第4話 おとーた




 月の加護をもらった水を飲ませてくれたからだろう、トェルの怪我は順調に回復した。


 お乳なるものを飲まなくても、干からびたり衰弱することもなかった。

 ぼんやりしか見えなかった目も、少しずつ見えるようになってゆく。


 こもれびのきらめく森の奥にたたずむ小さな庵で、リィフェルは一精で暮らしているらしい。

 まるくくりぬかれた窓から、緑の葉に透けるやさしい陽のひかりが舞い降りる。


 トェルのためにアライアが用意してくれた寝台から、ようやく起きあがれるようになった。

 なによりの元気の源は、リィフェルが傍にいてくれることだと思う。


 月の髪がさらさら揺れるたび、月の瞳で心配そうにのぞきこんでくれるたび、トェルの鼓動はとくとく跳ねた。



 頬があつくて


 胸があつくて


 手をのばす。



 ちゅうを、ねだるみたいに。



 リィフェルは小首をかしげて、頭をなでてくれたり、水を飲ませてくれたりした。



 ……ちゅうは、してくれない。



 しょんぼりしたトェルがリィフェルのくちびるに、くちびるを近づけようとすると


「だ、だめだ」


 ぎゅむ。


 押し戻された。



 くちびるは『だめ』つむぐのに、リィフェルは、きらきらしてる。


 トェルが学んだところによると、精霊はうれしかったり、たのしかったり、はずかしかったり、おこったり、感情が揺れ動くと精霊の力があふれて、きらきらするらしい。


「血のある人間は赤くなるだろ。あれだよ、あれ。

 ぷんぷんしてねえときは、喜んでると思っていい。精霊って、わかりやすいだろ!」


 アライアが教えてくれた。



 だから『だめ』でも、リィフェルはよろこんで、くれてる?


 首をかしげるトェルに、リィフェルは続ける。


「私は、きみの父だ。

 父と息子は、ちゅうはしない、らしい。

 ノォナがあんなに叫んでいたのは、そのためだと」


 咳払いしたリィフェルは、胸を張る。


「トェル、きみは私の息子だ。

 よって、ちゅうは、なしだ」


 大きなてのひらが、やさしく頭をなでてくれる。


「回復してよかった。痛むところはないか」


 心配そうにのぞきこんでくれる。

 こくんとうなずいたトェルは、リィフェルを見あげる。


「ち、ち?」


 見開かれた月の瞳が、やわらかに細くなる。


「おとうさん、と呼ぶらしい」


 もごもごトェルは口を動かした。


「おとーた」


 ふうわり月のひかりが、きらきら揺れる。


「トェル」


 のばした腕で、抱きしめてくれる。


「おとーた」


 広やかな胸に、顔をうずめた。

 おとうさんのたまらなくいい香りを胸いっぱいに吸いこんだら、あまいめまいが降りてくる。


 目をあげたら、リィフェルの頬がすぐ近くにあった。

 ちっちゃな手を懸命にのばして、引き寄せる。


「ん?」


 振り向こうとしてくれたおとうさんの頬に、くちびるを、くっつける。


 ちゅ


 あまい音をたてるくちびるに、ぱちりと月のひかりが音を立てて弾けた。



「……父と子は、ちゅうはしないと……」


 ほんのりきらめくまなじりで、つぶやくリィフェルのくちびるに、のばした指先で、ふれる。



「ちゅう」


 リィフェルの腕のなかで、うんしょとのびあがるトェルに、リィフェルは困ったように眉をさげる。



「……ないしょだから」


 ささやいたリィフェルのくちびるが、かすめるように、くちびるにふれた。



 ちゅ


 鼓動が、跳ねる。


 吐息が、翔る。


 うるんでゆく視界で、お義父さんが、きらきらしてる。




「おとーた」


 ぎゅう


 抱きついたら、抱きしめてくれた。



 あふれる月のひかりと、笑ってくれた。








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