再会
夜、なかなか寝付けない私は、ベッドの上で仰向けに寝そべりながらスマホを
気を
絵里は大学時代の同級生で、私の唯一無二の親友。学部と学科が同じで、入学直後の授業ガイダンスで隣の席になったのをきっかけに知り合った。
「ウチ、大阪から来ててな! 東京って初めてやねん! 友達もおらんから、よろしく!」
コテコテな関西弁で私にそう語りかけてきた、笑顔の可愛い女の子。それが絵里の第一印象だった。
疑り深い性格の私は、初対面の相手に強い警戒心を向け、心の壁を作ってしまう。だから、小学校から高校まで特別に仲の良い友達というものができなかった。相手が何か攻撃してきたわけでもないのに、自分が傷付かないための強固な壁をあらかじめ作り、周りの人たちを遠ざけてしまう。その繰り返し。
しかし、絵里の快活な口ぶりと笑顔は、私の心の壁を簡単に貫いた。今まで出会った人たちと彼女は違う。何の遠慮もなく人の心にずけずけと入ってこようとする。だが、嫌な気持ちは一切しない。朗らかで、温かい。口調と笑顔ゆえか、壁の中に招き入れたくなる。彼女になら、心を許しても大丈夫な気がした。
「私は高校までずっと神奈川なんだけど、大学には友達が一人もいなくて不安だったんだ。だから、よろしくね」
と、絵里が壁に開けた穴を覗き込み、できる限りの笑顔で返す。不慣れな笑顔と少し重たい返事に彼女が引いてしまうかと心配になった。だが絵里は、
「だったらウチら友達第一号同士やな!」
と、より明るい声音で、残った壁を粉々に砕いてくれた。
その日から、絵里とはほぼ毎日一緒に過ごした。同じ授業を受け、学食で昼ご飯を食べる。夜になったら居酒屋で大酒を飲み、絵里が暮らすアパートの部屋で朝を迎え、風呂にも入らずまた大学へ向かう。そんな日々。
二人とも彼氏なんか作らない。いや、私にとって絵里が、絵里にとって私が恋人同然だったのだと思う。
とても褒められた学生生活ではなかったが、彼女のそばにいる時間こそ私にとって至福だった。人生で最も楽しい時間だった。
しかし、その時間は永遠には続かない。大学三年生の後期から就活が本格化し、私たちは
四年生の夏になり、二人とも内定を貰ってようやく落ち着くかと思った矢先、父の工場が倒産。私は生活費と学費を稼ぐためにアルバイト漬けになった。絵里と、また自堕落で楽しい毎日を送ることは叶わなかった。
最後に彼女と直接話をしたのは、卒業式の当日だったと思う。その後、私は東京で、絵里は実家がある大阪に戻ってそれぞれ就職。距離が離れたことと、コロナ禍が重なったことで気軽に会えなくなった。
そこから先は、お互いに仕事が忙しくなり再会するタイミングに恵まれない時期が続く。LINEでのやり取りも、いつしか止まってしまった。
結局絵里とは顔を合わせないまま、現在まで五年が経っている。
そんな彼女から突然の連絡。びっくりするよりも先に喜びの感情が生まれた。Xのアプリを急いで閉じて、LINEを起動する。数十件も未読のまま放置している企業アカウントを押し
“仁美、久しぶりー! ウチ、実家出て東京で暮らすことにしてん。だから仁美に会えんかなー思うて、勢いで連絡してもうた笑 仁美、今も東京おるんやろ? 渋谷で会わへん?”
