第3話 ちゅう
「──!」
ノォナの悲鳴が、アライアの驚愕が遠くなる。
つめたい水が、すこしずつ、トェルのくちびるへと注がれる。
身体のなかに、風が吹く。
指先まで、まばゆい光で満ちてゆく。
息の止まる痛みが、消えてゆく。
砕けた手足が、つぶれた肺が、よみがえる。
ぼんやりしていた視界が、ひらけてく。
ふせられた長い月のまつげが頬をくすぐった。
やわらかな、とろけるように、あまいくちびるが、はなれてく。
月の瞳が、心配そうにのぞきこんでくれる。
「飲めた、か?」
こくんとうなずいたトェルは、そっと、もう痛くなくなった腕を、おとうさんへとのばした。
「もっ、と」
「わ、わかった」
ほのかに月の光をまとうようにきらめいたリィフェルが水を唇にふくみ、口づけてくれようとするのを、伸びたノォナの手が止める。
「な、んだこのクソガキ──!」
愛らしいかんばせを激憤に歪めて叫ぶノォナに、トェルの身体がびくりと跳ねた。
「お、おいおい、まだ赤ん坊だぞ?」
とりなしてくれるアライアをにらみつけたノォナが首を振る。
「ぜ、絶対ぜったい絶対こいつ、何してもらったのか解ってる!
回復してるじゃんか! もう自分で飲めるんだよ!
なのにリィフェルに、ちゅうをねだるなんて、こんのクソガキがぁあァアア──!」
ノォナのかわいい顔が、すんごいことになってる。
──……あぁ、あれは『ちゅう』というのか。
リィフェルの吐息が、くちびるにふれて。
ふわふわのくちびると、自分のくちびるが、くっついて。
鼓動が、とくとく音を鳴らして駆けた。
頬が、あつくて
胸が、あつくて
指が、ふるえる。
「ちゅう」
もう痛くない腕を伸ばしたら、きらきら月のひかりをまとうリィフェルが、うなずいた。
「わ、わかった」
「ままままま待ってリィフェル! わからなくていいから! だめだから! こんのクソガキ──!」
ノォナ、お顔も、叫び声も、こわい。
「思ってたより、楽しいことになった!」
つりあがるまなじりから緑の閃光を飛ばすノォナの隣で、アライアがお腹を抱えて笑ってる。
「……飲める、か?」
リィフェルが傾けてくれた椀から、こくりと水を飲んだトェルは、考える。
ちゅう、してくれるのが、だめなら。
ちゅう、するのは、いいのかな……?
近づいたリィフェルのくちびるに、懸命にのびあがったトェルのくちびるが
ちゅ
あまい音をたてて、ふれる。
「……っ!」
「ちゅう」
息をのんだリィフェルが、くちびるを覆った。
「こんのクソガキがぁあぁアアア──!」
放り投げられそうだったのを、アライアがノォナを羽交い絞めにして止めてくれる。
「いやあ、人間の赤子、すげえな!」
「だめすぎるだろぉおお──!」
面白そうに笑うアライアと、憤りすぎて緑の光をほとばしらせるノォナと、きらきら瞬くリィフェルを見あげたトェルは、そっとリィフェルの衣の端をひっぱった。
「ちゅう」
月のひかりをまとうように輝いたリィフェルが、ノォナとアライアの目を盗むように、かすめるような、ちゅうをくれた。
ちゅ
ふわふわのあまいくちびると、きらきらの月のリィフェル。
トェルの3番目の記憶だ。
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