第5話 かわらない




 リィフェルの記憶はトェルのなかに降りつもり、指先まで、おとうさんでいっぱいになってゆく。

 ちいさな庵のなかで、よちよち歩きはじめたトェルに、リィフェルが手を伸ばしてくれた。


「おとーた」


 腕を広げてくれるリィフェルの胸に倒れこむように抱きついたら、大きなてのひらでトェルの頭をなでてくれる。


「よくやった」


 昼さがりの光のなか、月の瞳で笑ってくれる。


「リィフェル! ちびも、元気にしてるか?」


 木の扉が開き、陽の髪がのぞいた。

 立っちしているトェルに、アライアが口を開ける。


「……おいちょっと待て。こいつ生まれたばっかじゃないのか? しかも生まれてすぐ、しにかけてたよな? 回復してるだけでもびっくりなのに、立ってるのか!」


 ぷにぷに頬をつつかれたトェルは、アライアの指をつかまえた。


「おお!」


 面白そうに陽の瞳を輝かせるアライアを見あげたトェルは、首をかしげる。


「ぼ、とぅ。あーりゃ?」


『僕、トェル。アライア?』言えなかった。


 ぽかんとしたアライアが、リィフェルを振りかえる。


「……こいつ、生まれたばっかりだろ?」


「わからない」


 ふるふる首をふるリィフェルの月の髪が流れる。


「いや生まれたばっかりなんだよ! ちっちぇえよ!」


「ちっちゃい」


 確かにとうなずくリィフェルが、頭をなでなでしてくれる。


「おとーた」


 おっきなてのひらに手をのばしたら、指をつかませてくれる。


「えへへ」


 とろけて笑うトェルに、アライアはこめかみを揉んだ。


「こいつ、異常な速さで成長してるぞ。たぶん人間の子どもは、一巡くらい経たないと、しゃべれねえし立てねえんだ」


「そうなのか?」


「人間界で調べてみた。生まれたばっかりの子も見てきたけど、ばーぶー言って、ぎゃーぎゃー泣いてた。

 こいつ全然泣かないだろ」


 うなずくリィフェルにアライアは眉を寄せる。


「ふつうの人間の成長速度じゃないのが、月の加護を得たからなら問題ねえけど。……ほんとに悪魔の血をひいてるなら最悪だぞ」


 月の瞳が、トェルに落ちた。


「怪我は治ったみたいだし、ひとりで生きてくにはちっちぇえけど、悪魔なら何とかなるだろ。捨てたほうがいい」


 トェルは、ふるえた。

 リィフェルを見あげる。


「……悪魔ではなく、魔族だろう」


「人間も精霊も悪魔って呼ぶんだよ。暴虐の限りを尽くす残忍な輩どもをな。

 魂の抜けるような容色でたぶらかし、子を産ませるんだ。巻き起こる陰惨を楽しむために」


 吐き捨てたアライアは顔をあげる。


「悪魔の血を継ぐ子どもは真っ暗な髪と目だ。だから人間も精霊も真っ暗な子どもが生まれたら即殺す。可哀想に思って生かした人間の村は、その子に滅ぼされてる。ひとつやふたつじゃねえぞ」


 低い声が突きつけるのは、真実なのだろう。


 悪魔と呼ばれる者の血が混ざっているのかどうか、トェルにはわからなかった。

 自分の成長速度が異常なのかどうかも、わからない。


 ──ただ、おとうさんの傍にいたい。


 それが難詰と指弾の渦におとうさんを叩き落とすことだと、2番目の記憶が告げている。


 人間を拾い育てることさえ、ごうごうたる批難にさらされるというのに、悪魔と呼ばれる魔族の血が本当に入っているなら、どれほどの糾弾を受けるだろう。


 救ってくれたお義父さんを、窮地に陥れることになる。


 それは絶対に、してはいけないことだ。



 つながったままのリィフェルの指を、トェルはそっとにぎった。


「おとーた、ぼ、たしゅけ、くれ、あーと」


 離したくない指を、そっと離す。


 トェルは、よろよろ歩いた。

 扉を開けようとするが、爪先で立っても取っ手に届かない。


「あけ、て」


 ぺちぺち、てのひらで扉を叩いたトェルは振りかえる。

 アライアはぼうぜんと、トェルを見つめた。


「……俺が話したことを、理解したのか。だから出ていくと?

 リィフェルに迷惑をかけないために。しぬかもしれないのに?」


 かすれた声に、リィフェルが目をみはる。


「トェル──!」


 駆け寄ろうとしたリィフェルを、アライアの腕が止めた。


「間違いない。悪魔の子だ。人間じゃねえ」


 低い声が、揺れる。


「このまま、行かせてやれ。悪魔が迎えに来てくれるだろう。リィフェルはここまでだ」


 ためらうことなくリィフェルは首を振った。


「心配を、ありがとう」


 月の髪が、流れる。


 のびた腕が、トェルを抱きしめる。



「私はトェルの父だ。

 きみが魔族であろうとも」


 変わらない瞳で、微笑んでくれた。








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