尚人と結月
「どうして黙ってたの、空き巣のこと」
おかえりよりも先にその言葉をぶつけると、尚人の顔がわずかに強張った。だが尚人は一時停止しただけで、いつもと同じようにダイニングの椅子にカバンを置いてネクタイを外し始める。
「だれにも言わないって、勇と約束したから」
初めから用意してあったような、そっけない答えだった。その答えで、結月の中で仮説でしかなかったものが、限りなく確信へ傾く。本当に、ここになにかあるのだ。求めていたものに近づいていく興奮と、一番近くにいた人がそれを隠していたことに対する悲しさが、怒りが、体の中で出口を求めてぐるぐると渦巻く。
「だれにも言えないようなことなの?」
「心配かけたくなかっただけだよ」
「こんなことが起きてるときに、心配とか言ってる場合?」
「話せば、そうやって今の状況と無理やり結びつけて考えるだろ。だから言わなかった」
「勝手に決めつけないでよ」
「現に、もうすでに関係があるって決めつけてるじゃないか」
「私は尚人が黙ってたことに怒ってるの」
つい声が大きくなる。
結月が昔のことを調べ始めたとき、尚人はあまり深入りしないよう忠告した。あのときは単に、素人が調べるだけ無駄と思っているのだと、そのくらいに考えていた。だがもしかしたらあれは、触れられたくないことがあったから、早く手を引かせようとしたのではないか。そう考えたらもう他のことは考えられなくなってしまい、帰宅してからずっとダイニングで尚人が帰ってくるのを待っていた。
一方尚人は、帰宅したばかりのふいを突かれたにもかかわらず、ひどく冷静だ。結月は思うような答えが返ってこないいらだちに、つい焦って言葉を先走らせてしまう。
「本当は空き巣以外にもなにかあったんじゃないの? だから隠したんじゃないの?」
結月が知る勇と、ブルーAのメンバーが知る勇と、梨花が知る勇は、それぞれ違う。だが尚人が知る勇だけは、結月が知らないことなどないと思いこんでいた。勇について、結月が知らないことを尚人が知っていたのが、悔しかった。子どもじみているが、それが本音だ。
服を緩めた尚人は、イスには座らず結月を見下ろす。帰ってきてから初めて合わせる目には、見透かすような鋭い光が宿っていた。
「結月の方こそ、なにか隠してるんじゃないの?」
「質問に質問で返さないでよ」
「なんで? 答えられないから?」
図星を突かれ、反射的に言い返しそうになる言葉を抑えこんだ。ダメだ、尚人のペースに乗せられてしまう。
「結月はなにを調べてるの? 盗作のことだけじゃないよね?」
結月が言葉をのみこんでいる間に、尚人は話を進めてしまう。
「江口が部屋でケンカしたのはずっと前の話だよ。なんでそんな古いことを調べてるの? それが今の問題にどう関係してるの? なにか心当たりがあって調べてるんでしょ? なんで僕には教えてくれないの?」
確信のある言いかただった。尚人は勘が鈍いが、頭はいい。ルームシェア時代の話に始まり、今度はメンバーを訪ねて回って、いくら江口との接点がそこしかないからといっても、いつまでも古い話にこだわっている不自然さに気づかないはずがない。調べたことを秘密にしているつもりはなかったのだが、SDカードについて話せないせいで、無意識に会話にブレーキがかかっていたのかもしれない。
「『霧中』はそのころに作曲されてる。だから調べてた」
「なんで結月がそんなこと知ってるの?」
「横で聞いてたから」
「なんで黙ってたの?」
「聞かれなかったから」
「そのころに江口が曲を盗んだと思ってるわけ?」
「それを調べてる」
「それがわかったとしても、どうやって証明するの?」
尚人は、いちいち結月の先回りをして言葉や考えをかすめとっていく。お前の考えていることなんかお見通しだと、見せつけなければ気が済まない。普段はうまく隠している性格の悪さが、怒ったときには表に出てくる。そこまでわかっているのに、結月の平常心はどんどん削られていく。
「なにがそんなに気に入らないの? 勇の無実を証明したいと思うことがいけないの?」
「これは僕らじゃどうにもならない。毎日テレビを見てるだろ。勇は今、世間の敵なんだ。ひとりがなにか言ったって状況は変わらない」
「だから放っておけって言うの?」
「下手にかばうような発言をしたら、結月まで叩かれかねないって言ってるんだよ。そもそも勇がなにも言わないから、こんなに騒ぎが大きくなってるんじゃないか。そんなことに巻きこまれてほしくないんだよ」
もうとっくに巻きこまれている。あのSDカードが撮影された時点で結月は当事者なのだ。SDカードまで託されて、今さら他人のふりなんかできるわけがない。
そう説明できたらどんなにいいか。
答えない結月に、尚人がイライラしたように長いため息をつく。
「なんで結月がそんなに一生懸命になるんだよ。勇の問題だろ」
耳を疑った。
聞き間違いかもしれないと、頭の中で今の尚人の言葉を繰り返してみたけど、意味は変わらなかった。どうして、今さらそんなセリフが出てくるのか。
なんでって、そんなの、決まってるじゃないか。
「勇の問題だからでしょ」
「勇が結婚したのは結月じゃない!」
尚人の怒鳴り声が、わあんと部屋に響いた。
頭に昇っていた血が、冷めていく。
なんで、そんなことを言うのだろう。
どうして、よりによって、結婚の話になるのだろう。
今はそんな話をしているんじゃないのに。
尚人はさらに、追い打ちをかける。
「いい加減、気づいてよ。勇の一番は結月じゃない」
自分で言ったくせに、尚人は傷ついたような顔をする。
感情が急速に引いていく。結月の中に残ったのは、呆れだけだった。
そういうことか。
ずっとそんなふうに思われていたのだ。
結月が勇のことで必死になるのは、勇のことを想っているからだと。だから調査が気に入らなかったし、情報も隠した。
尚人はずっと、結月の気持ちを疑っていたということか。勇に対して嫉妬心をいだき続けていたということか。
いったい、いつから?
尚人は、わかっていると思っていたのに。
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