第11話 新しいイベントに心躍る反面

 千葉蒼真ちば/そうまは、教室の窓際の席に腰を下ろし、穏やかなひとときを味わっていた。

 外から差し込む柔らかな陽光が、蒼真の手元のライトノベルを優しく照らす。

 

 二時限目の授業が終わり、ようやく訪れた休み時間。

 蒼真は通学用のリュックの中から愛読書を手に取り、剣と魔法が織りなす冒険の世界へと意識を滑り込ませた。


 その物語は、壮大な戦いと心揺さぶるドラマに満ちていて、現実の喧騒から蒼真を一時的に解き放ってくれる。

 ページをめくるたびに、蒼真の心は物語の主人公と共鳴し、日常の些事を忘れさせた。


 この時間が、蒼真にとっては何よりも貴重な瞬間だった。

 一方、教室は休み時間特有の活気で溢れていた。

 笑い声や雑談が響き合い、クラスメイトたちのエネルギーが空間を満たしている。その中心でひときわ輝いていたのは、大橋紅葉おおはし/くれはだった。

 紅葉は数人の友達に囲まれ、華やかな笑顔で会話を弾ませていた。


「ねえ、紅葉ー、私、好きな人ができちゃって……でも、どうアプローチしたらいいか分からないの」


 友達の一人が少し恥ずかしそうに切り出した。

 紅葉は優しく微笑みながら、物語のヒロインのような落ち着きで答えた。


「そうなのね。じゃあ、その子とは今どんな感じ? 友達くらい? それともまだ知り合い程度?」

「うーん、知り合い……かな? 友達レベルではないと思う」

「だったら、まずは気軽に話しかけて、距離を縮めてみるのがいいかも。相手の好きなものとか、ちょっとずつ知っていくと自然と仲良くなれると思うし!」

「うん、そっか! やっぱりそこからだよね!」


 紅葉のアドバイスは的確で、彼女の明るい声は周囲を自然と引き込む力を持っていた。


 蒼真は本から目を上げ、ちらりと紅葉を一瞥した。彼女の笑顔は陽だまりのようで、教室の空気を一層温かくしていた。

 だが、すぐに視線を本に戻し、再び物語の世界に没頭しようとした。しかし、ふと、嫌な記憶が脳裏を横切る。


 今朝、登校中に耳にした噂が、蒼真の脳内に復活したのだ。

 それは副生徒会長の内山櫂うちやま/かいと、蒼真の元恋人である黒沢朔菜くろさわ/さくなに関するもの。


 噂の内容は曖昧だったが、朔菜が何かしらの問題に巻き込まれているらしいという話だった。


 蒼真の脳裏には、以前見た朔菜の表情が焼き付いていたのだ。

 あの時の朔菜は普段とは別人のように、どこか憂いを帯びた顔をしていた。

 あの表情は、一体何を意味していたのか。

 朔菜のそんな顔を初めて見た蒼真は、本を読みながらも胸の奥にざわめきを感じていた。


 ライトノベルのページをめくる手が一瞬止まり、物語に集中できなくなってしまう。

 朔菜とは今年、クラスが別れてしまい、以前のように気軽に話す機会も減っていた。

 それでも、彼女が内山櫂に何か利用されているのではないかという疑念が、蒼真の心にくすぶっていた。


 もし本当にそうなら、放っておくわけにはいかない。そんな思いが、胸の奥で小さく燃え始めていたが、深入りするのは危険かもしれないとも感じていた。


 かつて恋人だったとはいえ、今は気まずい間柄だ。

 過度に干渉すれば、彼女を困らせるだけになるかもしれない。


 蒼真は目を閉じ、静かに息をはいた。

 物語の主人公なら、きっと迷わず行動するだろう。だが、自分はただの高校生。特別な力も特別な立場もない。

 蒼真は首を横に振り、嫌な気持ちを振り払おうとする。


 そんな時、教室にチャイムの音が響き、三時限目の授業が開始したのだ。

 教壇に立つ女性の担任教師は、軽やかな口調でクラスを見渡した。


「さあ、みんな! 今日の三時限目は、来週の体育祭について話すよ!」


