、翌朝、村人の見送りを受けて再び歩き出す。

 焼いた芋を押し付けられ、ティアが両手いっぱいに抱える。「重い~!」

「こういう重さは良い」とオルフェン。

「異論は無い」とガイル。

 レオナは一口かじって、「甘い」とこぼした。

 エルノアは「帰りに礼を」と言い、村長は「帰りを楽しみに待ってる」と笑った。


──


 同じ頃、王都。

 白塔神殿の奥、厚い扉に守られた石の間。

 黒い法衣が環状に立ち、中に金の刺繍が光る。

 中央に立つのは神殿大導師ヴァルド。白い眉は吊り上がり、声は乾いていた。


「沈黙をもって祈りを乱す者。名は定めない。だが、その性質は明らかだ。――言葉を不要とする魔。これは秩序への反逆である」


 若い審問官が一歩進み出る。

 名はルシウス。目は真っ直ぐで、まだ燃えやすい。

「大導師。捕縛の命を」

「焦るな、ルシウス。王はまだ“均衡”を測っている。だが、均衡は長く続かん」


 別の声が静かに差し込む。

 宮廷魔導院長セルゲイ・ハイドリッヒだ。

「異端を断じるのは神殿の務め。だが、戦をするのは王国だ。――沈黙の魔導師は、敵に回せば厄介、味方につけても厄介。要は、扱いにくい」


「ならば、扱える形にすればよい」とヴァルド。

「祈りの列に沈黙を並べ、声を与える。声を与えられないなら、沈黙に罰を与える」


 ルシウスが頷き、拳を握る。「任を」

「行け。辺境に。祈りの路を“整える”のだ」


 白い鐘が、遠く、低く鳴った。

 音はまだ街道には届かない。だが、風に乗って向かっている。


──


 四日目の午後、山裾の祈祷路。

 空は薄く曇り、木々は背を丸める。石の道はひび割れ、端で苔が強い。

 セレナが足を止める。「ここ、祈りが細い」

 エルノアが頷く。「また“引っ掛け”がある」


 レオナが前方を指差した。「影」

 黒い四足が静かに歩み出る。口の奥で白い煙が渦を巻き、目が無い。

 祈りを食む獣――祈喰獣。


 ガイルが前に出て、「来い」

 オルフェンがその横で盾を構える。

 レオナの弦が鳴り、矢が獣の足へ。

 ティアが背で息を整え、セレナが短く祈る。

 エルノアは杖をわずかに上げ、「封じる」と短く言った。


 交戦は短く、鋭かった。

 獣が崩れ、霧散する。

 森はひと呼吸遅れて、静けさを取り戻す。


 アレンは祭壇の前に膝をつき、刻み目を指でなぞらずに見る。

 爪ではない。刃の角度が整いすぎている。人の仕事だ。

 彼は余計な言葉を置かず、汚れを布で拭い、石を立て直した。

 セレナが祈る。祈りが通り、空がわずかに明るむ。


「誰が、何のために」

 レオナが低く呟く。

「“沈黙”を悪にするための準備」とエルノア。

「なら、準備は片っ端から壊してやる」とガイル。

 オルフェンが小さく頷いた。


 そこへ、駆け足の音。

 フードを押さえ、フェリア・ノートンが息を弾ませて現れた。

「ここだけじゃない。先の祈祷路も、その先の小村も同じ印。……審問官が近い。王都の印章を持った隊が、明後日にはここを通る」


「数は?」

「十数。法衣に護衛。街道の掃除を名目にしてるけど、目はあなたを探してる」


 フェリアはアレンを見て、言葉を選んだ。

「ねえ。逃げるの、嫌い?」

「嫌いじゃない」

「じゃあ、避けよう。戦うべきじゃない時もある。――バーロさんの顔を立てて」


 アレンは短く息を吐き、頷いた。

「西の旧道に入る。祈祷路を繋ぎ直しながら、王都の影をやり過ごす」


 セレナが笑う。「それが、あなた」