彼女は文面でも関西弁だ。昔から変わっていない。私は二つ返事で「OK」と伝え、一緒に遊ぶ約束を取り付ける。
絵理との至福の時間をまた味わえることに興奮し、余計に眠るのが遅くなった。
この家にいる間、私と賢太郎は父の許可なく外出してはいけないことになっている。特に遠出をする際は、その理由を嘘偽りなく伝えなければ、許可は貰えない。まさに「子供」なのだ。もちろん、子供が出かけるときは「門限」が決められる。私たちの門限は、夜九時。
心底面倒だが、私たちは父に生活のすべてを支えてもらっている身。逆らって家から放り出されでもしたら、野垂れ死ぬかもしれない。だから従わざるを得ないのである。
私は父に、「今週の土曜日に旧友の絵里に会ってくること」「昼頃に家を出て、夜九時までには必ず帰宅すること」を伝えた。アラサーの所業とは思えないが、これがこの家の絶対ルール。
父には以前、絵里の話をしたことがあり、私にとって彼女がとても大切な存在であることを理解してもらっていた。そのため外出の許可はすんなりと貰えた。
土曜日。日本に接近中の台風の影響で天気は曇り。雨は降らないとのことだが、じめじめとしている。
昼二時、私は混雑している渋谷のハチ公像前で絵里を待つ。絵里は、私との待ち合わせには必ず十分か十五分遅れて来る。授業やバイトには遅れないくせに、私に対しては
でも、それでいい。舐められたままでいい。それくらい絵里にとって私は気が許せる人間なのだと実感できるから。
今日は化粧にも服装にも大して力を入れていない。絵里とは、互いの尻にほくろがあることまで知っているほどの深い仲。彼女の前でお洒落をする必要などないのだ。
案の定、絵里もほぼすっぴんで、長い茶髪を後ろで一つにまとめ、だぼだぼのスウェットに着古したデニムというラフな格好でやって来た。
「仁美〜! 久しぶりや〜ん!」
出会い頭、絵里は私に抱きつく。私もきつく彼女を抱きしめた。遅刻には言及せず、欧米でも見かけないほどパワフルなハグをする。これが私たち流の挨拶だ。
「会いたかったよ〜! 絵里〜!」
私の声は、家族の前では絶対に出さない高音域かつ大音量。周囲の人からするとやかましく不快な声だったと思うが、そんなことは全く気にならない。その理由はやはり、私にとって絵里は今でも大切な存在だから。絵里が目の前にいると、彼女以外の物事に意識が向かなくなってしまう。十五分どころか三十分も遅刻してきた彼女を無条件で許してしまうほどに。
このままずっと抱きしめ合っているのも悪くはないが、私が絵里と会える時間は限られている。夜九時までに家に帰らなければならないことを伝えると、絵里は、
「ならすぐ飲もうや! 昼飲みや昼飲み!」
と、私の手を引っ張って居酒屋へ直行した。大学時代にいつも二人で飲んでいた、お馴染みのチェーン店。この店までなら、東京で暮らしていた期間が短い絵理でさえ目を瞑ったままでも辿り着ける。それくらい通い詰めた店だ。
この店に来るのも大学を卒業して以来。しかし、内装はほとんど変わっていない。記憶にあるままだ。
私たちは小さな二人掛けのテーブルを挟んで座り、かちんとジョッキをぶつけ合う。私が最初に注文するお酒は、当時と変わらずハイボール。世の中では「一杯目は生ビール」が相場だと思うが、私は何度飲んでもビールの味に慣れない。あの苦味がどうも嫌いだ。けれど、ハイボールなら何杯でも飲み続けられる自信がある。
絵理も大学生の頃は、
「ビールって飲みづらいねん。『喉越しが最高』とか言う人おるけど、その喉越しとやらが嫌やねんな」
と言っていたが、今日は真っ先に生ビールを注文した。
心にバリアを張りがちな私ですら絵理とは付き合いやすいと感じるのだ。きっと他の人からすると、彼女は誰よりも接しやすいし、飲み会にも誘いやすいはず。そうして色んな人から飲みに誘われる中で、絵理はビールを飲めるようになったのだろう。
彼女の見た目は最後に会ったときのままだが、味覚はだいぶ変わったようだ。
