第16話 静かなる列、二つの影

辺境ギルド《ハーヴェン》の昼は、いつもよりざわついていた。

 表口に馬の嘶き、裏庭に荷車のきしみ、酒場に笑いと噂。壁に貼られた掲示には、王都からの依頼が三枚、辺境の討伐依頼が五枚、そして一枚だけ赤い封蝋の付き――神殿からの「協力要請」だ。


 アレンは掲示板の前で足を止めた。背後にはセレナ、ティア、ガイル、リサ、オルフェン。

 セレナが赤い封蝋に視線をやる。「神殿の“協力要請”、名目は祈祷路の保全と…『異端兆候の調査』」

 ティアが眉を寄せる。「異端って、誰のことだろ」

 ガイルが鼻で笑う。「決まってる。世間が噂してる“静かなる魔導師”だ」

 オルフェンは短く言う。「目立ち過ぎた」


 アレンは、封蝋の縁の裂け目を一瞥してから踵を返した。出入り口のほうで気配が重なる。

 扉が開き、昼光とともに風が鳴る。


 先に入ってきたのは弓手――しなやかな革鎧、背には長弓。

 栗色の髪を後ろで束ね、灰青の瞳が真っ直ぐこちらへ。

 その名を、アレンは知っていた。


「レオナ・フィルベール」

 彼が口にすると、彼女は微かに目元を強張らせ、それから頷いた。


「……そう。元、勇者パーティの弓手よ」


 酒場のざわめきが少しだけ薄くなる。

 レオナは躊躇せず一歩前に出て、アレンの正面に立った。


「私を、入れて。あなたの隊に」

 即決の声。揺れはない。


 セレナが小さく息を呑み、ティアが目を丸くし、ガイルが口笛を飲み込む。

 オルフェンだけが反応を保留し、無言で弓の弦と矢羽根を観察していた。


「理由は?」

 アレンの問いは短い。


「勇者の隊は“勝つための形”ばかり追って、中身が死んでいた。――あなたは違う。村を救う時、誰も傷つけなかった。私はあの時、見たの。『勝つ』じゃなくて『守る』を優先する戦い方を。あれに、賭けたい」


