変心
田村 計
第1話
「ええ、勿論です」
まっすぐに背筋をのばし、園田洋子は笑みを作った。
「わが社における女性初の取締役として、働く女性の地位向上に尽力するつもりです」
なるほど、と目の前の若手社員がメモを走らせる。音声も録音しているのだから、筆記する必要などないだろうに。呟きは無論口に出さず、洋子はにこやかな表情で社員に問うた。
「話は終わりでいいかしら。三十分後に会議が入っていて」
「最後に写真を撮らせていただけますか? 社内報のトップ記事ですし、園田取締役を表紙にしたいんです」
「え、表紙になるの? 私」
社員が首から下げたデジタル一眼レフをかまえた。表紙になるのととぼけてみせたが、自分が社内報の表紙を飾るだろうことを洋子は予想していた。上層部としても、女性に開かれた社風であると内向きにも外向きにもアピールしたいのだ。園田洋子の昇格はそういう意図をもってなされた。そうして、大多数には好意的に受け取られている。大多数には。
一眼レフのフラッシュが瞬く。
カメラのレンズに微笑みかけながら、洋子の意識は若手社員の後ろに向いていた。右後方に立ち尽くす同期の女性、いまだ課長にもなれない南野環が、洋子を見つめていた。怒るとも悲しむともつかない環の顔が、『なぜ?』と洋子に問いかけている。
それが分からないから、あなたは選ばれなかったのよ。洋子は胸の内で呟く。
正直なところ、洋子は女性の地位向上にまったく興味がなかった。どちらかというと否定派だったと言っていい。同期入社した環も当初は同じだった。だがある時期から、女性が不当に虐げられているなどと事あるごとに口にするようになった。
「女性の地位が低すぎるの。もっと重要な仕事を任されるべきよ。どうしてそう思わないの」
女性の地位向上メンバーの飲み会に無理やり引きずり出され、環につるし上げられたことがあった。さすがに頭にきて、ビールの勢いを借りて洋子は言い返す。
「まずは、男性の負担を減らすところから始めるべきだと思う」
「は? 何言ってんの洋子。なんで男の肩を持つのよ」
「同じ能力を持った男性と女性がいたとして、男性が百パーセントの力で達成できる業務を女性がやろうとすると、百二十パーセントくらいの力が必要なのよ」
能力差ではない、問題は体力差だ。知性では男女の差がなくても、持久力は違う。フルスペックの能力を発揮できる時間が、どうしても女性は短くなる。その差を埋め合わせるとするなら、女性側が男性と同等の能力では足りないのだ。
「うまく回すためには、まずは男性の仕事を八十パーセントで片付く量に調整しなければ成り立たないの。女性だけどうにかしたってうまくいかないのよ」
洋子の助言を、環が笑い飛ばす。
「間に合わない分は他の人で補えばいいじゃない。それこそ体力が余ってる男どもにやってもらえばいい。男なんてそういうふうに使えばいいのよ」
分かっていない。洋子はため息をつく。
手に余る仕事を渡されたとき、女性社員たちはどうするのか。
ほとんどの子は真摯に自分で何とかしようと頑張るのだ。できないと男性に丸投げなんてしないのだ。女性の地位が、と高らかに声をあげる彼女たちには、なぜかその点が見えてない。自分たちに都合のいい部分だけしか見ず、そうでない意見は間違いだと断じている。
洋子は女性の地位活動にのめり込む環と距離を取るようになった。主義が合わない活動に時間を取られるよりは、少しでも仕事をした方がいい。環にしてみても意見の合わない洋子と話すより、自分に賛同する仲間との方が居心地がよいに決まっていた。特に関係のない会議でも女性が女性がと言い始める環に、上層部が仕事を回さなくなるのは時間の問題だった。そしてあふれた仕事が、洋子のところに舞い込んできた。バリバリ仕事をしたい訳ではなかったのに、結果的にそうせざるを得なくなったのだ。
その終着点が、取締役昇進だった。
小うるさい女性の地位向上メンバーを黙らせ、かつ彼女らの活動には一切興味のない洋子を、メンバーたちが望んでいた地位に押し上げる。洋子がたくさんの仕事をさばいていたのは他の社員も周知であったから、昇進に異論はでなかった。洋子さんならふさわしいと、部下たちはみな祝福してくれた。
あとは、たどり着いた地位に望まれるふるまいをすればいい。そう、いかにも女性の地位向上に努める気があると、外面だけ変身すればいいのだ。変身はしても変心はないけれど。
フラッシュが止み、若手社員が一礼して去ってゆく。残された環に洋子は笑いかけた。
「あなたたちが望んでいた女性初の取締役として、ふさわしい者になってみせるわね」
環が目を見開き、唇を噛んだ。
心の奥でざまあみろ、と毒づきながら、洋子は笑みを崩さなかった。
変心 田村 計 @Tamura_K
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