第6話
あるところに、畳の目を数えることを仕事にしている男がいました。
朝起きるとまず自分の部屋の畳をじっと見つめて、「今日は目が12345本分輝いている」とか「昨日より二本多い気がする」といったことを記録するのです。
けれども、どういうわけかその記録はすぐに消えてしまう。ノートに書いても、壁に刻んでも、気づけば跡形もなく消えているのです。
男は「ああ、きっと畳が自分の秘密を守っているのだろう」と思い、あまり気にしないことにしました。
昼になると、彼は近所の川へ行きます。川には丸い石が並んでいて、その石たちは時折、ひそひそとおしゃべりしているように聞こえるのです。
「昨日は青い魚が通ったな」「いや赤かったぞ」
「君の目が曇っているのではないか」
そんなやりとりが、ぼんやりと水音に混じって聞こえてきます。
男は石たちに話しかけることもなく、ただ耳を傾けていました。けれどもある日、石のひとつがはっきりとこう言いました。
「君、今日のお昼ご飯はもう食べたかね」
驚いた男は「まだだよ」と答えてしまいました。
すると石は満足げに「では右から三つ目の石をどけてみなさい」と言いました。男がその通りにすると、石の下から小さなおにぎりが出てきたのです。具は入っていませんでしたが、ほんのり甘く、なぜか遠い昔に食べたような懐かしい味がしました。
その日から男は毎日、石に昼食をもらうようになりました。日替わりで、梅干しや卵焼きや見たことのない模様の飴玉が出てくるのです。
ただし食べ終わると必ず、袋ごと川に返さなければなりません。そうしないと、翌日は何も出てこないのです。
夜になると男は布団に入りますが、眠る前には必ず夢の国への切符を探します。切符はどこにでも現れます。まくらの下だったり、窓の桟だったり、時には耳の中に小さく折り畳まれていることもあります。
見つけたら目を閉じ、胸の中で三回「きっぷ、きっぷ、きっぷ」と唱える。すると体がふわりと軽くなって、知らない街へと降り立つのです。
ある夜、彼は雲でできた駅に降りました。駅には誰もいません。ただひとつ、巨大な時計が雲を透かして光っていて、その針がぐるぐると逆回りをしていました。
「おや、君は遅刻だね」
そう声をかけてきたのは、帽子をかぶったカラスでした。
「どこへ行けばいいんだい」と男が尋ねると、カラスは「どこへも行かなくていい」と言いました。
「ここでは、行き先を決めないことが旅なんだ」
男はその言葉を聞いて、なんだかとても安心しました。行き先を決めないでいい旅というのは、少しも疲れないのです。
そのまま雲の上を歩いていると、ふわふわと大きな団子が空を飛んできました。みたらし団子のように見えますが、串はなく、三つの団子が勝手に並んで飛んでいるのです。
「おやすみなさい」と団子は言いました。
男も「おやすみなさい」と返しました。
その瞬間、世界がすっと暗くなり、団子の声も川の石の声も畳の目の数も、すべてが遠ざかっていきました。
そして男は、次の朝まで何も思い出さないまま、静かに眠ったのです
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