絵里は昔から、海賊でも舌を巻くであろう大酒飲み。彼女の顔より大きいジョッキでも数分で空にし、次々と注文する。話を聞くと高校時代から家で飲んでいたようで、大学に入る頃には数年の飲酒歴があったそうだ。だから、私と出会ったときにはすでに飲み慣れていたのである。
私も酒に強いほうだと自負しているが、私と違って絵里は何時間飲み続けても顔が赤くなることがないし、飲むスピードが落ちない。おそらく絵里のほうが数段強い。酔い潰れて介抱された回数は、私のほうが少しだけ多かったと思う。
酒を煽りながら、大学時代のことを振り返る私たち。
「
「絵里、ずっと寝たよね。私は真面目に板書してたってのにさ」
「とか言って、スマホで黒板の写真撮ってただけやろ?」
「まぁね。でも私が起きてなかったら、絵里あの授業の単位落としてたよ、絶対に。必修だったから進級できてなかったね」
「それについては仁美様のおかげでござんす。そもそもさぁ、うちの大学、駅から遠いねん。歩くだけで疲れて眠くなるわ。なんであんな遠かったんやろ?」
「いや、絵里は実家じゃなくて一人暮らしだったんだからさ、最初から大学の近くのアパートに住めば良かったじゃん」
「あの辺り、コンビニなくて不便やねん。その割に家賃高いとこばっか。ほんま、最悪の立地やったわ」
そんなくだらない大学時代の話が続いた。卒業した今となっては全部が無駄な話。でも、これがいい。こういう何の意味もない話を思い切りできるのが、私にとって絵里だけなのだから。
明るくて人当たりの良い絵里のことだ。きっと地元には友達がたくさんいるだろう。私以外にも、くだらない話を心置きなくできる友達が。それでも私を選んで声をかけ、わざわざ東京まで来てくれたことが、何よりも嬉しい。
体感では、店に入って三十分も経っていないつもりでいたが、スマホを見ると四時間が過ぎようとしていた。私も絵里も、大ジョッキで十杯以上飲んでいる。流石にだいぶ酔いが回ってきた。
現実の時間の流れに合わせて──いや酔いに任せてと言ったほうが良いか──私たちの話は大学時代のことから、お互いに知らない卒業後のことへと移っていった。
「絵里、就職して大阪戻ったじゃん? 実家に住んでたの?」
「うん。実家から仕事場まで、電車で三十分かからんくてな。一人暮らしして余計な家賃払うのも馬鹿らしいから、実家に転がり込んだ」
「そうなんだ。お父さんとお母さん、元気?」
「うん、まぁ……せやな」
そう言い、絵里はジョッキに半分ほど残っていた生ビールをぐいっと飲み干す。
絵里の家族仲の良さは、以前から耳にタコができるほど聞かされていた。彼女が二十歳を過ぎてもなお両親を「パパ」「ママ」と呼んでいたことからも、私の家庭とは真逆の関係性なのだろうなと思っていた。
それと、関西の人は両親のことを「オトン」「オカン」と呼ぶイメージがあったが、絵里には当てはまらなかった。
そんな彼女の口から「父親と母親とさ」という、過去の絵里とも私が関西の人に対して抱いていたイメージとも合致しない言葉が出たことで、少し驚いた。
「いろいろあって、実家出たんよ。全然円満やない。逃げるようにして東京来てん」
家族のことを話すときの絵里は、いつも楽しげだった。彼女の二本の前歯がお父さんとお母さんに思えるくらい、家族の話が彼女の屈託のない笑顔と結びついていた。
しかし今は、とても冷たい表情をしている。何かただならぬ問題があったことは、酔っ払って判断能力が鈍っている私でも察することができた。
事情を聞くのは野暮かとも思ったが、体内を巡るアルコールが、私の思考に反して舌を動かす。
「何があったの?」
絵里は数多くいる友達の中から私を選んで声をかけてくれたわけではなく、別の事情で東京に来たついでに私を遊びに誘った。それは少し残念に感じたか、そんなことより彼女の現状が気になった。
私の問いかけに絵里は三秒ほど黙った後、小さく笑うと、空になったジョッキの取っ手を握ったまま答え始めた。
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