第23話「立ち止まる朝」

朝だというのに、世界は夜のように白く暗かった。

風が雪を叩きつけ、視界は数歩先すら霞んでいる。ティナは薬草袋を胸に抱え込み、何度も瞬きをしては、ぼやける仲間の背中を追った。


「駄目だ、ここで動くのは危険すぎる」


ルークが声を張り上げる。吹雪の唸りがそれすら飲み込みそうだ。


「風向きが変だ、谷の向こうから雪が溜まってきてる。無理に進めば足を取られる」


「じゃあ……どうするんです?」ティナの声はか細かった。


「小さな産地がある。あそこなら風をしのげる。とにかくいったん止まるぞ」


ルークの判断に、マルタが顔をしかめる。


「立ち止まれば体温が下がります。護符も完全ではありません」


「だからこそ体力を温存するんだ」


ルークは苛立ち気味に言い放ち、雪を踏みしめて進む。だがその足取りにも、疲労の重みが滲んでいた。


産地は雪に埋もれかけた岩陰だった。四人はそこに身を寄せ、濡れた衣を絞るように体を丸める。息が白く絡まり合い、時間の流れが鈍くなる。


「……このままじゃ、道を見失うかもしれない」ティナがつぶやく。


「道を失うくらいなら、体を失う方が早いかもしれんな」


ルークの口調は冗談めかしていたが、瞳の奥には鋭い光が宿っていた。


マルタは祈りの言葉を増やし、護符に何度も息を吹きかける。その指先が震えているのをティナは見た。


吹雪の音が壁のように耳を塞ぎ、時間感覚がずれていく。ティナのまぶたは重く、意識の隙間にあの日の記憶が入り込もうとする。イヴァと笑っていた、あの夏の森の匂い。


いまは、その笑顔さえ遠い。


ルークが急に立ち上がった。


「このままじゃ駄目だ。もう少し先に行けば、もっと広い岩場がある。そこまで行こう」


「でも、風が……」ティナが止めかける。


「行ける!」ルークは短く言い切り、背負い袋を担ぎ直した。


その声に、マルタが低く呟く。


「あなたの判断が命取りになるかもしれない」


「なんだと?俺の判断で助かってきたんだ」


ルークの瞳が怒りと焦りで揺れる。ティナは二人の間を見比べ、胸が縮む。


疲れている。皆、疲れている。だから言葉が刃みたいに尖っていく。


イヴァだけが、岩陰にもたれ、薄い笑みを浮かべていた。雪の粒が白い髪に絡まり、彼女はそれを指で払う。その指の動きが妙に緩やかで、他の誰とも違う世界にいるように見えた。


「……無理はやめようよ」ティナは思わず声を出した。


「わかってる。だが、このままじゃ本当に危ない」ルークの声が掠れている。


吹雪はさらに強まり、雪の粒が岩陰の中にも入り込んできた。ティナは膝を抱え、冷たい息を吐く。


この小さな誤判断が、きっとどこかで何かを呼ぶ。そんな予感だけが胸に渦巻いていた。


ルークは結局、もう一度腰を下ろした。拳を膝に当て、歯を食いしばっている。その横顔に、これまで見たことのない脆さがあった。


誰も口を開かず、ただ吹雪の音だけが響いている。白い壁に囲まれた小さな空間で、四人はそれぞれの息づかいに閉じ込められていた。


ティナはふとイヴァを見た。彼女は静かに目を閉じ、何かを数えるように唇を動かしている。保存の仕草にも似た、奇妙な指先の動き。ティナの胸がひやりと痛んだ。


吹雪はまだ止まない。だがその白い唸りの奥で、何かがきしむような音がした。裂け目が、静かに広がっていくような音だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る