 その言葉に、教室は一気に沸き立った。

 来週の水曜日に開催される体育祭は、毎年恒例の大きなイベントの一つだ。

 クラスメイトたちの目が、期待と興奮でキラキラと輝いた。


「今年の体育祭は、球技大会がメインになるから。チームに分かれて、好きな競技を選んでね。バランスよく決めてね」


 先生が黒板に書き出したのは、野球、サッカー、バドミントン、バレーボール、ドッジボールの五つの競技名。

 毎年少しずつ変わる内容に、教室はさらに熱気を帯びた。

 男子グループはサッカーに燃え、女子たちはバレーボールに意気込む。ドッジボールは男女比がほぼ均等で、和気あいあいとした雰囲気が漂っていた。


 蒼真は席に座ったまま、どの競技にするか考えを巡らせていた。

 野球は苦手意識が強く、サッカーは足が遅くて自信がない。

 視線がふと、教室の片隅で友達と楽しげに話す紅葉に止まった。


「ねえ、私たちどうする? バレーとかどうかな?」


 紅葉が友達に提案していた。


「バレーいいね! でも、バドミントンも楽しそうじゃない?」


 友達の一人が返した。

 蒼真は心の中で呟く。


 紅葉さんはバレーボールか……。

 でも、できない競技で迷惑をかけるのも嫌だし……バドミントンなら、いけるかもしれないな。


 小学生の頃、蒼真はバドミントン部に所属していた。

 休日には妹の凛音りんねと市民体育館でシャトルを打ち合った思い出が、今も鮮明に残っている。


 五つの競技の中で、バドミントンならそこそこ自信があった。

 蒼真は立ち上がり、黒板に近づくと、チョークを手にバドミントンの欄に自分の名前を書き込んだ。


 満足げに蒼真が頷いた瞬間、背後から明るい声が響いた。


「蒼真くん、どれにしたの?」


 振り返ると、そこには紅葉が立っていた。彼女の笑顔に、蒼真は一瞬ドキリとした。


「え、俺? バドミントンにしたけど」

「そうなんだ! じゃあ、私もバドミントンにしちゃおうかな!」

「え、大橋さん。バレーボールじゃないの? さっき友達と話してたの、聞こえたけど……」

「うん、最初はバレーかなって思ってたけど、友達と色々と話してたらバドミントンの方が楽しそうって盛り上がっちゃって!」


 紅葉の軽やかな笑い声に、蒼真は少し照れながらも頷いた。彼女の勢いに、なんだか心が軽くなる気がした。


 クラス全体の話し合いが進み、各競技のメンバーが次々と決まっていく。


 サッカーは運動神経抜群の陽キャたちが中心となり、野球は経験者が集まった。 

 バレーボールは女子たちの元気な声が響き、ドッジボールは男女がバランスよく参加。

 バドミントンチームには、蒼真と紅葉に加え、紅葉の友達数人も名を連ねた。


「よし、みんなだいたい決まったみたいね!」


 先生が教室を見渡し、満足そうに頷いた。

 教室内は、来週の体育祭への期待でさらに明るい空気に包まれる。

 蒼真は隣に立つ紅葉に視線を向けた。彼女はニコッと笑い、こう言った。


「来週のバドミントン楽しみだね!  一緒に頑張ろうね、蒼真くん!」

「うん、そうだね、やるからには優勝だよね」


 蒼真は少し照れながらも、力強く応えた。

 窓から差し込む陽光が、体育祭への熱いカウントダウンを照らし出していた。


「まだ時間があるから、体育館やグラウンドで軽く練習してもいいよ。ただし、他のクラスは授業中だから騒ぎすぎないようにね!」


 先生の注意深いセリフに、クラスメイトたちは静かに動き始めた。

 蒼真は、紅葉たちと一緒に体育館へと向かうことにしたのであった。

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