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反論

 店員がテーブルから皿を下げた。そろそろ三時になる店内に、客は結月ひとりだ。ぬるくなったコーヒーと丸めた紙ナプキンだけが残されたテーブルで、結月はスマートフォンでカールのSNSを見ていた。



加賀谷勇に関する報道について


 一部週刊誌の報道につきまして、関係者の皆様、加賀谷並びにTHE BLUE ALBATROSSを応援してくださっていたファンの皆様にご心配をおかけしてしまっていることを、加賀谷にかわってお詫びいたします。

 本来であれば加賀谷本人が答えるべきとは思いますが、報道後、加賀谷と連絡がとれない状況が続いております。すでに様々な憶測が広がってしまっていますので、そばで加賀谷を見続けていた者として、知る限りの事情をご説明いたします。



 そのあと、曲以外のものも勇に盗まれたなどと江口が訴えるトラブルや、勇の人格に関わる主張について、ひとつずつ釈明していく。結月に話してくれたのとほとんど同じ内容だ。そして最後は、勇を擁護する言葉でしめくくられていた。



 しかるべきときがくれば、加賀谷本人が説明をするはずですので、今しばらくご辛抱くださいますようお願い申し上げます。


 二〇二五年七月八日

 天野あまの丈紘たけひろ 軽部かるべ奏多そうた 竹吉たけよし歩武あゆむ



 日付を見て、もう七月なのか、と少しだけ驚く。最初の週刊誌が発売されてから、二週間も経つのだ。

 内容は事前にジョーから知らされていた。結月はいくつか言葉の言い換えをアドバイスした程度で、手を加える必要はほとんどなかった。シンプルだが、三人が正直な気持ちを書いているのが伝わってくるコメントだ。しかしそのあと事務所の手が入ったのだろう。〈加賀谷の無実を信じている〉という一節がなくなっていた。

 しかし彼らの想いは逆の効果を生んでしまった。「仲間にここまで言わせておいて、本人はなにをしているんだ」と勇を責める声が増えたのだ。

 しかしそうした反応も、翌日のテレビにはもうとり上げられることはなかった。今週に入ってからニュースがこの話題に割かれる時間は一気に減っていき、一度も触れない番組も出てきた。週刊誌が発売された当初は一大スクープだったのに、肝心の勇が出てこないことで、報道が完全に間延びしていた。

 テレビに比べ、SNSの方は少し動きがあった。ある動画投稿者の動画に江口が出演したのだ。

 話している内容そのものに真新しさはない。しかし週刊誌に持ちこんだ経緯や心情が本人の口から語られるということで、一時は国内の動画ランキングでトップになったほどの注目を集めた。はからずも、姿を現さない勇との対比構図となり、勇のアンチやおもしろがっているだけの野次馬は大いに沸いた。

〈たくさんの人が注目してくれてるのはありがたいんだけどさ、みんな好き勝手に憶測を言うじゃん? 書いてあることを勝手に別の解釈して語る人もいるしさ。俺そういうの大っ嫌いだからさ、もう自分でしゃべることにしの。独占取材だから、他ではしゃべるなって言われてんだけどさ。もういいっしょ?〉

 動画の中で江口はそう口にしていたが、いい訳がなく、週刊誌は今週の記事で手の平を返して矛先を江口に向けた特集を組んだ。妙に反応が早く内容も充実していたので、あるいは以前から用意していたのかもしれない。

 GAXEのセールスがメジャーデビュー時と比べてどれだけ落ちているか、専属契約打ち切りなどの事実を並べて、江口がやけになって勇を道連れにしようとしていると推測していた。

 それから話はメジャーデビュー前にさかのぼり、江口に嫌がらせをされたバンドマンや、演奏順でもめた末に暴行されたライブハウスの関係者の恨みつらみ、女性関係のだらしなさなどが列挙されていた。

 特に興味深かったのは、江口の家庭の状況だ。江口の家は、自動車の部品を製造する企業を経営している。一般にはあまり知られていないが、自動車製造業界では知らぬ者はいない有名企業らしい。会社を興した祖父と、それを大企業へと成長させた父、父の通訳として海外進出を支えた母、大学卒業後から跡継ぎ候補として父のもとで経験を積んできた兄、商社に五年勤めたあと同僚を婿にもらい寿退社した姉。優秀な家族の中で、末っ子の江口はどうしようもないドラ息子として近所では有名な存在だったらしい。中学生のころにバンドを始め、練習時の音量でケンカしたことがきっかけで家を飛び出し、以来、家族とは折り合いが悪い。父だけは江口に甘く、金に困ったときだけ帰ってくる江口に毎回まとまった金額を渡していたらしい。デビュー曲がヒットするなり突然はぶりがよくなり、それまで借りてきた金に色をつけて返したが、一年ほどでブームが去るとまた以前の生活に戻り、金を無心するときにだけ家に現れるという、江口の浮上と没落ぶりが嫌味たっぷりな文章で書いてある。

