おまけ

 穏やかな日々が続き、ケンゾンへの移住希望者も落ち着いてきた頃……ハシャラは蟲神を祀る教会へと訪れていた。


 教会には定期的に祈りにやってきているハシャラだったが、この日は少しばかり緊張していた。


 というのも、教会に来た理由ががあったからだった。


 ――昨夜、ハシャラはとても短い夢を見た。


 真っ白なモヤがかった空間に、白い服と白く長い髪、そして美しい蝶のような羽が背にある蟲神が立っていた。


 蟲神の目には涙が浮かび、美しい顔立ちをした頬にその涙が流れ落ちていた。


「ど、どうなさったのですか……!? 蟲神様!?」


 ハシャラが慌ててそう声を掛けると、蟲神は優雅な手つきで目元を拭い、それでも止まらぬ涙を見てぼんやりとしていた。


 かと思うと、眉尻を下げながら口元に笑みを浮かべて言った。


「……明日の昼、ケンゾンの教会に行って」


 ハシャラは意味が分からず、不思議な顔をしながら尋ね返す。


「ケンゾンの……蟲神様を祀る教会ですか……?」


 すると蟲神は、コクリっと静かに頷いた。


「ここでは言えないことなのですか?」


 ハシャラがさらに尋ね返すと、蟲神は少しだけ目を伏せたかと思うと、まっすぐに潤んだ瞳をハシャラに向ける。


「……会ってほしい人がいるんだ」


 そして、そう答えた。


「会ってほしい人……それは誰ですか? なぜ、明日の昼なのですか?」


 蟲神の様子もおかしいし、言うことも理解できずにハシャラがさらに質問をするが、蟲神が答えることはなく、ただ眉尻を下げて涙を流しながら、微笑んでいるだけだった。


 そうしていると、モヤが蟲神を包み込むように増していき……蟲神の姿が見えなくなっていく。


「蟲神様……!?」


 ハシャラが慌てて声を掛けるが、もう蟲神の姿はモヤに飲まれて見えなくなっていた。


 代わりに、真っ白いモヤに包まれた空間に、蟲神の穏やかな声が響き渡る。


「……明日の昼、ケンゾンの教会に行って、――に会って……」


「え!? 誰にですか……!?」


 肝心なところは聞こえず、聞き返しても返事がない。


 そして白いモヤが目の前も覆い尽くして、何も見えなくなったと思ったら……ハシャラはいつものベッドで目を覚ました。


 そしてその日の昼、少しの不安を感じながらも教会にやってきた、というところである。


 蟲神の様子を見るに、尋常ではない事態が起こっているように思えた。


 何が起こるのか、誰が待っているのか……ハシャラは不安を胸に、教会に足を踏み入れた。


 教会には数人の領民とテンたちがいた。


 まばらに長椅子に座っている領民とテンたちは、ハシャラの姿を見かけると口々に挨拶をする。


「おや、領主様。こんにちは」

「姫様。こんにちはー」

「領主様もお祈りですか?」


 そんな彼らに、そこそこの挨拶を返しながら蟲神の像のもとまで歩いていくと、一番奥の長椅子に男女で座っていた内の一人の男性が、ハシャラのもとへと近付いてきた。


「あ、あの……ケンゾン領主様でしょうか?」


「え、えぇ……そうですが……」


 突然のことにハシャラは戸惑いながらも、返事をする。


 すると声をかけてきた男性はぱぁっと明るい笑顔を見せて、少し早口に言葉を続ける。


「お、俺……いえ、私は今日、ケンゾンに移住してきた者です。ケンゾンに来たら、ぜひ領主様にお会いしたいと思っていたのです」


「そうなのですか。ケンゾンへようこそ。これからよろしくお願い致しますね」


 ハシャラは逸る気持ちをぐっと抑え、笑顔で男に挨拶を返した。


 そしてハシャラは彼が蟲神の言っていた人物なのだろうかと、彼をじっと観察してみる。


 けれど、特に変わった様子はなく……ハシャラは一人で首をかしげていた。


 すると、男はあっと気がついた様子で言葉を続ける。


「あの……ぜひ、妻と子もご挨拶させてください。妻は特にケンゾンに来るのを楽しみにしていたのです」


「え、えぇ。もちろんです」


 男の勢いに押されながらも、ハシャラはにこやかに承諾した。


「ありがとうございます! おいで、領主様にご挨拶を」


 そして男は、自分が先程まで座っていた長椅子の隣に座っている、妻だという女性を呼び寄せる。


 女性がゆっくりと立ち上がり、ハシャラの前まで歩いてくる。


 彼女の腕の中には、赤子が抱かれていた。


