第4話「初めての共同生活」

「君、大丈夫…?」


「うあ」


 喋った。いや人間だから喋るのは当然なんだけど。


 この非現実的なシチュエーションでは一言声を発するだけでも奇跡の瞬間のようだった。


 それもそのはずで、ここに見えるのは真冬に裸の女の人。どう見ても日本人には見えない容姿と体つき。


 意外なことにここまでの僕は冷静に考える余裕があった。持っていたスマホを取り出し、彼女にコンタクトを取る。




「警察…呼んだほうがいいですよね?」


「あお、うおー」


「え、な、何?」


「あおぉ、がふ!」


 言葉が通じない。最初は外国人で日本語が通じないのかと思ったけど、様子から見てそうじゃない。純粋に話すだけの言語を持っていないような素振りだ。




 もしかして、頭を強く打って影響が出ているのか?よく見ると彼女のおでこ、生え際に近い部分から血が流れていた。


「…君、どこから来たの?あ、えーっと英語…うぇあー、are you ふろむ……?」


「?えあー」


 やはり何も言葉らしい言葉は返ってこない。意味がわからなくても、普通は母国語でコンタクトを試みる。


 


本当に記憶喪失の類かもしれない。見た感じまだ20歳くらい?外国の子どもは大人っぽいっていうから、実際はもっと若いかもしれない。


 それくらいの女性で話す言語を持っていないなんて、日本じゃ考えられないし、秘境の原住民でもないかぎりありえないだろう。


 ならなおさら、僕がすべきことは警察に連絡して彼女を保護してもらうことなんだけど……




「があー、が!」


「あ、ちょっと!」


 突然僕のスマホに噛みついた。びっくりして手を離すと、あろうことか彼女は鋭い八重歯(犬歯に近い?)で、バキバキと噛み、咀嚼しはじめた。


 その直後、苦い顔をして粉々になった電子機器の破片をぺっと吐き出す。


「………………」


 開いた口がふさがらない。スマホを噛み砕くって、こんなことあるのか?僕の方が状況を噛み砕けてないぞ。




「ぐぅ、ぐうー」と今度は何かを訴えるようにうめき声を上げる。そして何の躊躇もなく僕に抱き着いてきた。


 突然の出来事に大パニックになる。裸の女の人に抱き着かれるなんて初めての経験だ。というか女の人の手を握ったことも母親以外いない。




 どうする?ここからどうすればいいんだ?


 考える間もなく、さらに彼女は顔を近づけてくる。その距離10cm。


 いよいよ思考停止するかという直前、その顔の表情、眼の訴えで僕はやっと彼女の意図を察することができた。こういうときは言葉が通じなくても理解できるのが人間の凄いところだ。




「……お腹空いてるの?」


「あおん」




 僕はとりあえず、彼女を家に持ち帰ることに決めた。


 ひとまず自分が羽織っていた羽毛入りのアウターを脱ぎ、彼女にかける。彼女は以外にも大人しく幼児のように着させられていた。


 人がほとんどいない田舎だとしても、万が一この状況が見つかるとまずい。


 誰にも遭遇しない事を祈りながら、彼女の手を引いて歩く。幸いにも雪の足跡を辿れば迷うことはない。


 僕自身の足跡と、大きな獣の足跡。当時の僕はそこに気づくことはなかった。










 幸運なことに不安は的中することなく、誰にも遭遇せず無事家に帰る事ができた。ときおり彼女が吠えるような声を出す度に肝が冷えたが。


「さて、どうしようか……」


 あらためて彼女を部屋に連れてくると、何から始めればいいのかわからなくなった。


 とりあえず、服?それともお風呂を沸かした方がいいのか?いや、お腹が空いてるんだからご飯を作るのが最優先なのか?


 立ち尽くす僕をよそに、彼女は鼻を少しひくつかせる。そして一直線に丸型の直置きテーブルに向かう。




 じっと見ていたのは、カップラーメン。僕が食べる前に外に出たため、30分以上放置されたでろでろのカップ麺だ。


「あ、それもう美味しくないよ。のびてるし、冷めてるから」


「がうん!んぐっ、ぐぅ!」


 関係あるかとばかりに、手づかみで麺を掴み、口に頬りこむ。しばらく真顔で咀嚼を続けていたが、やがて口角を上げ、むさぼるように食べ始めた。


気に入ったらしい。まあスマホよりは確実に美味しいだろう。




 僕はその光景を見てやることが決まった。台所の棚を開き、彼女が食べたのとは別の味のカップ麺をふたつ取り出し、電気ケトルでお湯を沸かした。


これだけ大きければ食べる量も見合うだけのものだろう。食べきれなければ僕が食べればいい。


 夢中でラーメンを食する彼女。箸もフォークも使わないところを見ると、基本的な人間の生き方すら知らないのか、忘れているのか。




なんとなく彼女を見ていると、ふと気づいた。


「君、左利きなの?」


「うあー?」


「僕も左利きなんだ」


 理解できなかったのか、再び麺をさぐるように、左手でスープに手を突っ込む。


 


この非日常の光景にも関わらず、僕は不思議なほど落ち着いていた。


 今作ってるカップ麺、少し冷ましてからじゃいないといけないな。火傷しそうだ。

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