 その父が春に他界し、家族は遺産相続でごたついているらしい。会社は兄が継ぐことがほぼ確実らしいが、都内に所有しているマンションや、自宅、別荘、預貯金など、残った資産をどう分配するかでもめているとのことだ。家の中での唯一の味方がいなくなり、江口はかなり苦しい立場にいる。そこにこの盗作騒動が重なった。母は江口の狂言だと決めつけているらしく、江口と家族の縁を切りかねないところまでこじれている。

 読み始めたときは、江口をバッシングしてくれる人が現れたことで胸がすく思いがした。しかし読み進めるうちに、なんとなく気の毒に思えてきた。決して同情したわけではないが、契約を切られるというのがどうしても他人事に思えなかったのだ。

 もしかしたら結月に脅迫してきたのも、単純に金に困っていたからなのかもしれない。嘘の告発をして『霧中』を奪いとろうとしている矢先に、大切な証拠を使い回してまで結月からはした金を巻き上げるのは、どうにも不自然で引っかかった。だが父の援助が消えたことで、金銭的にひっ迫していたのだとすれば説明がつく。

 結月の調査も行き詰まりを感じていた。

 ジョーに頼んで、勇のソロのマネージャーから話が聞けないか、かけ合ってもらったのだが、断られてしまった。マネージャー自身もなにも知らないのに、マスコミから追い回されたり会社から説明を求められたり、大変らしい。同じようにブルーA時代のマネージャーにも紹介してもらったのだが、なにも連絡がないということは、忙しいか、無視されたということだろう。いくらジョーの紹介とは言え、この非常時に、どこのだれとも知れない女に構っている余裕などないのだ。

 ブルーAがデビュー前によく演奏していたライブハウスにも行ってみたのだが、用件を伝えきる前に追い払われた。すでにかなりの数のマスコミが取材にやってきたようで、うんざりしてしまっているようだった。

 勇の実家の周りにはまだ多くのマスコミがはりついていて、とても接触できるような状況ではない。そもそも結月は勇の親と面識がないのだから、会えたところで話が聞けたかどうかもわからない。

 やはり、ここが素人の調査の限界だろうか。むしろ、ここまでがうまくいきすぎていたのだ。こんな状況にもかかわらず、メンバー三人ともが結月のために時間を割いてくれた上、あれだけ親身になって話してくれただけでも奇跡だ。

 しかし、ひとついいこともあった。再び電話で金を要求してきた江口を撃退したのだ。

 結月が渋ると、江口は前回同様、映像を週刊誌に売ると脅してきた。だが今の結月は映像の重要性を知っている。

「やればいいじゃない。できるものなら」

 電話越しに、江口が息をのんだのがわかった。

「二度とお金を渡すつもりはない。今度また私に近づいたら、あなたのやったことを全部ぶちまけてやるから」

 江口がなにか言おうとしているのを無視して電話を切ったときは、あの男を追っ払った興奮で思わず拳をにぎりしめた。

 映像を公開すると口では言うが、そんなことをすれば盗作疑惑がすべてでっち上げであることが明るみに出てしまう。事態がどう転んでも、江口は映像の存在を公表することはできないはずだ。実際、そのあと江口から連絡はない。

 三時すぎになると奥の方で店員が床にモップをかけ始めたので、店を出た。それから夕食の買いものに、駅前のスーパーへ寄る。

 もう五日、尚人とは顔を合わせていなかった。夜は仕事部屋で眠り、朝、尚人が出かけたあとに食事や洗濯をして、夕方に早めの夕食をとったら、尚人が帰ってくる前に仕事部屋にこもる。そんな中途半端な引きこもりのような生活をしていた。

 初めはしばらく帰らないつもりだった。泊めてもらえるような親しい友達はいないので、スマートフォンで近くの空いているホテルを探した。カバンひとつしか持って出なかったから仕事もできず、その晩はなにもせずさっさと眠った。翌日、荷物をとりに帰宅した結月だったが、昨夜のままほとんどなにも変わっていない部屋を目にした瞬間、気が変わった。なぜ自分が出ていかなければいけないのか、と変な意地が出てきて、なにがなんでも家にいながら尚人との接触を断ってやろうと決めたのだった。

 尚人もまた、積極的に結月と接触する気はないようだ。夜、トイレのために仕事部屋を出入りする音は尚人にも聞こえているはずだが、顔を出したりはしない。

 怒りそのものは静まっているのだが、尚人に対する不満がまだ熱を持っていた。でも、そろそろ潮時だ。このままではお互い引っこみがつかなくなる。これ以上こじれる前に、きちんと仲直りして、空き巣の話を聞かせてもらいたい。

 この五日間、結月も尚人もキッチンをほとんど使っていなかった。ふたりとも、自分ひとり分の食事となると、外で食べたり、できあいのものを買ってきて済ませてしまう。料理をすることは、すなわち、ふたりで食べるという意思表示だ。これ以上に手っとり早い仲直りの方法はない。

 気合が入ってしまって、買いものは大きなビニール袋がふたつにもなってしまった。袋をさげた両手の力が尽きる前に家までたどり着こうと早足になり、Tシャツの背が汗ではりつく。

 自宅マンションの玄関に着き、カバンから鍵を出すために一度右手の袋を下ろす。扉を開けて左手に持っている袋を中に入れ、置いた袋をとりに戻ろうと振り返る。

 目の前に人影が立ちはだかった。

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