第3話 焚火に映る手記
空は徐々に明らみ、本物の太陽がその顔を覗かせようとしている。暗闇で見えなかった風景の中に、尚も濃く、黒く塗りつぶされたような地点がある。
アサ村。
辺境にあったこの村は、盗賊の襲撃にあい壊滅状態となっていた。住居はその全てが焼け、地面を抉るようにして炎の残り火が微かに煌めくのみである。
人の気配は消失し、動物の姿さえない。静まり返った村の中は、最初から何も無かったかのように穏やかともいえる。
焦げた腐臭が漂ってこなければ、の話であるが。
「……全く、酷いもんじゃな。ここまで派手にする必要など無かったであろうに。」
小さくポツリと、その内から声がした。葉擦れの音よりも小さいその声は、風にも乗らず霧散する。
初老の男性であった。静かに佇むその男性は、村の外観を両目で見渡している。
髪は無く猫背で、杖をついた身体を精いっぱい伸ばし状況確認に努める。どこを見ても黒ずんだ村の跡地を見回し、老人は長い溜息を吐いた。
その足を、老人は反転させた。もう見るものは無いといった様子できびきびと村を後にし、西へと歩を進める。この辺りは山や林が多く、他の町につながるような道は一つしかなかった。
老人は少しだけ舗装されているその道へと入ると、何か急いだ様子を見せながら足の回転を速めていく。
しばらく進んだ後、老人は道から反れた。ちょうど小高い丘が見える辺りまで進んでいくと、その麓にある小さな洞穴に入っていく。
汗をかいていながらも、老人は疲れた様子を微塵も見せずに中を突き進んでいった。
奥に進んでいくと、焚火が小さく爆ぜる音がしていた。
火が照らす影は二つある。その内の一つが身じろぎしこちらに気付いたのが、長年の付き合いで老人には分かっていた。
「思ったより早かったじゃない。どうだった?他に生存者はいたりした?」
女の声がした。老人の姿を目視することは無く、その目はずっと下を向いている。紙同士が擦れ合う音を聞きながら、老人は女のもとへと近づいていった。
「分かり切ったことを尋ねるのが、最近のお主の趣向なのか?」
女は答えない。それも慣れたと言わんばかりに、老人は女の元へと近づくと、その近くに横たわっているもう一つの影に目を落とした。
金髪の、十にも満たないであろう少女であった。服とも呼ぶべきか悩む粗末な布を羽織っているが、破れている箇所が多く素肌が剝き出しとなり傷ついている。
頬も若干こけているところを見るに、風体だけでいえばどこにでもいる村の少女といった様子だ。
先の戦闘の影響か、身体には火傷や切り傷、打撲といった怪我が散見されている。
さらに、よくよく目を凝らしてみれば、いくつかの怪我は重なっているようにも見えた。古い怪我を覆い隠すように、新たな怪我が上塗りされている。
昨日負っただけというには、あまりにもその数は多く見えた。
「その子、大丈夫かな?とりあえず分かる範囲で応急処置はしたつもりなんだけど、如何せんこういうことには慣れていなくて。」
「これを、処置というのかどうか、議論の必要があると思うがな?」
呆れた様子で少女を眺めていた老人は、その身体に巻かれていた包帯を解き始めた。
各所にある怪我には、どこで取ってきたのか、薬草が塗られ包帯は巻かれている。
だが、そのどれもが杜撰で、器具を散らかしっぱなしにする子供の後始末をさせられているような気分になった。
「レイラ、来てくれ。この子の介抱を頼む。」
老人の声に、どこからともなくすっと現れた妙齢の女性が手際よく少女の身体を看ていく。身体の後ろにある鞄から水や薬草の入った袋を取り出し、少女の身体を拭うなど、テキパキと行動していった。
「あ、レイラじゃん。お久―、ってほどでもないか、二年ぶりくらいだもんね。ちょっと顔がやつれている気がするけど、大丈夫?バルトにいじめられたりしていないかい?」
簡単な会釈のみで挨拶を済ますレイラに代わり、口を開いたのはバルトと呼ばれた老人であった。
「まさか、お主でもあるまいて。無茶難題に今日ここまで付き合ってくれている可愛い娘を、ぞんざいに扱う訳がないだろう。」
「……そういうもんなんだ。」
「レイラは最近、祝言をあげたんだ。幾分疲れているように見えるかもしれんが、大目に見てくれ。」
「ふーん、そっか。それは、おめでと。」
女は対して興味も無さそうに、バルトとの会話を繋げていた。その間もずっと目は下に落ちている。
女の手には、一つの手記が握られていた。使い古されたような表紙は、分厚く木目のついた意匠が施されている。少し擦れているように見えるその表紙とは別に、その中の羊皮紙は新品同然に綺麗なままだ。
女はその手記を、一枚一枚ペラペラとめくっている。ゆっくりと丁寧に、頁に刻まれた全ての文字を頭に刻み付けるまで。
そんな気概さえ見えるほど女の目は手記を凝視している。
「白紙の頁をいくら睨んだところで、書けるものが思いつくという訳でも無かろう。半分以上…」
「バルト。」
老人はそこで、口を噤んだ。
この女が人の名前だけを声にする時は、十中八九機嫌が悪い時であった。
前回、もう何十年も前になるが、その呼びかけの後に続いた出来事を思い出し、バルトは身体を震わせた。近くで処置をしていたレイナも、ただならぬ気配を感じ身体を硬直させる。
女の目が、初めて感情を持ってバルトの方を向いている。赤と碧という、不思議な対の目が、その芯が、バルトを真っすぐに捉えている。
金縛りの効果でもあるのかと疑うほど、その目に見つめられると身動きが取れなかった。
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