第10話 副生徒会長の噂?

 朝の柔らかな陽光が、千葉蒼真ちば/そうまの部屋に差し込んでいた。蒼真はベッドの上でゆっくりと目を覚ます。

 まだ少し眠気が残る頭を振って、蒼真は一階のリビングに降りると朝食の準備を始めた。

 朝食の内容は、トーストとスクランブルエッグ、シンプルだが蒼真にとっては、それだけでも十分だ。


 蒼真は席に着き、食事をする。

 少しすると、リビングに妹の凛音りんねがやって来て、蒼真の向かい側の席に座って静かに朝食を取り始めるのだった。




「……兄さん?」


 蒼真がキッチンにいると、凛音の声が背後から響いた。


「ん? どうした?」


 蒼真は食器を洗い終えた手をタオルで拭きながら、振り返った。

 凛音の瞳はいつも通り穏やかだが、どこか真剣な光を宿している。


「今日……一緒に学校行ってもいい?」


 凛音の言葉は少し控えめだったが、はっきりとした意志が感じられた。

 蒼真は一瞬目を丸くした。

 普段、凛音は自分のペースで行動するタイプだ。一緒に登校するなんて、妹にしては珍しい提案だった。


「凛音がそんなこと言うなんてな」


 内心、ちょっとテンションが上がっている自分を隠しながら、蒼真は軽く笑ってみせた。


「じゃあ一緒に行こうか、凛音」


 蒼真の返答に、凛音は小さく微笑むと、キッチンを後にした。

 階段を上る軽やかな足音が、蒼真の耳に届く。

 蒼真もまた、自分の部屋に戻り、制服に着替えて身支度を始めたのである。


 少しして玄関で顔を合わせた二人は、軽く頷き合って家を出た。

 凛音と並んで歩くのは久しぶりで、蒼真はどこか新鮮な気持ちを抱いていた。


 蒼真は妹と共に、いつものバス停へと向かう。

 バス停に着くと、二人は自然と並んで待つ。


 朝の通勤通学時間帯とあって、周囲にはスーツ姿の大人や制服の学生たちがちらほら。

 やがて、遠くからバスのエンジン音が聞こえてきた。バスが停まり、扉が開くと、蒼真は凛音に軽く目配せしたのだ。


「最初に乗っていいよ、凛音」


 蒼真の発言に凛音が小さく頷き、先にバスに乗り込む。蒼真もその後に続いた。

 車内は予想通り混雑していて、空席は一つもない。

 二人ともつり革につかまり、揺れるバスの中で会話を始めた。


「あの……兄さんのクラスではどこまで勉強が進んでいるの? 来月の期末テスト範囲まで進んでいる感じなの?」


 凛音の声は明るく、どこか楽しげだった。


「んー、まだそこまで進んでないかな」


 蒼真は少し考え込みながら答えた。


「そうなんだ」

「じゃあ、凛音の方は?」


 蒼真が逆に尋ねると、凛音は少し得意げな笑みを浮かべた。


「私の方はバッチリ進んでいるよ」

「そうか。それで、凛音の前回のテストはどうだった?」

「全教科八〇点以上だったよ」

「え、そうなんだ。凄いな、凛音」


 蒼真は心から感心した。


「当然でしょ。だから、兄さんも頑張ってよ」


 凛音は、蒼真の肩を軽くつついたのだった。


 数分後、バスは学校近くの停留所に到着した。

 二人は降りると、同じ学校の制服姿の人たちに混じって通学路を歩き始めた。

 朝の通学路は賑やかで、友達同士で笑い合う声や、スマホをいじる音があちこちから聞こえてくる。


「そういえば、兄さん。今、誰かと付き合ってるの?」


 凛音が突然、さらっとした口調で切り出した。妹の目は興味津々で、蒼真をじっと見つめている。


「え……ま、まあ一応な」


 蒼真は少し照れながら答えた。急にそんな話を振られると、ちょっとドキッとする。


「へえ、どんな人なんですか?」


 凛音はさらに突っ込んでくる。妹の声には、純粋な好奇心が込められていた。


「クラスメイトで明るい子でさ。なんか、俺とは正反対な感じかな」


 蒼真は少し頬を赤らめながら、恋人の大橋紅葉おおはし/くれはのことを思い浮かべた。彼女との付き合いは、なんというか、恋愛の予行練習的な間柄で付き合い始めたようなものだ。