「はじめまして、領主様。この度、ケンゾンに越してまいりました。この子は私達の娘です。どうかこれから、よろしくお願いいたします」


「えぇ、よろしくおねがい……」


 挨拶を返そうとした時、紹介された赤子の顔が見え、その瞬間、ハシャラは目を見開いて、ぴくりとも動くことができずにいた。


 声を失い、じっと赤子を見つめる。


 か、彼女だ……。


 そしてハシャラは気がついた。


 この赤子こそ、蟲神が言ったハシャラに会ってほしかった人物だったのだと。


 なぜなら、彼女は見た目は普通の赤子にしか見えないが、その顔を見た瞬間……蟲神と一緒にいた少女だと、先代の蟲神の加護持ちだと本能的に気がついたからだ。


 驚くハシャラを見て、夫の方は不思議そうな表情をしていたが、妻の方は思い当たるフシがあるのか、赤子を見つめながら口を開いた。


「実はケンゾンにやってきたのは、蟲神様のお告げがあったからなのです。子供が産まれたら、ケンゾンへ行くと良いと」


 その言葉に、ハシャラは目を見開きながら彼女を見つめた。


 女性は言葉を続ける。


「蟲神様の加護を授かっていないのに不思議ですよね。この人は信じていませんが、あの方は確かに蟲神様でした。だって、ここにある蟲神様の像にそっくりでしたから」


 女性は蟲神の像を見上げながら、そう告げた。


 そして顔を戻して、今度はまっすぐにハシャラを見つめて口を開く。


「昨夜、『ケンゾンの教会に行くように』とまたお告げがあったのです。そして蟲神様の加護を授かっている領主様にお会いできた……私は偶然ではないと思っております」


 ニコリと微笑む女性を見つめ、ハシャラは目を瞬かせる。


 事態が、まだ……うまく飲み込めていなかった。


 そんなハシャラをよそに、隣で話を聞いていた男性が口を開く。


「いや、最初は妻の見た夢だろうと思っていましたが……こんなことってあるんですね。信じなくて、ごめんな……」


「いいのよ。私だって、半信半疑だったもの」


 申し訳無さそうに謝罪する夫に対して、妻は眉尻を下げながらも笑顔で答える。


 素直に謝れる夫、それを笑顔で受け入れる妻……そんな光景を見ただけでも、この夫婦の仲が悪くないことは分かった。


 やっと正気を取り戻し始めたハシャラは、冷静に赤子を見やる。


 妻に抱かれた赤子は……いや、彼女は、謝罪して頭を下げた夫の無精髭を、無邪気に小さな手でつまんで引っ張っていた。


 夫が「イタタタタッ!」と情けない格好で悲鳴にも似た声を上げていると、妻と赤子はおかしそうに声を出して笑っていた。


 仲よさげな家族を、ハシャラは泣きそうな笑顔で見つめていた。


 ……自分もニコニコさんになりたくて、生まれ変わってきたんですね……。


 だから夢の中の蟲神は泣いていたのかと、だから蟲神は笑っていたのかと……ハシャラの中で、全てに納得がいった。


「領主様……?」


 泣きそうな笑顔を浮かべているハシャラを見た夫が、不思議そうに声を掛けてきた。


 なのでハシャラは慌てて目元を拭って、にこっと笑顔を浮かべて言葉を返した。


「……改めて、ケンゾンはあなた方を歓迎いたします。どうかここで、その子を……愛情たっぷりに育ててあげてください」


 そう言われた夫婦は、不思議そうに顔を見合わせていたが、すぐに力強い笑みを作って答える。


「「もちろんです」」


 その言葉が、ハシャラにはとても頼もしかった。


 また泣きそうになったがぐっと堪えて、ハシャラは心からの笑顔を作った。


 そして夫婦に肝心なことを尋ねた。


「この子と、友達になっても良いでしょうか?」


 ハシャラにそう尋ねられた両親は、ぽかんっとした表情を浮かべていたが、妻の方がにこっと笑顔を浮かべて答える。


「もう少し大きくなったら、ぜひこの子に直に尋ねてみてください」


「そうですね……」


 ハシャラは女性と一緒に、彼女を愛おしい瞳で見つめながら……将来の楽しみが増えたのを感じていた。

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蟲神様の加護を授って幸せですが、やっぱり虫は苦手です! ちゃっぷ @chappu222

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