第2話 私、別にあの人のこと好きじゃありませんから



「ほら、美味しいアップルパイのお店があるんでしょう?――責任、取ってくださいね?」


 俺は彼女にそう囁かれた。


「お、おいっ! 待て、なんでそんな陰キャ野郎に――」


「逃げますよ」


 三森さんはそう告げて、俺の手を掴み――


「へ?!」


 そのまま走り出した。


「きゃっ!」


「すみませんっ!」


 下校する人々をかき分け、時には人にぶつかりながらも走り続ける。


 そうして人気のない公園のベンチまで来てようやく三森さんは止まった。


「ふぅ……逃げてきちゃいましたね」


 三森さんは額の汗を手の甲で拭うと、そう言った。


「ぜぇはあ、ぜぇはあ……ど、どうして?」


 俺は顔を上げ、息を切らしながら彼女に問う。


 彼女は顎に手を当てて、考える仕草をし――


「あの人がウザくなったので」


 冷淡にそう言った。

 まるで、佐竹のことが、心底、どうでもよかったかのように。


「え? それだけ?」


「そうですよ、どうかしました?」


 彼女はキョトンと首を傾げる。

 いや、どうかしましたって……。


「いやいや、不味いでしょ! 君はあの人が好きで付き合ってたんじゃないの? それなのに簡単に別れちゃダメなんじゃないの?」


「――何か勘違いしてません?」


 三森さんは、不愉快そうに冷淡に言うと――


「私、別にあの人のこと好きじゃありませんから。昨日は、特殊な理由があって告白を断れなかったのですが……その理由も無くなりましたからね」


 寂しげにどこかを見つめた。


「そんな……」


 俺はなんと言っていいのかわからなかった。


 ヤンキー男はクソだが、それでも彼女を好いていたんじゃないのか?

 その想いをそうも簡単に蹴っていいものなのだろうか。


 そう思っていると、彼女は俺の考えを読んだかのように、口を開いた。


「――そもそも、―人に無理矢理私をナンパさせてそれを助けて好感度稼ぎしようだなんて人として最低でしょう? 気遣う義理なんてありませんよ」


「き、気づいてたのか?」


「あなたがナンパなんかをする人ではないことくらい、知ってますよ? それに……もし、本当に私と付き合いたいなら、朝、二人っきりの時にナンパすればいいですからね」


「っ……バレバレだったわけか……」


 けど……この様子だと彼女は、元々、佐竹のことが好きどころか、嫌いだったようだ。

 でも、それなら、なんで付き合っていたのだろうか。


 疑問に思ったが、なんだか訊いてはいけないような気がした。


「あの、ここで話すのも暑いからもうちょっと涼める場所に行きませんか?」


 彼女の額には汗が滲んでいた。

 日陰とはいえど7月の昼前はあまりにも暑すぎる。


「確かに……でもどこに行こう」


「あら、美味しいアップルパイのお店があるんじゃないのですか? 月城さん」


 小悪魔のような笑みを浮かべて、上目遣いで見つめてくる三森さん。


 あれは、適当についた嘘だ。

 不味い……どうしよう。


「ええっと、それは……」


「冗談ですよ。それに昼前にアップルパイなんて食べたら昼食が食べられなくなってしまいますので」


「そ、それじゃあ……ファミレスとかでもいいか?」


「ええ、それでお願いします」


 そうして、俺たちはヤンキー男たちに見つからないように駆け足でファミレスへ向かった。





 ――――――――――――



「ねえ……1つ、聞いてもいいかな?」


 ファミレスにて。


 俺は意を決して、三森さんに問いかけた。


「なんでしょうか?」


「三森さんは……どうして、俺のナンパを受けたんだ?」


「……? それはさっき言ったと思いますけど」


 彼女はきょとんと首を傾げる。


「違う、俺が今聞いてるのはあいつを振った理由じゃなくて、俺のナンパを受け入れた理由だよ」


 三森さんが佐竹のことが嫌いなのはわかった。


 けど、それなら普通に佐竹のことを振ればいい。


 何も、俺のナンパを受け入れる必要はないのだ。


 すると、彼女は言いづらそうに口を開いた。


「それは……あそこで断ったら、月城さんに恥をかかせてしまうじゃないですか」


「……そんなことを気にしていたのか?」


「当然です。それに……あの時、佐竹さんはまだ私の彼氏でした。自分の彼氏の責任くらいは、私が取るべきでしょう?」


 当然のように、彼女は言ってみせた。


「(思っていた以上に、誠実な人なんだな……)」


 見た目と性格は比例すると言うが、それは本当らしい。


 でも……こちらとしても、これ以上、彼女に気を遣わせるわけにはいかないな。


「大丈夫だよ。俺のことはあんまり気にしないで貰っても」


「そんなことを言っても、私の彼氏が迷惑をかけてしまったわけですし……」


 俺は、首を横に振った。


「いいんだ。恥をかくなんて、別にどうってことないよ。元々……俺はボッチだからな。馬鹿にされたとしても、一週間もすれば、忘れられるだろうし」


 それに……誰かに振られることは、もう慣れた。


「――絶対にダメです」


 しかし、返ってきたのは強い否定の言葉だった。


「人に利用されて、馬鹿にされて……それで平気な人がいるわけがないでしょう? 何度も言いますが、これは私の責任でもあるんです」


「そうは言っても……」


 俺は口ごもる。


 を言うわけにはいかないし、どうやって誤魔化そうか。


 そう思っていると――


「ッ……?!」


 視界の端に、見た事のある金髪が映った。


 俺は目を凝らしてそれを見てみると――間違いない。

 そこにいたのは、佐竹だった。


 周りには他の仲間たちもおり、どうやら俺たちを探しているようだ。


 不味いな、こんな所まで追ってきているなんて……。


「三森さん」


 俺はその名前を呼び、急いで彼女の手を掴む。


「ど、どうかしました?」


「アイツらが来てる」


 俺は窓の外の佐竹たちを指さす。


 アイツらは、今にもこのファミレスに入ってきそうだった。

 

 恐らく、あいつらの仲間の誰かに、俺たちがここに入ったのを見られたのだろう。


「……ああ、あの人達ですか」


 彼女の声色はまるで氷のように冷たいものであった。


 あの三森さん?

 アイツらが嫌いだからといってもテンションの下がり幅が激しすぎませんか?


「ここまで追ってくるなんて……しつこい人ですね」


 彼女は、冷血な目つきで佐竹を見つめていた。


 そうこうしていると、佐竹たちが階段を上り始める。


「どうやら、階段を上ってこの建物に入ってくるつもりのようですね」


「どうしよう、このファミレスに逃げ場なんて……」


 見た感じだと明らかに1つしか出入り口は――


「あった。あっちに非常用出口があるぞ!」


「それでは、ダメです」


 三森さんは、小さく首を横に振った。


「それだとお会計をしてる間に捕まってしまいます。それに月城さんは顔も名前もあの人たちにバレているのですから逃げてもいずれ学校で酷い目に遭ってしまいますよ?」


「だとしてもこのまま見つかるわけにはいかないだろ?」


 確かに学校で大変なことになるだろうが……少なくとも三連休の間は平穏だ。

 それに、ここで争えばきっとお店の方にも迷惑がかかる。


 俺の言葉を聞いた彼女は――


「でしたら、私たちの方から会いに行ってやりましょう」


 くすりと笑い、そう言った。


 けれど彼女の目は全く、笑っていなかった。



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