「そうなんですね、兄さんが楽しそうで、よかったです」


 凛音は柔らかく微笑んだ。

 その笑顔に、蒼真はほっとした気持ちになる。

 凛音が自分のことを気にかけてくれるのは、なんだか嬉しい。


「そういえば、昨日話してた朔菜さんとは、もう関わらなくなったって認識でいいんだよね?」


 凛音が少し真剣な口調で尋ねてきた。


「うん、まあ、そうだな。あんなことがあった後じゃ、さすがにね……」


 蒼真の声は少し重くなった。

 元カノの黒沢朔菜くろさわ/さくなとのことは、思い出すたびに胸がチクッとする。

 あの裏切りは、蒼真にとって予想外の衝撃だった。


「でも、朔菜さんが浮気するなんて、なんか信じられないよね」


 凛音は少し眉をひそめた。妹にとっても、朔菜の行動は意外だったらしい。


「そうなんだよね。俺も最初は頭の中で整理できなかったよ。なんでそんなことになったのか、さっぱりだったし」


 蒼真は苦笑いしながら、過去の記憶を振り返った。

 あの時のショックは、今でも薄っすらと胸に残っている。


「うーん、人って見た目じゃわからないもんだね」


 凛音が小さく呟き、蒼真も頷いた。

 二人は会話を続けながら歩き続け、やがて学校の校門が見えてきた。


 校門前の交差点で信号待ちをしていると、近くにいた生徒たちの会話が耳に飛び込んできた。


「ねえ、聞いた? 副生徒会長の内山さん、新しい彼女ができたらしいよ」


 一人の女子生徒が、どこか楽しげに話している。


「え? そうなんだ。でもさ、内山さんと付き合った人って、なんか変なことになるよね。体調崩したり、退学したり……」


 別の生徒が、少し不気味そうに声を潜めた。


「そうそう! でも、そういう子たちって、カンニングとか問題起こしてたみたいだし、内山さんじゃなくて、その人たちに原因があるんじゃない?」


 会話はさらに続き、どこか噂話特有の軽いノリが漂っていた。

 蒼真は無意識に耳を傾けていたが、隣にいる凛音の視線を感じた。

 凛音の目は少し不安げだ。


「兄さん、あの話って……?」


 凛音が小声で尋ねてきた。


「いや、俺もよく知らないよ。噂話なんて適当なこと多いしな」


 蒼真は軽く笑って誤魔化したが、内心では少し動揺していた。


 内山櫂うちやま/かいは高校二年生で副生徒会長だ。

 学校内でも人気のある人物であり、特に女子人気が凄かった。


 蒼真が内心考え込んでいると信号が青に変わる。

 二人は急いで横断歩道を渡った。だが、蒼真の頭の中では、さっきの会話がぐるぐると回っていた。

 内山櫂の噂が、なぜか心に引っかかって離れない。


「兄さん、大丈夫?」


凛音が心配そうに声をかけてきた。妹の声には、兄を気遣う優しさが滲んでいる。


「うん、大丈夫だよ。なんかあったら、凛音に相談するから」


 蒼真は笑顔を作って答えたが、心の奥ではざわめきが収まらなかった。

 学校の昇降口に着くと、二人は中履きに履き替えた。


「じゃあ、また後で」


 蒼真が軽く手を振ると、凛音も小さく頷いて自分の教室へ向かって行く。


 蒼真は一人で教室へと続く廊下を歩き出すのだった。

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