第7話「雪に埋もれた記憶」

その夜、懐かしい夢を見た。


雪明かりがまぶたの裏に揺れて、暗い部屋がすうっと消え、代わりに白い世界が広がっていく。


……森の匂い。背が高い木々、冬の冷たい風。


私は小さな手に布袋を握りしめ、必死に薬草を探していた。病気の母のために。けれど、吹雪に道を見失い、足元はすでに雪に埋もれていた。


「……おかあ、さん……」


声を出した瞬間、涙があふれた。


目の前は白一色で、どちらが村の方角かもわからない。指先がしびれて、怖くて、ただ立ち尽くすしかなかった。


そのときだった。


音もなく、雪の中に人影が現れた。白い髪が風にたなびき、黒い瞳がこちらをまっすぐに見ていた。


イヴァ。


今より少し背が低く、顔つきも幼いけれど、それでもあの子だった。


彼女は無言で私に手を差し伸べた。


その手を見た瞬間、なぜだか泣き止んだ。小さな私はおそるおそるその手を握った。


ひやり、とした感触。


雪より冷たいはずなのに、不思議と安心する冷たさだった。普通の人とは違う気配を感じる。けれど、怖いよりも、ただ心が落ち着いていく。


私はそのとき、初めて“好き”という感情を知ったのかもしれない。


彼女は言葉もなく、私を森の奥の小道へと導いていく。


その背中を必死に追いかけながら、私は胸の奥があたたかくなるのを感じていた。


(イヴァ……)


雪のざわめきだけが耳に残る。



イヴァは私の小さな手を握ったまま、森の奥の開けた場所へ連れていった。


吹雪が弱まり、そこだけ淡い光に包まれている。


白い息を吐きながら、彼女は少しかがんで私の目線に合わせる。


「あなたは強くなる」


黒い瞳がまっすぐ私を見つめ、静かな声で囁く。


「いつか、私と一緒に遠くへ行く」


胸がどきん、と鳴った。


幼い私には、その言葉の意味はうまくわからなかったけれど、心の奥でひどく大切なことだと感じていた。


うなずこうとした瞬間、足元の雪が深く沈みこみ、景色がひしゃげた。


森が雪の白に飲み込まれていく。


木々が一本ずつ溶けて、川の流れが止まり、イヴァの輪郭がゆらぎ始めた。


「まって……」と声を出そうとしても、口が動かない。


冷たい風の音だけが大きくなり、光がまぶしすぎて、世界が真っ白にかき消された。


――その瞬間、私は目を開けた。



息が荒く、額には冷たい汗。


出発前夜の寝台の上。薄暗い部屋に、薪のはぜる音だけが響いている。


夢の中で聞いた言葉が、胸の奥にまだ響いていた。


いつか私と一緒に遠くへ行く――。


隣で、イヴァが眠っている。


白い髪が枕に広がり、寝息がかすかに聞こえる。


夢の中のイヴァと同じ顔。


胸が詰まり、私は無意識にその腕へと身をすり寄せた。


ひんやりした匂いが鼻先をかすめる。それでも、怖いよりも安心のほうが勝っている。


窓の外、夜明け前の薄明かりが差し込み、雪の粒が空を舞っている。


明日、私たちはこの村を出る。


そのことを思うと、心の奥がきゅっと締めつけられた。


けれど、隣の温もりを感じながら、私はそっと目を閉じる。


――雪明かりの中で、あの約束だけがはっきりと胸に残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る