第7話
駅前の時計台が逆さまに立っているのを見たのは、たしか夜の七時だったと思う。けれど腕時計を見ると午後二十三時と書かれていたし、壁のカレンダーは「木曜日の次は木曜日」としか書かれていなかったから、結局何時なのかはわからない。
私はそのまま道を歩き、気がつくと床屋の椅子に座っていた。ハサミを持った理容師は顔のないマネキンで、なぜか散髪ではなく肩たたきを始める。コツコツとリズムよく叩かれるうちに、後頭部からビー玉がぽろぽろと転がり落ちた。
「これはもう古い記憶ですね」
理容師の声は聞き覚えのあるアナウンサーの声だった。床に転がったビー玉を追いかけて外に出ると、そこは図書館の中庭だった。
図書館の真ん中には巨大な井戸があり、覗き込むと水の代わりに大量の本がぎっしり詰まっている。ページが勝手にぱらぱらとめくれていて、どの本も同じことを書いていた。
――後ろに気をつけろ。
振り返ると、犬の顔をした郵便局員が立っていた。封筒を差し出してくるので受け取ると、中には真っ黒な紙が一枚だけ入っていた。
その紙を見た瞬間、足元の地面が柔らかく溶けて、私はずぶずぶと沈みこんでいった。
落ちた先は、電車の車内だった。乗客はみんな新聞紙でできた人形で、ばさばさと音を立てて笑っている。窓の外は真っ暗で、ガラスに映った自分の顔だけがはっきりと見える。だがその顔は、私のものではなく知らない誰かのものだった。
ぞっとして席を立つと、車内アナウンスが流れた。
「次は、悪夢遊園地前~、悪夢遊園地前~」
その声と同時に、車両のドアが勝手に開き、私は放り出された。
気づけば観覧車の前に立っていた。だがゴンドラはなく、代わりに空中に巨大な金魚が泳いでいて、人々がその背中に乗って回っている。
「一緒に乗りませんか?」と声をかけてきたのは、さっきの犬顔の郵便局員だ。今度は綿菓子を持っていた。
恐怖よりも甘い匂いに惹かれて、私は金魚に飛び乗った。背中はふかふかで、綿菓子みたいに粘っこい。空に舞い上がると、下では例の理容師マネキンが大声で叫んでいた。
「まだ肩たたきが終わってません!」
金魚が笑い声をあげると、空一面にビー玉が降り注ぎ、街灯や家々をきらきらと埋め尽くした。さっきの恐怖はすっかり消えて、私はその光景にただ見とれていた。
――気がついたら、布団の中にいた。
手のひらには小さな綿菓子の欠片がくっついていたが、口に入れてみると砂糖ではなく塩の味がした。
「……まあ、いいか」
そう言って目を閉じると、窓の外でまた時計台が逆さまに立ち上がる音がした
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