第7話「失われた夏、見つけたもの」

 合宿の最終日、俺たちはロッジの片付けを終え、帰りのバスを待っていた。

 昨夜の肝試し以来、結衣との間には、目に見えない壁のようなものができてしまった気がした。彼女は俺を避けているわけではない。けれど、以前のように屈託なく笑いかけてくれることはなくなり、会話もどこかぎこちなかった。


 他の仲間たちは、合宿の大成功に浮かれ、口々に俺を持ち上げていた。

「今回の合宿、マジで最高だったな! 全部ケンゴのおかげだ!」

「次の企画も頼むぜ、部長!」


 その言葉が、今の俺にはただひたすらに重かった。

 俺は、ただ曖昧に笑って頷くことしかできない。心の中は、鉛を流し込まれたようにどんよりと曇っていた。


 バスに乗り込み、席に着く。

 結衣は、俺の隣ではなく、女子の友達同士で固まって座ってしまった。窓の外を流れていく夏の緑が、やけに色褪せて見える。


 一体、どこで間違えたんだろう。

 俺は、みんなを、そして結衣を喜ばせたくて、必死に頑張ってきただけなのに。

 過去の失敗を繰り返さないように、後悔のないようにと、ただそれだけを考えて行動してきたはずなのに。


 バスが大学近くの駅に到着し、俺たちはそこで解散となった。

「じゃあなー!」「お疲れー!」

 仲間たちが散り散りになっていく中、俺は動けずにその場に立ち尽くしていた。


 このままじゃダメだ。

 結衣と、ちゃんと話さないと。


 俺は意を決して、一人で帰り道を歩き始めた結衣の背中を追いかけた。

「早瀬!」


 呼び止めると、彼女は少し驚いたように振り返った。

 夏の終わりの夕日が、彼女の輪郭をオレンジ色に縁取っている。


「昨日のこと、なんだけどさ」

 俺が切り出すと、結衣は少し俯いてしまった。


「ううん、私こそごめん。楽しい雰囲気を壊すようなこと言っちゃって」

「いや、違うんだ。早瀬の言う通りだと思う」


 俺は、ゆっくりと、言葉を探しながら話し始めた。

「俺、最近、無理してたんだと思う。みんなに好かれようとか、すごいって思われたいとか、そういう気持ちが強すぎて……空回りしてた」


 本当のことは言えない。

 未来から来たことも、過去をやり直そうとしていることも。

 だから、俺に言えるのは、これが精一杯だった。


「……うん。少し、そう見えた」

 結衣は、正直に頷いた。

「最近のケンゴ、すごく面白いし、頼りになるし、みんなを楽しませてくれて、本当に嬉しい。……でもね」


 彼女は一度言葉を切り、まっすぐに俺の目を見た。

 その瞳は、夕日を受けて、琥珀色にきらめいていた。


「なんだか、前のケンゴと違うみたいだった。時々、すごく遠い場所にいる人みたいに感じて、寂しかったんだ」

「……前の、俺?」


「うん。前のケンゴは、もっと不器用で、格好悪いところもいっぱいあったけど……でも、もっと一生懸命だった気がする。自分の言葉で、自分の考えで、ぶつかってきてくれた気がする」


 結衣の言葉が、俺の心の奥底に、静かに、でも深く染み込んでいく。


「今のケンゴは、なんだか完璧すぎて、失敗しないことがわかってるみたいで……少しだけ、怖かったんだ」


 怖かった、と彼女は言った。

 その一言が、俺の頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を与えた。

 俺は、良かれと思って行動していた。過去の失敗を繰り返さないように、全員が楽しめるようにと立ち回ってきた。

 だが、それは「やり直し」ではなかった。ただ、未来の知識を使って、過去を完璧に「なぞって」いただけだったんだ。


 本当の自分を、見せていなかった。

 結衣が好きだと言ってくれたのは、スマートで完璧な俺じゃない。

 不器用で、格好悪くて、それでも必死だった、ありのままの俺だったのかもしれない。


「ごめん……」

 俺の口から絞り出された声は、情けないほどに震えていた。

 完璧な夏にしようと焦るあまり、俺は一番大切なことを見失っていた。過去の自分を否定し、理想の自分を演じることで、本当に大切だったはずのものを、自ら遠ざけてしまっていた。


「ううん、謝らないで」

 結衣は、ふわりと、困ったように、でも信じられないくらい優しく微笑んだ。


「でも、もう無理はしないでね。私は、今のケンゴも好きだけど、昔の不器用なケンゴも、どっちも同じくらい好きだから」


 その笑顔を見た瞬間だった。

 また、あの時と同じ感覚が俺を襲った。


 世界が、ぐにゃりと歪む。

 夕焼けの空が、渦を巻いて混ざり合っていく。

 結衣の姿が、どんどん遠くなっていく。


「早瀬っ!」


 俺が叫んだ声は、誰にも届かなかった。

 激しいめまいに襲われ、俺の意識は、深い深い暗闇の中へと、ゆっくりと吸い込まれていった。

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