第15話「最終決戦」

秋が深まり、窓の外には色づいた木々が揺れていた。

経営会議室には重厚な扉の音が響き、空気が一瞬張り詰める。半年後の成果報告会。社長をはじめ、役員たちが静かに席に着いた。


大阪支店の佐々木部長が、胸を張って堂々と入室する。スーツの襟を正しながら、ゆっくりと前に出た。


「見てみぃ、ワシのやり方が正しかったんや。飛び込み営業は営業の魂や。全国で再開、約束通りやろ?」


社長は渋い顔で頷いた。


「確かに、数字は出た。約束通り、全国再開を検討する。」


佐々木は満足げに笑みを浮かべ、さらに言葉を重ねた。


「それにやな、飛び込み営業を止めたせいで、名古屋も福岡も台数が足りんかった。損害や。只野課長には責任取ってもらわなあかん。企画部から外して、現場に戻してもらうよう総務人事部に要請済みや」


只野は一瞬、言葉を失った。視線を落とし、拳を握りしめる。島野部長も苦い顔で黙っていた。


その時、会議室のドアがノックされた。


「失礼します」

入ってきたのは、お客様相談室の主任・村上だった。手に分厚い資料を抱え、社長の前で深々と一礼する。


「社長に頼まれた、顧客満足度の推移データを持参しました。大阪支店は販売台数こそ全国トップですが、顧客満足度は最下位。クレーム件数も最多です」


照明が落とされ、プロジェクターに映し出されたグラフには、赤い警告ラインが鋭く走っていた。数字は冷酷だった。満足度の低下、クレームの急増、そして退職者の増加。


「さらに、退職者のアンケートには“精神的に限界だった”“営業が恐怖だった”という記述が複数見られます。これは企業としての重大なリスクです」


社長は眉間に皺を寄せ、無言でグラフを見つめていた。


会議室の空気が重く沈む。


その沈黙を破るように、札幌支店の阿部、藤原、今井の三人がドアを開けて入ってきた。手には分厚い封筒。中には、車両を購入した顧客からの手紙がぎっしりと詰まっていた。


「社長、これをご覧ください。札幌支店で車を購入されたお客様からの感謝の手紙です。『担当者の対応が素晴らしかった』『人生で初めて車を買ったが、安心して選べた』といった声が多数あります」


藤原が一歩前に出る。


「私たちは、只野課長に言われて来たわけではありません。匿名で送られてきた本部会議の開催日時が記されたメールを見て、どうしても現場の声を届けたいと思い、ここに来ました」


今井も続ける。

「現場は疲弊しています。でも、札幌には希望があります。お客様の声がそれを証明しています」


佐々木常務が椅子を蹴るように立ち上がった。


「ふざけるなよ!」


声が壁に反響する。三人は一瞬、身をすくめた。


「勝手に本部会議に乗り込む?誰の許可を得てるんだ?それに、手紙?そんな感情論で経営が動くと思ってるのか?」


社長が静かに手紙を手に取ろうとすると、佐々木はそれを遮るように言った。


「社長、こんなものに惑わされないでください。数字がすべてです。大阪は売ってる。それが事実です」


村上が口を開いた。

「ですが、その“売ってる”現場で人が壊れているんです。退職者の声は無視できません」

佐々木は村上を睨みつけた。


「お前は現場を知らない。数字を見てるだけだろうが」


阿部が震える声で言った。

「私たちは、数字の裏にある“人”を見てきました。お客様も、社員も。だから、届けたいんです」


社長は静かに手紙の束を手に取った。一枚一枚、目を通す。そこには、確かに“ありがとう”の言葉が並んでいた。手書きの文字、丁寧な言葉、そして笑顔の写真まで添えられているものもあった。


「佐々木君」


社長の声が低く響いた。


「数字は確かに重要だ。しかし、企業は人で成り立っている。この手紙の重みを、私は無視できない」


佐々木は言葉を失い、ゆっくりと椅子に座り直した。


社長は続けた。

「佐々木、君のやり方は短期的には成果を出した。しかし、持続性に疑問がある。飛び込み営業の全国再開は、段階的に検討する。只野の責任については、私が判断する」


会議室は静まり返った。社長は只野に目を向けた。


「只野君、君の提案は一部の支店では成果が出なかった。しかし、札幌のように、顧客との信頼関係を築く営業スタイルが根付いている支店もある。私はそれを評価したい」


只野は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


会議が終わり、役員たちが席を立ち始める中、島野部長が只野に近づいた。


「よく耐えたな。あの場で黙っていたのは、君を信じていたからだ」


只野は微笑みながら頷いた。


「ありがとうございます、部長」


その後、社長が只野の肩に手を置いた。


「札幌の三人に、礼を伝えてくれ。彼らの行動は、会社にとって大きな意味があった」


会議室を出た只野は、エレベーター前で札幌支店の三人に声をかけた。


「今日は本当にありがとう。君たちの勇気が、会社を動かした。札幌に戻ったら、みんなに伝えてほしい。“現場の声”は、届いたと」


阿部が少し戸惑いながら言った。


「課長…てっきり、本部会議の開催日時が記されたメールは課長が送ってくれたのかと…“コピオ”って名前で」


只野は思わず眉を大きく上げ、目を見開いた。


「コピオ…?そんな名前のメールが届いていたのか?正直、初耳だ。俺は全く知らなかった。会議の前も、誰がそんなメールを送ったのかも全然見当がつかない…」


藤原が少し微笑みながら言った。


「そうなんですか。私たちも詳しいことは知らないけど、あのメールがあってこそ、本部に現場の声を届けられたんだと思います」


只野は少し戸惑いながらも、じっと三人の顔を見つめて言った。


「誰かが現場のために動いてくれたんだな…それだけでも十分、ありがとう」


今井が頷いた。


「札幌は、これからもお客様に寄り添います。課長も、また札幌に来てください。みんな待ってます」


只野は三人を見送りながら、静かに言った。


「必ず行くよ。ありがとう。そして…誰か知らないが“コピオ”にも、ありがとうだな」


エレベーターの扉が閉まり、三人の姿が見えなくなると、只野はしばらくその場に立ち尽くした。

秋の風が、会議室の窓を静かに揺らしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る