 ティアが右手を挙げる。「はい! 旧道って、魔物多い?」

「多い」とガイルとオルフェンが同時に答え、レオナが頭を抱え、エルノアが「やるしかない」と肩を竦めた。

 フェリアは小さく安堵し、目を細くした。「ありがとう」


──


 その夜は、山裾の小さな避難小屋で過ごした。

 焚き火がぱちぱちと鳴り、外では風が低くうなる。

 レオナが矢羽根を揃え、エルノアが杖の先を布で拭き、ガイルは剣を油でぬぐい、オルフェンは革紐を締め直し、ティアは護符を握ったまま眠りかけている。

 セレナがアレンの隣に座り、顔だけこちらへ向けた。


「バーロさんの言葉、覚えてる?」

「壁は壊すな」

「それも。……“黙って死ぬな。声を上げろ”」

「覚えている」


「ねえ、アレン」

 セレナは焚き火を見つめたまま言った。

「あなたは沈黙で守るけど、私たちは声で守るよ。だから、うんと頼って。……“守らせてしまう覚悟”、それを、あなたと分け合いたい」


 アレンは少しだけ笑った。

「頼る」

「よろしい」


 焚き火が小さく弾け、ティアがむにゃむにゃと寝言を言った。「静かに帰ってくる……」

 皆が笑い、順に横になっていく。見張りは交代で――最初はアレン。

 外の夜気は冷たく、星は薄い。彼は火のそばに座り、耳を澄ませた。

 支部の匂いはこの場所には無い。だが、支部の言葉はここにもある。

 “帰ってくる場所はある”。

 それだけで、夜の長さは半分になった。


──


 翌朝、彼らは旧道へ入った。

 苔の厚い岩、落ち葉の道、倒木の下を潜り、小川を越え、誰も通らない祈祷石を起こしながら進む。

 レオナの矢が道を開き、ガイルの刃が草を払い、オルフェンの盾が枝を押し戻す。ティアが小さく声を上げ、エルノアが短く手を動かし、セレナが笑って繋ぐ。

 アレンはそのすべてを背に、前へ出る。


 王都から来る影は、きっと強い。

 だが、彼らは六人になった。

 静かな列が、一歩ずつ、確実に、山の陰を抜けていく。


──


 同じ頃、白塔神殿。

 ヴァルド大導師の前で、ルシウスが膝をついていた。

「辺境に入ります。沈黙の噂を終わらせて参ります」

「終わらせるのではない。“形”にするのだ。民は噂を恐れ、名を求める。名があれば縛れる。縛れないものは――罰してよい」


 セルゲイは窓の外を見たまま、独り言のように言った。

「本当に罰すべきは、愚かさだ。だが、誰も愚かさを名指しできない」

 ヴァルドが横目で見た。「お前はいつも舌が回る」

「それが取り柄でして」

 ふたりの間に薄い笑いが走り、すぐ消えた。

 白い鐘がまた鳴る。風は、確実に、辺境へ。


──


 夕刻、旧道の峠の上。

 六人が並んで遠くを見下ろす。

 薄雲の下、細い街道が帯のように延び、その向こうに王都の白がかすむ。

 レオナが弓を肩に、短く言った。「行こう」

 エルノアが杖で小石をつつき、くすっと笑う。「帰り道は、案外まっすぐよ」

 ガイルが肩を鳴らし、オルフェンが頷く。

 ティアが胸に手を当て、「静かに帰ってくる」と小さく唱え、セレナがその肩を優しく叩いた。

 アレンは振り返らず、前だけを見る。


 出発前夜、バーロが言った言葉が、耳の奥でまた響く。

 “静かに行け。だが、黙って死ぬな。声を上げろ”

 彼は頷いた。誰に見せるでもなく、静かに。


 歩き出す。

 風が、背を押した。

 その風は辺境の匂いで、どこか懐かしかった。

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