 誇りは折れていない。傷と一緒に残っている。

 沈黙が落ちる前に、もう一人、扉の外影が揺れた。


 白いフード、赤い縁。

 細身の杖を携え、真紅の髪をすっきり束ねた女が、ゆるやかに入ってくる。

 宮廷の香り――けれど、王都の匂いは薄い。旅の埃が勝っている。


「間に合ったようね」

 低めでよく通る声。

 リサが目を瞬かせる。「赤髪に白衣……宮廷魔導士?」

 女は軽く肩をすくめた。「元、よ」


「名は?」

「エルノア・ヴァーミリオン。――あなたのやり方を学びに来た。学ぶためには、一緒に死線を踏むのが早い。だから、入れて」


 レオナと、エルノア。

 二人の視線は真っ向からアレンへ。

 酒場の空気が、わずかに熱を上げる。


「同時に二人とは、豪気だな」ガイルが笑う。

 ティアはぱあっと顔を輝かせる。「女の子増える!」

 セレナは微笑み、しかし視線は鋭い。「アレン、試す?」


「試す」

 彼は頷いた。


──


 ギルド裏庭。

 木柵の中に簡素な訓練場があり、半ば崩れた的と、砂を敷いた打ち合い場。

 見物に数人が集まり、支部長ガイウス・ベルンハルト(愛称バーロ)が腕を組んでにやにやしている。「ウチの庭で派手にやるなよ。壁、また直すのは俺だぞ」


「条件は単純」

 アレンは手短に告げる。「頼れるかどうか、俺たちに見せる。手加減はしなくていい。ただし、誰も怪我しないように」


 レオナは弓の弦を確かめ、矢束から一本抜いた。「了解」

 エルノアは杖を軽く回し、足場を一度踏む。「任せて」


 対面には、ガイルとオルフェンが立つ。

 セレナはすぐ横で見守り、ティアは興奮を押さえて縄張りの外で跳ねている。

 リサは帳面を開いて、何やら“入隊審査チェック項目”と書き始めた。


「開始」


 合図とほぼ同時、レオナの弦が低く鳴る。

 矢は二本、ほぼ同軌道。

 ガイルが前へ出ようとする足を、オルフェンの盾がほんの僅かに止める。

 「……速い」

 矢は盾の縁をかすめ、地に刺さる前にもう一本、的の下段に突き立った。

 レオナは息を乱さない。構え直した弓の角度が、狙いの切り替えを正確に語る。


「おっと」

 ガイルが笑って踏み込み、木剣を横に払う。

 砂が跳ね、木が鳴る。

 その同瞬、空気が揺れた。エルノアの杖先が一瞬だけ白い。


軽縛ライト・バインド


 ガイルの足首に薄い帯が絡み、彼の身体が半歩、遅れる。

 オルフェンがすかさず盾で受け、角度を変える。「連携、慣れている」

 エルノアは頷かない。ただ、口元だけ少し上がる。


幻針ファントム・ニードル

 見えない小刺が、ガイルの肩のごく浅い筋に“触れた”――体勢を僅かに崩すだけ。

 その隙にレオナの矢がオルフェンの盾縁を叩き、反射の方向を作り替える。

 オルフェンが「ふぅ」と短く息を吐いた。「いやらしい」


 見物から小さなどよめき。

 リサが帳面に「連携の“呼吸”合格」「制圧と殺傷の切り替え可」と素早く書く。


「次」

 アレンの一言で、ガイルとオルフェンが役割を変えた。

 前衛二枚が弾みをつけて押し、レオナは横へ流れる。

 エルノアが杖底で地を軽く打つ。「霧幕ミスト・カーテン

 薄い霧が視界を曇らせ、足音だけが近づく。


 その時、砂が「パス」と鳴って跳ねた。

 ティアの小さな声が漏れる。「あ」

 矢が一本、一直線にティアの足元近くに突き立った。

 ――的外れ? 見物から一瞬、ざわめきがかすめた。


「下がって」

 レオナが短く言うと、ティアは反射的に一歩後退。

 次の瞬間、砂に隠れていた細い紐が、見えない罠を示すように露わになった。

 誰かが先に張っていた古い罠――訓練場の残骸だ。

 ガイルが踏んでいたら、足首をひねっていた。


 オルフェンが目を細める。「……視野が広い」

 セレナが微笑む。「いい弓手」

 レオナは肩を竦め、「これくらい普通」とだけ言った。


 最後に、エルノアが杖を胸の前で回し、薄い光の輪を作る。

連結リンク

 レオナの矢羽根が一瞬、白く縁取られ、次の射がわずかに伸びる。

 ガイルが木剣で受け流し、オルフェンが盾で弾き、砂に跡が重なる。

 アレンは、剣も盾も弓も使わず、ただ見ていた。


「終わり」

 静かに告げると、霧が晴れた。

 ガイルは木剣を肩に担いで笑い、オルフェンは無言で親指を立てる。

 セレナはうん、と頷き、ティアは目を輝かせて拍手した。


「二人とも、合格」

 アレンが言うと、酒場のほうから歓声が上がり、バーロが「壁が無事でよかった!」と大声で笑った。


 レオナは弓を下ろし、汗を拭ってから真剣に頭を下げる。「よろしく」

 エルノアは杖を軽く掲げ、「面倒は嫌い。でも、一緒に前へ行くのは嫌いじゃない」と笑った。


──


 夕暮れ。

 歓迎の席が簡素に整い、パンと煮込み、薄いワインが卓に並ぶ。

 レオナは少し離れた席に座り、窓の外の茜色を見ていた。

 エルノアはリサと地図を広げ、辺境の地名をさらっている。

 ガイルは杯を傾けながらオルフェンに「盾の角度が渋かった」と熱弁し、ティアはセレナの隣で「女の子が三人になった!」とご機嫌だ。


「アレン」

 セレナが彼を呼ぶ。

 彼は窓辺から視線だけを向けた。


「二人、どう見る?」

「――戦える。頼れる」

「人としては?」

「……まだ、これから」


 セレナは「うん」と短く答え、ワインを一口。

「あなたは、簡単に信じない。だから、みんなはあなたを信じやすい。――矛盾してるのに、うまくいってるね」


 アレンは少しだけ口角を上げた。

 窓の外の茜が濃くなり、ギルドの灯がひとつ、ふたつ点り始める。


「それで、あなたは?」

 セレナが逆に問う。

「私は二人とも好き。レオナは真面目で、あの沈黙を尊んでくれる。エルノアは図々しいけど、礼節がある。……たぶん、あなたの“静けさ”を守ってくれる」


 アレンは短く頷いた。

 歓迎の賑わいに混ざらず、ただそこに在る。

 それでも、席は賑やかになった。足りなかった椅子は増え、笑いはよく響く。


──


 夜半、風が変わった。

 ギルドの裏口で、フェリア・ノートンが目深にフードをかぶり、灯の影に立っている。

 アレンが先に出てきた。足音で分かったのか、気配で伝ったのか、彼女は驚かない。


「王都から」

「ええ。諜報官、フェリア・ノートン。――今は一私人として来たわ」


「用件」

「二つ。ひとつは、王都西方の街道に“影の獣”が出ている。行商が襲われ、神殿の祈りが届きにくい。誰かが祈りの通り道を汚してる。……あなたに来てほしいって声が、民から上がってる」


「もう一つは?」

「神殿大導師ヴァルドが“異端審問”の準備に入った。対象は、『沈黙で祈りを乱す者』。――あなたを名指ししてはいない。でも、時間の問題」


 フェリアはフードを少し上げ、夜目に馴染んだ瞳でまっすぐ彼を見る。

「私は王都の犬。でも、今日の私は私の足で来た。あなたに頼みたいの。人を助けて。神殿の都合じゃなく、人の都合で」


 アレンは返事を急がない。

 裏口の灯が揺れ、遠くのどこかで犬が一声だけ鳴いた。

「明朝、出る」


 フェリアの肩がすっと落ちる。「助かる。……それと、もう一つだけ、個人的に」

 彼女は少しだけ笑う。「あなたの沈黙は、私には居心地がいい。レポートには書けないけどね」


「知ってる」

 アレンの声は薄いが、熱があった。

 フェリアは頷くとすぐに踵を返し、夜へ消えた。


──


 翌朝。

 六人の新しい隊列が、《ハーヴェン》の門を出る。

 先頭はアレン、右にオルフェン、左にガイル。

 中段にレオナとティア、最後尾にセレナ。

 並びは自然に決まった。誰も指示しないのに、歩幅が合う。


 見送りに、支部長バーロが大きな声を張る。「壁を壊すなよ! 戻ってきたら飯は奢れよ!」

 リサが手を振る。「記録は任せて。新しい隊名、帰ってきたら決めよう」

 ティアが跳ねる。「隊名! “静かなる何とか”がいい!」

 レオナが苦笑い。「安直」

 エルノアが冗談めかす。「“沈黙の断罪者”」

 セレナが首を振る。「怖い」

 ガイルが胸を叩く。「“静かなる腹ぺこ”」

 オルフェンが小さく「却下」と言い、笑いが波紋のように広がった。


 アレンは振り返らない。

 空は澄み、街道には薄い朝霧。

 西方へと続く石畳の先で、風が背を押す。


「目的地、西街道の祈り場」

 セレナが地図を確認し、レオナが周囲に視線を巡らせ、ティアが「任せて!」と胸を張る。

 ガイルは剣の柄を確かめ、オルフェンは盾の革紐を締め直し、エルノアは杖の先を一度だけ地に軽く触れた。


 六人の影が、朝の光に並ぶ。

 静かで、長い。

 言葉は少なくていい。

 歩けば分かることが、今日はいくつもある。


──


 正午前、祈り場近くの森。

 鳥の声が途切れ、空気がひやりとする。

 セレナが低く告げる。「祈りの通りが細い。多分、誰かが手を入れた」

 レオナが弓を半分だけ引き、「前方、影が動く」

 ティアが小声で「怖くない」と自分に言い聞かせ、ガイルが「任せろ」と短く返す。

 オルフェンが盾を上げ、エルノアが「来た」と呟く。


 森の陰から、黒い四足の影が静かに現れた。

 目がない。口の奥で白い煙が渦を巻く。

 祈りを食う獣――祈喰獣プレイヤ・イーター


 レオナの弦が鳴り、矢が獣の足を正確に貫く。

 ガイルが一歩で距離を詰め、木々の間で刃が閃く。

 オルフェンが突進を受け止め、セレナが祈りで仲間の体温を守り、ティアが震える手で補助の術式を走らせる。

 エルノアは杖先を獣の喉元へ向け、短く唱えた。「封呑シール・スワロー!」


 黒い影が膨らみ、潰れ、呻き声すらないまま霧散した。

 静寂。

 森が息を戻す。


 アレンは何も言わず、ただ先へ視線を送る。

 祈り場の石碑が見え、その表面に爪痕のような印が刻まれている。

 レオナが弓を下ろし、「誰がこんなことを」

 エルノアが刻み目を触れずに見て、「意図的。祈りを嫌う誰かの汚し」


 セレナが石碑の前で膝をつき、静かに手を合わせる。

 祈りは遠回りしながら戻ってきて、風がひとつ、柔らかくなった。

 ガイルが剣を納め、オルフェンが周囲を確認し、ティアが石碑を布で拭く。


 そこへ、小走りの足音。

 フェリアが肩で息をしながら現れた。「西街道の先でも同じ印! 村が祈れなくなってる。……お願い、もう一つだけ」


 アレンは頷いた。

 六人は同時に歩き出す。

 誰かが背を押すのではない。

 それぞれが、同じ方向を見ている。


 静かに、速く。

 列は長く、影はひとつ。

 今日から――六人。

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